Triangle Heart~夜の散歩姫~

JUN
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七章 大切な婚約者 1

公開日時: 2020年10月26日(月) 21:02
文字数:3,457

 入った部屋は、レティシアのために用意された部屋の五分の一もない、ベッドと椅子とテーブルが置いてあるだけの、一人用の客室だった。

ベッドメイキングされ、掃除の行き届いた白い清潔な部屋で、窓からはドミール帝国自慢の広大な庭園が見える。

「この部屋がどうかしたか」

別の部屋に入ってどうしようとまで、レティシアは考えていなかった。ただ、罠にはめるような行為は正しくないと思っただけだ。

「そんな深刻な顔は、お前には似合わない」

 頬にヴェルガーの手が添えられ、長い指先で眉間の皺をほぐされる。

「今日のお前は、いつもに増しておかしいな」

 いつもおかしいと思われていたのかとレティシアは思ったが、そこに触れている場合ではなかった。

「ヴェルガー様は、この大陸の支配者になるとおっしゃっていました。教えてください、具体的な方法を」

 ヴェルガーは、銀色の睫毛を瞬かせる。

「まだ、先の話だ」

「ごまかさないでください」

 レティシアは小さな唇を一文字に結び、ヴェルガーを見据えた。

「お前は、わたしのやり方について来る覚悟があるのか? それを尋ねるということは、そういうことだ」

「私は、間違ったことが嫌いです」

「間違っていない。結果的に、多くの民を幸福に導く」

「それは、一時期は混乱するということですか?」

「改革とは、そういうものだ」

 レティシアは、ヴェルガーのオリーブ色の手を外した。

「誰かがやらねばならないことなのだ」

レティシアは眉をつり上げ、燃えるようなルビーの瞳で、姿勢よく立つ長身のヴェルガーを射抜いた。

「私と婚姻を結んだあと、私の国を、内部から侵食するおつもりでしたか?」

 ヴェルガーはレティシアを見つめたまま、表情を動かさない。

「オルレニア王国の王族を暗殺して、混乱に乗じて、攻め込むおつもりでしたか?」

 ヴェルガーの表情が、僅かに強張った。

「やはり、気づいていたのか」

 レティシアは否定してほしかったと、内心で落胆した。

「マルセルさんたちの暗殺は、ヴェルガー様の指示ですね?」

「お前はどこまで知っている?」

「ヴェルガー様の計画が、失敗したところまでです」

 ヴェルガーは息をはいた。

「お前が助けようとしていたのは、オルレニアの王子だろう。狙撃には成功しているはずだが、助かったのか」

「なんとか命を取り留めました」

 ヴェルガーはベッドに腰掛け、長い足を組む。胸まであるプラチナブロンドの髪がサラリと揺れた。

「なるほど、失敗だ」

 ヴェルガーは苦笑した。

「国王も狙っていたが、そちらは完全にガードされたようだ。王子には撃たれるし、私の部下もまだまだだ」

「私がマルセルさんのために動けなくなるよう、あの部屋に閉じ込めたんですね」

「まさか、四階の窓から逃げ出すとは思わなかったからな。どんな奇術を使ったんだ?」

レティシアは、ただ首を横に振った。「死神の力を借りた」と言おうと思ったが、幽体離脱以上に胡散臭いので、黙っておく。

「ヴェルガー様は、なぜこんなことをされるのですか?」

「繰り返しになる。それが、この大陸の民のためだと信じるからだ」

「国境をなくす方法は、他にいくらでもあるはずです」

「先導者が多いことが問題なのだと言っている」

 ヴェルガーは膝の上で手を組んだ。

「皇帝陛下は、ヴェルガー様の大陸統一の計画をご存知なのですか?」

「いや。しかし、結果を出せば評価をする方だ。兄弟の誰よりも、わたしが後継者にふさわしいと、認めてくださるだろう」

「こんなことをされなくても、評価されていると思います」

 レティシアは唇を噛みしめて目を伏せた。兄弟で足を引っ張ったり、手柄を奪い合っているのだろうと、悲しくなったのだ。なぜ仲良く手を取り合えないのだろう。

「ヴェルガー様は、頼れる方はおられますか?」

 ヴェルガーは軽く首を曲げてレティシアを見た。その目つきは鋭い。

「何が言いたい?」

「信用されている方は、おられますか?」

「権力争いというのは、腹の探り合いだ。気を許すと負ける」

 以前もそんなことを言っていた。だからレティシアは、傍にいるときは少しでもヴェルガーの心が休まるようにと、そう心がけてきた。

 レティシアはヴェルガーの隣に腰を下ろし、オリーブ色の手を両手で握った。

