孝介が帰宅したのは午後9時47分。約束の時刻よりも13分早い。
これであいつは文句も言わねぇだろ、と孝介は思案した。が、玄関のドアを開けて「おう、約束通り帰ってきてやったぞ!」と呼びかけても、真夜の返事がない。それ以前に、部屋の照明が全てOFFになっている。
「真夜……?」
孝介は室内をくまなく探す。が、真夜はどこにもいない。リビングにも、台所にも、バスルームにも、孝介の仕事部屋にも、真夜の絵描き部屋にも、寝室にも。
そういやあいつ、俺が出かける前に「服を買いに行く」とか何とか言って家を出たよな? まだどの服を買うのか、試着室で悩んでるのか? そんなわけあるか!
そう考えながら孝介は、リビングのソファーの上で30分待った。が、真夜が帰ってくる様子はない。
スマホのメッセンジャーアプリを見てみる。「真夜」の部分をタップしてみるが、新しいメッセージは入っていないようだった。
それを確認した孝介は、彼女と通話することにした。
*****
長い呼び出し音の末、ようやく真夜が通話ボタンを押したようだ。
が、「もしもし真夜、今どこにいるんだ?」と孝介が呼びかけても、真夜は無言を貫く。一体どうしたことだ? 孝介はしぶとく、
「真夜、お前今どこほっつき歩いてるんだ?」
と、呼びかける。
やがて真夜は、
「……弘子という人は、私よりもいい女なのかしら?」
そう話した。途端、孝介の心拍数が跳ね上がる。「弘子」という人名が出てきたからだ。
さらに、
「昔一緒に暮らした女のことは、いつまでも忘れられないのね。……他の女と結婚しても、結局は若い頃愛した女のほうがいいんでしょう?」
真夜は容赦なく言葉をぶつける。
どうしてだ。どうしてこいつが、弘子のことを知ってるんだ!?
「……ネットで調べたのか?」
孝介は咄嗟にそう問いかけたが、
「いいえ、品山さんに相談したの。全部教えてくれたわ。コウが違法賭博を告発したことも、それがなければ他の女と結婚する予定だったということも」
真夜は徐々に涙声になりながら、
「どうしてそのことを私に隠していたの? それを言ったら私が勘違いを起こすと思ったから?」
そう問い詰め始めた。
「コウは私を、そこまで浅はかな女だと思ってるの? ……それとも、弘子のことをまだ愛してるから? そうなんでしょう?」
「……そうじゃねぇよ」
「だったら、せめてコウの口から聞かせてほしかった!」
真夜は孝介を殴るように言い放ち、
「コウの馬鹿……!」
と、通話を切ってしまった。
*****
孝介からのテキストメッセージが相次いでいる。
「お前、今どこにいるんだ?」
「もう一度電話しよう」
「返事くれ」
「話がしたい」
「家に帰ってこい」
しかし真夜は、その全てを無視している。既読すらつけていない。
俯きながら涙を拭う真夜の横から、
「ま、あのダメ男にはこれくらいのお灸が必要だから」
と、声をかけたのは工藤光だ。そして真夜とテーブルを挟んだ正面に、品山親方が座っている。
ここは都内江東区に所在する品山部屋だ。
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