「探すって、どうやって?」
青年に聞かれると、レティシアは胸を反らせた。
「こう見えて私、ガリエンヌ王国の王女なのよ。国内の調査なら問題ないわ。それにドミール帝国の皇太子様と婚約をしているから、三日くらい前から意識のない貴族がいないか、帝国でも調べてもらうわね」
「君、婚約してるの?」
青年は意外そうに尋ねた。
「ええ、素敵な方よ。あのね、三国の王侯の婚姻は今までなかったの。せっかくお隣同士なのに。だから私、三国が仲良くなる架け橋になれたらいいなって思うの」
レティシアは胸の前で指を組んで、うっとりと夢を語った。
「可能性が高いという、肝心のオルレニア王国には、つてがないんだな」
「うっ」
セスに痛い所を突かれて、言葉に詰まるレティシア。
「なんとかするわっ。ね、三国を見て、思い出すことはない?」
尋ねられた青年は、それぞれの国をじっくりと眺めた。真夜中なので多くの建物の明かりが消えており、特にガリエンヌ王国の殆どの土地は闇に包まれていた。
「特に、なんとも」
「そう……」
レティシアはがっかりした。
「じゃあ気を取り直して、今からオルレニア王国を巡ってみましょうよ。何か思い出すかもしれないわ」
「今日はもう帰ったほうがいい。いつもより長く肉体から離れているぞ」
「それがどうかした?」
セスの指摘に、小首を傾げるレティシア。
「長く離れていると、肉体に疲労が出る。長期間離れたままでいると、死に至る」
「えっ、死んじゃうの? どれくらいで?」
毎日幽体離脱をして夜の散歩を楽しんでいるレティシアも、それは初耳だった。セスは考えるように視線を空に巡らせた。
「経験則だから前後するが、一週間が目安だろうな」
「それって……」
レティシアはセスにのしかかっている青年を見つめた。青年は、三日動き回ったと言っていた。
「あと四日以内に身体を見つけないと、僕は死んでしまうんだね。困ったな」
苦笑する青年は、まるで困っていないような、のんびりとした口調だった。
「もう、ぼやぼやしてないで、早くオルレニアに行くわよ!」
青年を引っ張ろうとしたレティシアを、セスが止めた。
「お前は昼間、やるべきことがあるだろう。今無理をしてお前が動けなくなっては、元も子もない」
「そうだよ。まだ時間はあるようだし、僕のことは大丈夫。セスがいるから淋しくないし」
「はぁ!?」
セスは全身で迷惑を表明したが、青年は意に介していない様子だった。
「じゃあ、あなたのことは死神さんに任せるとして、今日は戻るわ。明日、またいつもの森でね!」
レティシアは後ろ髪を引かれながら、ドレスを翻して王宮に戻った。
「レティシア様、皇太子殿下がおいでになりましたよ」
「あら、いけない」
自室の赤大理石を使ったテーブルに凭れていたレティシアは、侍女の声で顔を上げた。朝目覚めてからずっと、気怠さが抜けなかった。
「死神さんが言ってた疲労って、こういうことなのね」
数時間オーバーしただけで体力を消耗している。それならば、三日も彷徨っているという青年の身体はもっと深刻なのではないかと、レティシアは改めて心配になった。
「そうだ。今朝のお願い、やってくれてる?」
「それはもう、迅速に。レティシア様のお申しつけですもの」
侍女のイザベルはレティシアの身支度をしながら答えた。十年前の河原の件以降、イザベルは更にレティシアに忠誠を誓っていた。
「三日前後意識のない、金髪碧眼の、長身で二十代半ばくらいの男性貴族でしょう? 噂が大好きな狭い宮廷ですもの。この国にいるのなら、明日には必ず見つかりますわ」
「オルレニア王国だったら?」
「そちらも問題ありません。情報通はどこにでもいるものですわ」
イザベルはふくよかな顔に、愛嬌のある表情を浮かべてウインクした。レティシアはホッとする。
「ヴェルガー皇太子殿下、ご到着です」
「どうぞ」
廷臣の声に、レティシアは返事をした。扉が開かれ、ヴェルガー・フォン・クリューナーが入室する。入れ違いにイザベルが退出した。
「ヴェルガー様、ようこそおいでくださいました」
レティシアが駆け寄ると、ヴェルガーはレティシアの手を取り、口づけた。
胸元まであるストレートの銀髪が、オリーブ色の肌に映える。意志の強そうな眉と鋭い眼光が整った容姿に拍車をかけて、近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。ダブレットには金糸で精緻な刺繍が施されている。
「目が赤いわ」
レティシアは背伸びをして、ヴェルガーの充血したダークグリーンの瞳を覗き込んだ。
「公務に追われてな。いつものことだ」
「今日はおいでにならず、お休みになられたらよかったのに」
そう言ったレティシアは、ふいに腰に腕を回され引き寄せられて、ドキリとした。
「お前に会うために無理をしたのが、分からないのか」
「あ、ありがとうございます」
至近距離からダークグリーンの瞳に見つめられ、レティシアは赤くなった。
