「マルセル殿下!」
臣下たちが走ってくる足音。そして近づいて来ていた刺客が、マルセルが叩き割った残骸を持ち、負傷した男を引きずり遠ざかる気配を感じながら、マルセルは倒れた。
* * *
「ヴェルガー様が……」
マルセルの話を聞いたレティシアは青ざめた。
「今となっては、驚くほどの事でもないよね。そいつ、この大陸を支配しようとしているんだからさ」
マルセルは面白くなさそうに、右手で湿った髪をかき上げた。
「だから、あいつの悪事を暴く手伝いをしてよ」
「どうするの?」
「事実を、ありのまま公表すればいい。ごまかせないように、裏も固めてね。言っておくけど、死罪だから」
レティシアは慌てた。
「そんな、だってまだ……」
「まだ、なに?」
マルセルは柔らかい表情であるにもかかわらず、凄まれているような圧迫感を、レティシアは感じた。
「マルセルさんの国も、私の国も、まだなにも被害がないし」
「これは暗殺事件だ。君がいなかったら、間違いなく僕と兄は死んでいた。酌量の余地はないよ」
「でも、マルセルさんは、こうして生きてる」
レティシアは語気を強めた。
「お願い、ヴェルガー様と話をさせて。説得してみせるから」
「だから、これは戦争行為なんだよ。大陸を占領する計画を中止したとしても、条約を破り、暗殺を実行した罪まで消えない」
「マルセルさんの胸に納めることはできないの?」
マルセルは、これ以上ない程、呆れたような表情をした。
「博愛主義なのもいい加減にしてくれ。僕の次は、ドミール帝国の皇子も助けたいって言うの」
「だって……」
「しかも犯罪者なのに。僕の言ってること、間違ってる?」
「……」
レティシアは眉を下げて、うな垂れた。
ヴェルガーが極刑を受けるほどの悪人だとは思えなかった。統治の方法を間違えているだけだ。
レティシアは指先でそっと、唇に触れた。
「誰でも間違いを犯すよ、人間だもの。でも、トップは間違えちゃいけない。だからミスがないように組織で動くんだ。この暗殺計画は、彼単独の計画だろうか? ドミール帝国全体の意思だとしたら、君と僕の国が手を組んででも、あの国を潰さないといけないよ。そういう問題なんだ」
レティシアは膝に乗せた手を握りしめた。
「ヴェルガー様に、更生の機会を差し上げられないのかしら……」
呟いたレティシアの小さな顎を、マルセルは持ち上げた。マルセルは笑顔を消して、不機嫌そうに眉をつり上げている。
「君はあの皇子を、愛しているの?」
「え?」
急に話が変わったので、すぐにはマルセルの質問を理解できなかった。しばらく考えてから、レティシアは口を開く。
「きっと、これからだった、と思う」
レティシアは、自分の気持ちを辿った。
「書状だったけれど、お父様を経由して求婚されたの。一度もお会いしたことはなかったけれど、隣国との架け橋になれたらって嬉しく思って、快諾したわ。それから何度もお会いしてお話をするうちに、誠実で、真面目で、優しい方だと思った。とても国政に熱心で尊敬していたし」
レティシアは、ヴェルガーに膝枕をした日を思い出した。
――わたしは国のために努める。お前はわたしを癒せ。
そう言われたとき、この人を支えていこうと考えていた。
「国内の勢力争いでご苦労されているのも知って、私でよかったら、癒してさしあげたいと思ったわ」
忙しい中、よく会いに来てくれた。いつも、心も体も疲れているようだった。
そしてダークグリーンの瞳はどこか寂寥としていた。ベルガーに会うたびに、満たしてあげたいと思っていた。
昨日、初めて口づけをされた。突然で驚いたけれど、嫌ではなかった。どちらかといえば、嬉しかった。そこから愛情を感じたからだ。
「ふうん。同情から愛情に移行するかどうかってところだったんだな。どうしようか」
マルセルは小さく独りごちた。
「じゃあ、ワンチャンスだけ与えようか」
「ヴェルガー様を許してくれるの?」
レティシアは歓喜の声を上げた。
「許すわけじゃないよ。僕が決めるんじゃなくて、三国に公正な判断をしてもらおうってこと」
なにが違うのだろうかと、レティシアは首を捻った。
「我がオルレニア王国から正式に、暗殺の事実と証拠をドミール帝国につきつけるとするよね。国際法に則って裁判にかけられ、犯行がヴェルガー皇子単独だろうがなかろうが、そこは闇の中となり、ヴェルガーは見せしめとして公開処刑になるだろう。そうしないと、ドミール帝国だって面目が立たないからね」
レティシアは口元を押さえて、眉を寄せる。
「だから僕は、公表はしないであげる。でも無罪放免にするのもね。だから秘密裏に、三国の首脳を集めようってわけ。どうすればいいのかな」
マルセルは姿勢を変えようとして、顔を顰めた。傷に響いたのだろう。安静にしてもらわないと、治るものも治らないとレティシアは思った。
「私たちだって王族だし、三人で話し合うのはどう?」
「だって君、あの皇子の味方をしちゃうでしょ。もっと、国王クラスじゃないと意味がないよ」
レティシアは手を打った。
「それなら、むしろ簡単なんじゃないかしら? 私たちのお父様なんだもの。あとはドミール帝国の陛下に書状を出して、事情をご説明すればいいわ」
「君って、簡単に言うよね。……でもまあ、一理ある」
マルセルは気怠そうに、熱い息をはいた。
「マルセルさん、病み上がりなのだから、そろそろ休まないと」
「そうだね、ぼんやりしてきた。じゃあ、また明日来て」
「ええ。お休みなさい」
レティシアがベッドのカーテンを開けると、アルフレッドたち医師陣はいなかった。既に馬車で帰ったという。
まだ室内に留まっていたオルレニアの医師たちに、ガリエンヌ王国の薬剤技術を学びたいと頼まれた。レティシアは医師や父に伝えると約束する。
レティシアが望んでいる事は、こういう事だ。お互いの文化や技術を学び合えばいい。
それぞれの土地に、それぞれの文化が根付いている。それを奪うのではなく、育てなくてはいけないのではないかと、レティシアは改めて思った。
国に戻ったレティシアは王の間に行き、父と母に、ヴェルガーの野心などの現状を伝えた。近々三国の王が集まる機会を設けるので、まだことを荒立てないようにとも釘を打っておく。
「まだオルレニアの王子の言葉を鵜呑みにはできないが、婚約の話は白紙に戻し、警戒を強めねばならんな」
「白紙……」
分っていたことだが、父の言葉に、レティシアは肩を落とした。
――血族こそ油断できない。兄弟でも騙し合い、命を取り合う。
ヴェルガーの言葉を思い出し、痛ましく思う。
あの人は、頼れる人がいるのだろうか。
「私が、その存在になれたらいいと思っていたのにな……」
早めにベッドに入ったレティシアは、すぐに深い眠りについた。一晩眠っていなかった疲れが、どっと押し寄せてきたのだった。
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