「タケちゃんと結婚して17年経つけれど、あの頃と今とじゃこの世界の意識もだいぶ変わったよね? やっぱりパチンコとか競馬とかのギャンブルをみんなしなくなったっていうのが大きいかな」
光は麻辣火鍋に舌鼓を打ちながら、すこぶる上機嫌でそう話す。
「それこそ昔はギャンブルで何百万円とか何千万円とか使っちゃう人もいたけれど、さすがに今はそんな人いないよね? “周りに見られてる”ってことを、みんな意識するようになったんだと思う」
「そんなこと言う光さんだって、先週馬券買って興奮してたでしょう」
「たかだか100円賭けてみただけだよ、あれは。昔のお相撲さんは、そんなケチなレベルで収まらない人が多かったでしょ?」
「まあ、そうだね」
品山親方は箸を進めながら、
「そのあたり、元々はマツが手を入れてくれたからだよ。博打の問題は、俺たちじゃ何にもできなかった」
と、軽く溜め息をついた。
「……あの時、先代品山がお前の辞表を破ろうとしてたんだ」
「え?」
「お前が相撲から足を洗おうとしたことに、先代はとんでもなく怒ってな……。マツ公は黙ってりゃ厳重注意で済んだんだ、何だってあんなに辞めたがってたんだってな」
すると孝介はやや慌てた様子で、
「親方、その話は……」
「ん? ああ、すまん。こんな美味い飯の前で言うことじゃないな」
このやり取りを、もちろん真夜は聞いている。
孝介が自分から辞表を書いた、ということはどうやら真実らしい。ただ、その辞表を留保され、そこから孝介が一押ししてついに大相撲を引退してしまった……という顛末だそうだ。真夜は「ふふふ」と声を出して笑い、
「コウったら、自分が優勝できないから諦めちゃったのね。ま、所詮はコウだもの。コウが最強になれるはずないわ」
と、孝介に言ってやった。すると、
「ああ、その通りだ。俺が親方に勝てるわけねぇわな。現に俺が14勝した名古屋場所は、親方が肺炎で休場してたんだ」
「その場所も最後は負けちゃったんでしょ?」
「千秋楽の割で、ものの見事に押し出された。結局、俺なんかじゃ親方の足元にも及ばねぇのさ」
そう苦笑する孝介の顔を満足げに見つめつつ、
「コウじゃ頑張ってもそんなところね。……ちょっとお手洗い行ってくるわ」
と、真夜は席を立った。
そんな彼女の様子を、光が驚愕の表情で見ていることには気づいていない。
*****
「ねぇ松っつぁん……真夜さん、外国生まれの日本人なんでしょ?」
光は真夜がトイレに行った隙を見計らい、孝介にそう質問した。
「……はい」
「それだったら相撲のことは知らなくても当然だと思うけれど、松っつぁんもしかして……昔のこと話してないの?」
「……はい」
「梅咲さんのことも、弘子さんと松っつぁんが結婚前提に同棲していたことも?」
「……はい」
「なのにこの前、タケちゃんから弘子さんの電話番号教えてもらって会いに行ったの?」
「……はい」
孝介がそう応えると、光は即座に「バカッ!」と声を発した。
「ちょっと待ってよ、えぇ? 私たち、てっきり真夜さんが松っつぁんの昔のことを承知で結婚したのかと思ってたんだけど……。えぇ!?」
「すいません」
「すいませんじゃなくって!」
光は興奮した様子で、
「それじゃあ、松っつぁんが弘子さんと会いに行った時は真夜さんに何て言って家を出たの?」
と、さらに問い詰めた。
「正直に答えなさい!」
「はい……。親方の仲介で、十何年も会ってない友達と久々に再会するという口実で家を出ました」
「真夜さんに嘘をついたのね。タケちゃんの名前を使って」
「いえ、女将さん。俺は嘘なんか――」
「嘘でしょう! 友達と元婚約者は全然違うよ」
光はまるで悪さをした子供を叱るような口調で、
「いい、松っつぁん? 真夜さんの立場で考えてみなさい。彼女は松っつぁんの昔のことを知らない。その状態で、結婚寸前まで行った過去の女性に会いに行った。しかも、真夜さんに嘘ついてまで。これってバレたら関係疑われても仕方ないよね? 真夜さんに操を立てているのなら、普通は弘子さんのこと話しておくはずでしょ? 違う?」
「いや、しかし……」
「“しかし”も何もないの! これじゃあ今でも弘子さんに未練持ってると思われるよ! ……それとも、本当に未練持ってるの?」
「い、いえ……その……」
「はっきり答えなさい! そうでなきゃ、今日びネットで調べられることをわざわざ隠しておくことなんでないでしょう?」
責める光に、防戦一方の孝介。そこへ品山親方も、
「マツ……お前は相変わらず、その場面ではダメ男だな」
と、冷静ながらも重々しい口調で言った。
「幕内で30場所相撲を取った奴が、女のことになるとこのザマか」
微笑んではいるが、明らかに怒っている様子だ。
すると、用を済ました真夜が帰ってきた。
「ごめんなさい、中座してしまって。……で、ウチのコウは優勝したことがないっていう話でしたわね? コウの若い頃の動画は私も見たことがありますけれど、私はこの男の中身をよく知ってますわ。だらしなくて、いざという時に意気地なし。品山さんに勝てるような器じゃありませんわね」
真夜は自分が中座している間のやり取りを、もちろん知らない。だからこそ、孝介がかつて優勝を逃した話を嬉しそうに続けている。
それに対して品山親方は、再び柔和な笑みを向けた。
光は驚きを隠しつつ、真夜に相槌を打っている。
孝介はもはや紹興酒すら喉を通らなかった。
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