「お前の部屋は用意してある。花の好きなお前のために、薔薇柄の壁紙にした。わたしの身を案ずるのなら、こちらに住むといい」
「それは、あの、まだ……」
婚姻を結ぶのは歓迎しているレティシアだったが、嫁ぐことに全く抵抗がないわけではなかった。豊かな自然の中で伸び伸びと育ってきたレティシアには恋愛経験がなく、結婚には不安もあった。
「どのみち、あと半年だ。急かしはしないが」
ヴェルガーの手に頬を包まれた。
緊張して、レティシアの身体が固まる。
「ヴェルガー様、お顔が、近くて」
「近づけている」
息がかかりそうな距離で、思わずレティシアは息を止めた。整いすぎた容貌が迫り、レティシアはどうしていいのか分からなくなった。
その時、大きな破裂音が部屋に響いた。二人が驚いて音の出所に目を向けると、壁際の台に置いてあったはずの花瓶が、粉々になって床に散らばっていた。窓際にいた二人からは距離があり、破片で怪我をすることはなかった。
「レティシア様、どうかされましたか?」
イザベルと侍従が部屋に飛び込んできた。
「花瓶が落ちただけよ」
侍従は安心して部屋を出て行き、イザベルは掃除を始める。
「高価なものなのに、もったいない。レティシア様、暴れちゃだめですよ」
「ヴェルガー様の前でそんなことしないわ。勝手に落ちたのよ」
「風もないのに?」
イザベルに言われて、そういえばなぜ落ちたのかと、レティシアは首を捻った。窓はしっかりと閉まっている。
「わたしがいなければ、暴れるような口ぶりだな」
「いえ、それは子供の頃の話で」
ヴェルガーの揶揄につい乗ってしまい、しまったとレティシアは口を押さえた。ヴェルガーはクスリと笑う。
「子供の頃といえば……。そうだわ、ヴェルガー様、そこに横になられて」
長椅子を指さしながらレティシアもそこに座り、ヴェルガーの頭を膝に乗せた。サラリとした銀髪が、膝を流れる。
「横になっているだけでも、少しは疲れが取れますよ。それに私、よくお母様にこうしてもらったんです」
レティシアはヴェルガーの閉じた目の上に、手のひらを乗せた。
「瞼を温めると、目の充血が取れるんですよ。私は体温が高いんです。弟たちにも時々こうしてあげて、喜ばれます」
「わたしは弟と同じ扱いか?」
「えっ? いえ、そんなことは」
レティシアが慌てる声を聞いて、ヴェルガーは赤く色づいた唇を上げて、片手をレティシアの細腰に回した。
「姉弟、仲がいいのだな。わたしの国では、血族こそ油断できない。兄弟でも騙し合い、命を取り合う」
「そんな……」
レティシアは、なんと言葉をかけていいのか分からなかった。下の三人兄弟は仲がよく、ゆくゆくは王位を継承するはずの兄を弟たちが盛り立てていた。
「力を持つ者が生き残る。当然の摂理だ」
レティシアの手に、ヴェルガーは手を重ねた。その冷たさに驚いて、レティシアはもう片方の手を乗せて、冷えた手を挟んだ。
「腹の探り合いは嫌いではないが、疲れる。お前は分かりやすくていい」
褒められているのか貶されているのか判断がつかず、レティシアは眉を下げた。
「お疲れのところ、お願いしにくいのですけど」
「なんだ? 珍しい」
レティシアは金髪の青年を探している事を伝えた。
「その男は、お前のなんだ?」
手に隠れて表情は見えないが、ヴェルガーの訝しげな声にレティシアは慌てた。
「やましい関係じゃないですよっ」
レティシアは毎晩、幽体離脱している事を、ヴェルガーに初めて話した。信じてもらえないか胡散臭がられるかなので、このところ誰にも話していなかったのだ。しかしヴェルガーとは夫婦になるのだから、いつか伝えようとは思っていた。
「意識だけが、肉体から離れる……?」
「それで出会った人なんです。身体を見つけてあげたいんです。このままでは、死んでしまうんです」
霊体は身体の場所が分からないと戻れないことや、その状態が一週間ほど続くと命が尽きることも伝えた。
「信じてくれますか?」
「お前は嘘をつくほど器用ではあるまい。毎晩、夢を見ているだけかもしれないが」
「夢じゃないですよ」
レティシアはむくれた。
「その男の容姿や服装を、詳しく」
レティシアが説明すると、「三、四日前か」とヴェルガーは小さく呟いた。
「心当たりがおありですか?」
「……いや」
ヴェルガーはレティシアの手を握って、目元から外した。その瞳の充血は、先ほどよりも緩和されていた。
「お前の頼みだ、調べてみよう」
「ありがとうございます」
レティシアの満面の笑みにつられたように、ヴェルガーは目を細めた。
「わたしは国のために努める。お前はわたしを癒せ」
「はい、ヴェルガー様」
ヴェルガーは寝返りを打って、両腕でレティシアの腰を抱きしめた。膝の上の重みを、レティシアは愛おしく受け止めた。
「……お前は、温かいな」
膝の上に広がったヴェルガーの銀髪を、レティシアはゆっくり指で梳いた。
しばらくレティシアの部屋で休んだ後、ヴェルガーは自国に帰っていった。
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