「私が傍にいても、その考えは変わらないのでしょうか」

「なぜ、変える必要がある」

 レティシアは思いが届かないことを、もどかしく思った。

「まだ、大陸の支配を目指しますか?」

「当然だ」

「ヴェルガー様……」

 表情一つ変えないヴェルガーに、レティシアは泣きたくなった。

 それと同時に、王たちに聞かせなくて良かったと、レティシアは思った。これでは、極刑も免れないかもしれない。

 ヴェルガーの気持ちを変えるには、どうすればいいのか。

 人一人の思想を変えるのは難しいだろう。

しかしこのまま、大勢の人たちを混乱の渦に巻き込むと分かっている人物を、野放しにすることはできない。

 かといって、命をもって償うべきなのかといえば、今の段階では、そうではないとレティシアは思う。やり方が間違っているだけで、国を思う情熱は強いのだから。

 マルセルやギルフォードが死んでしまっていれば、取り返しがつかなかったかもしれない。

しかし、生きている。まだ間に合うはずだ。

「私に、なにができるのかしら」

 レティシアは呟いた。

「ただ、わたしの傍にいればいいと言っている」

 レティシアのひとり言にヴェルガーは答え、レティシアの後れ毛をそっとなでつけた。

「傍に……」

 しかし、それは叶わない。父王は、レティシアたちの婚約を破棄するつもりだから。そうなれば、レティシアがヴェルガーを更生させる機会もなくなってしまうだろう。

「そうだわ」

レティシアは閃いた。

ヴェルガーの両肩を強く掴む。

「ヴェルガー様、今すぐ私を、あなたの妻にしてください」

 そう言うと、レティシアは勢いよくヴェルガーをベッドに押し倒した。

「どうした、一体」

ヴェルガーは驚いた表情でレティシアを見上げる。ストレートのプラチナブロンドの髪が、ベッドに広がった。

父王がヴェルガーとの婚約を破棄しようとしているのなら、既成事実を作ってしまおうとレティシアは思った。

 王たちには、ヴェルガーが上手く言い訳をするだろう。マルセルが危惧していたように、マルセルの証言と証拠だけでは、罪に問うことは難しいはずだ。

 それならばレティシアはヴェルガーの妻となり、傍にいて、常に監視し、これ以上罪を重ねさせなければいい。

そして少しずつ、別の価値観を見出してもらうのだ。

 子供ができ、家庭を持てば、また考えも変わるかもしれない。

 ヴェルガーは真摯に平和を願っている人だと思う。ただ今は、とても視野が狭くなっている。しかしそれは、時間をかければ変えられるものだと、レティシアは信じたかった。

「私があなたを、変えてみせます」

 レティシアは使命感にあふれた瞳で、至近距離からヴェルガーを見つめた。

「この手のことは、嫌がっているとばかり思っていたが」

ヴェルガーのきつい目元が緩み、ダークグリーンの瞳が揺れた。

「お前は本当に、おかしな女だ」

「よく言われます」

「だが、それがなぜか、心地よい」

 ヴェルガーの手が首筋に添えられて、ゆっくりと引き寄せられた。

唇が重なる。

色づいたヴェルガーの唇が何度もレティシアの小さな唇をついばみ、深く口づけられると、歯列を割って、生温かいものが奥まで侵入してきた。

「んンッ……」

 初めての感触に、レティシアは体をこわばらせた。先日よりも濃厚なそれに、ゾクゾクとした感覚がこみ上げてくる。

 力んだ体を解すように、背中を擦られる。腰に手が添えられ、完全にヴェルガーの上に身体が重なった。ダブレット越しだが、全身に引き締まったヴェルガーの肉体を感じる。

 角度を変えて口づけられ、逃げようとする舌先が吸われる。とろとろに溶けても更に絡め取られた。

 足先まで甘い痺れが走った。

「……ぁっ」

 濡れた水音が漏れる。

 初めて知る感覚は、恥ずかしくて、気持ちが良くて、おかしくなりそうだとレティシアは思った。

「遠慮するな。声を聞かせろ」

 やっと離れたヴェルガーの湿った唇は、丸く小さなレティシアの顎をなぞり、細い首を通って、露出した鎖骨に降りてきた。

袖を落とされた肩に、優しく手が這う。

「あっ……」

 自分から申し出たとはいえ、レティシアは未知の体験に震えた。羞恥と、純粋な恐怖だった。

 ヴェルガーの柑橘系の香りが火照った身体にけぶり、濃密になって脳を満たしていく。

 手をついていたベッドシーツをレティシアが握ると、白い波が広がった。

「ヴェルガー様……」

もう、なにも考えられない。

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