常緑樹と落葉樹が混在する、光が遮断された森の中。
湿った落ち葉や枝が敷かれた地面に、鮮血が広がっていく。
「兄さん……」
背を木の幹に張りつけたままマルセルは、銃弾が貫通して開いた兄の背中の傷口を、目を眇めて見やった。血液が湧水のように溢れている。
耳元で自分の脈が鳴っている。
心臓が激しく胸を打つ。
呼吸が浅くなる。
うつ伏せに倒れているギルフォードに駆け寄りたい気持ちを抑え、マルセルは強く歯を食いしばったまま、何度か深呼吸をした。
汗ばんだ手を握り締める。
身体は熱く煮えたぎっていたが、頭は冷たく冴えてきた。
「……」
強襲者は、何者なのか。
気を落ち着かせてから、木の幹からかすかに身を出す。弾の角度と地形から、ギルフォードを撃った人物の場所を目で探した。
近くに狩猟犬がいるはずだが、人に反応しないよう調教しているため、ギルフォードを撃った犯人に吠えることはない。マルセルが見つけられなければ、狙撃者を逃してしまうだろう。
マルセルは目を凝らす。相手の狙いがギルフォードだけでなければ、まだ立ち去ってはいないはずだ。
「どこだ」
五感を研ぎませて集中するマルセル。
遠くで草むらがかすかに動いた。
金属らしき光が反射する。
いた。
距離は百五十メートルほどだろうか。
「なんで真っ直ぐに飛びもしない銃で、兄さんに当てるんだよ。よほど運がいいのかな。まいっちゃうね。……でも」
マルセルは眼光を強めた。
足元にある自分の銃には弾が入っていない。マルセルは兄のマスケット銃を拾い上げると、素早く構えた。
「相手にできて、僕にできない道理はない」
マルセルは狙いを定めて、草むらに向かって撃った。
銃の爆発音で、耳に軽く痛みが走った。硝煙が上がり、火薬の匂いが鼻につく。
「ぐぁっ」
狙った草むらから、男の声が届いた。
マルセルは再び、木に隠れた。
山の向こう側で何度も銃声があったように、敵は複数人いる可能性があった。マスケット銃は連射ができないからだ。
応戦してこないか様子を見る。
「……こちら側は、一人か」
相手は銃を複数用意しているのか。もしくは、後発の銃声は仲間側からの応戦だったのか。
しばらく待っても、なんの動きもなかった。
兄が気になった。
起き上がる気配はないが、うつ伏せに倒れた背中が、かすかに上下している。
まだ、息がある。
「兄さんっ」
マルセルは兄の傍に膝をついた。ギルフォードは気を失い、顔から血の気が失せている。ギルフォードの胴衣を脱がし、傷口に水筒の水をかけて汚れを流した。服を裂いて包帯代わりにして巻き、手早く応急処置を済ませる。
大量に出血していた。すぐにでも下山させるべきだったが、マルセル一人で安全に運ぶのは難しそうだ。それならば。
「僕たちがここにいることは、みんな分かってる。すぐに助けが来るから、待っていて」
意識のない兄に向ってマルセルは言葉をかけ、血に濡れた胴衣などを、仲間に発見されやすいよう木の枝にかけた。それから、ギルフォードの腰にあった弾薬箱から弾を取り出す。
装薬と弾丸を、込め矢で、一メートル以上ある長いマスケット銃の銃身の奥まで押し込んだ。
準備を済ませた銃を片手に持ち、用心しながら、マルセルは先ほど弾を撃ち込んだ草むらに向かった。
男の呻く声が聞こえてくる。
先方に気づかれないように音を消し、木に隠れて、声のする場所の様子を伺った。
「うぐぅぅ、くそっ……!」
そこには、右太腿を抑えて呻いている、四十代くらいの男がいた。布で足の付け根と患部を絞めているが、溢れ出る血は止まっていない。
一般的な胴衣を着ているので、服装からはどこの者かは分からなかった。髪色はダークブラウンで、比較的ガリエンヌ王国に多いというくらいで、こちらも大陸ではポピュラーだ。
「……」
マルセルから、一切の表情が消えた。
マルセルは落ちている銃の銃口をブーツで踏みつけ、浮いてきた銃身をキャッチして肩に担いだ。その気配で、男はやっとマルセルの存在に気づいた。
「おまっ……!」
男が動き出すより先に、マルセルは用意していた銃口を男の口の中に突っ込んだ。
「誰に雇われた」
男は驚いた表情で座ったまま、微動だにしない。容赦なく銃口を捻じ込まれた際に切れた唇から、血が滲んでいる。
「僕はあまり、気が長いほうじゃないよ」
マルセルは銃を押して男を仰向けにさせると、布の巻かれた傷を踏みつける。
「ごがああぁぁっ」
男は叫んで反射的に起き上がろうとし、銃口が喉を突いて咽る。マルセルの靴底の周囲の布に、新たな血がジワリと広がった。
「早く言った方がいいんじゃない? 動脈切れてるよね。早く医者に診せなきゃ、死んじゃうね」
マルセルはそう言いながら、緩急をつけて銃創を刺激した。男は涙を流しながら呻くが、なにも言わない。
「結構、口が堅いな」
マルセルは、男が持っていた銃にヒントがないかと確認した。マルセルの銃と同じく、一般的なフリントロック式マスケット銃のように見える。
「……ああ、なるほど」
マルセルは、違いに気づいた。男の銃の銃身に、ライフリングが施されているのだ。
すると弾丸が施条に食い込んで回転するので、ないものと比べて直進性が高まる。つまり、格段に命中率が上がるのだ。
「初めからそっちは、精度の高い銃を持っていたってことか。あの距離で狙撃するなんて、おかしいと思ったんだ」
銃の先進国と言われる海外の国で、ライフリングの施された銃の図面は見たことがあったが、まだ技術的に大量生産に至っていないはずだった。しかもオルレニア王国は他国から輸入していない。唯一の大陸外貿易国が取引していないのだから、この大陸で、この手の銃が普及しているはずがなかった。
そうなると、可能性はひとつ。産業の発達しているあの国が、独自に開発したものだろう。
「君、ドミール帝国の刺客だね」
男の表情が変わった。
呻いて逃げ出そうとするが、マルセルに阻まれて身動きができない。
「誰に雇われたのか言えば、楽になれるのに。それとも、白状するくらいなら、自害したい?」
男は血走らせた目で、マルセルを睨み、荒い息を繰り返している。
「よく見たら君、結構鍛えてるじゃない。軍人なんだ。……そっか、皇族直々の依頼だったんだね。……君の上司かな? ……君の国で一番兵力を持っているのは、皇太子だったよね」
男の反応を見ながら、ゆっくり問いかける。小さな視線の動きも、マルセルは見逃さなかった。
雇い主はドミール帝国皇太子、ヴェルガーで間違いなさそうだ。
「そのうち自国が手に入るのに、他国にまで手を出すなんて、とんだ野心家だね」
遠くから、マルセルやギルフォードの名を呼ぶいくつもの声が聞こえてきた。臣下たちがやってきたようだ。マルセルは返事をし、兄の場所を伝えた。
この男を生き証人として拘束すれば、ヴェルガーの罪を追求できるだろう。マルセルがしゃがんで、男を縛り上げようとした時。
――マルセルの身体に衝撃が走った。
その後に、銃声が耳に届く。
熱と痛みを肩に感じるのと、吹き出す鮮血を視界が捉えるのは、ほぼ同時だった。
撃たれたのだと自覚した。
山の反対側にいた仲間がこちらに来たのだ。そちら側にいた刺客が移動して来ていてもおかしくなかった。
臣下たちの声を聞き、どこかで油断が生じていた。
「……くっ」
もう一人の刺客を探すと、マスケット銃を二本持つ男は、まだ距離がある位置にいる。目が霞み始めたこともあり、男の顔までは見えない。
マルセルは片膝をついた。
負傷した男は逃げてしまうだろう。せめてドミール帝国産だと証明できる銃を、証拠として確保しなければならない。
どうする。
自問し、いくつかの案を並べて、一番確かな方法を選ぶ。
マルセルは男の銃を地面に置き、渾身の力でその銃身に、自らの銃の床尾板の部分を叩きつけた。
ドミール帝国のマスケット銃が割れ、銃身部分が本体から離れた。
マルセルは指笛を鳴らす。
降下してくるシロハヤブサに、ドミール帝国の銃身を掴ませた。
「頼むぞ」
シロハヤブサは銃身を持ったまま、空高く舞い上がった。銃を割ったのは、軽くすることで、シロハヤブサに確実に銃を運ばせるためだ。
「マルセル殿下!」
臣下たちが走ってくる足音。そして近づいて来ていた刺客が、マルセルが叩き割った残骸を持ち、負傷した男を引きずり遠ざかる気配を感じながら、マルセルは倒れた。
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