「レティシア!」
いつもの国境沿いの森に行き、広い森林を見下ろしていると、レティシアは名を呼ばれた。振り返ると同時に、セスに抱きつかれる。
「死神さんたら、どうしたの?」
「嫌なことがあったんだ。慰めてくれ」
「まあ、どうしたの?」
レティシアはセスの黒衣の背中に手を添えて、もう片方の手でサラサラとしたブルネットの髪をなでた。セスは細身で女性的な容姿ではあるが、レティシアより頭半分背が高く、骨格はしっかりとしていて、しなやかな身体つきをしている。
「珍しいわね、死神さんが落ち込んでいるなんて」
「お前の場合、甘えた者勝ちだと、この数日で思い知ったからな」
セスはボソリと呟く。
「なに?」
「なんでもない」
セスはレティシアの額に額をつけて、ルビーのような瞳をみつめた。そのレティシア瞳が、不安げに揺らいだ。
「もしかして、二十年の代償、今取るの?」
「ああ、その話か」
セスの方も、歯切れが悪くなった。
「レティシア、実は……」
「そんなにレティシアに引っ付かないでくれるかな。僕、嫉妬しちゃうじゃない」
言葉の途中でセスは引っ張られて、大きな身体に背中から抱きつかれた。
「セスの背中は、僕の場所だからね」
「き、貴様!」
セスはマルセルにのしかかられていた。
「どうしたのマルセルさん! 死んじゃったの?」
レティシアも驚く。
「まさか、君と同じだよ。気づいたら自分の身体を見下ろしていてさ。どうやらレティシアと同じような体質になっちゃったみたいだね」
朗らかに笑うマルセル。
「残念だったね。夜はまた、レティシアを独占できると思ってたでしょ」
マルセルが耳元で、セスにしか聞こえない小声で囁いた。
「き、貴様……! 離れろ!」
「冷たいなあ、セスは」
そういいながら、マルセルはセスを離さなかった。腕力では、セスはマルセルに敵わない。
「マルセルさん、容態はどう?」
「順調に回復に向かっているよ」
良かった、とレティシアは胸をなでおろした。
「まさか僕まで、こんな体質になると思っていなかったけど。でも、丁度良かったよ。わざわざレティシアに、打ち合わせに来てもらう必要がなくなったからね。でも結果から言うと、明日また、国境を越えてもらうことになる」
「三国が集まる件よね。どういうこと?」
二人のじゃれ合いを笑って見ていたレティシアは、表情を改めた。
「ヴェルガーのことは、三国の王に決めてもらう。トップ会談だね。それでもし無罪となったら、僕はそれを受け入れるよ。でも逆に、最も重い罪になったとしたら、君が受け入れて」
最も重い罪。それはヴェルガーの死を意味する。
レティシアは唇を噛みしめた。
「正直、僕の証言とライフリングつきの銃だけじゃ、ヴェルガーを追いつめるには弱いと思うよ。ヴェルガーの近衛隊かなにかに、足に銃痕のある男がいるはずだけど、上手く隠しているだろうしね。それにあいつは弁が立ちそうだ。王たちの前でも、堂々と嘘をつくだろう。すると、正しい裁きが下せないよね」
振り払うのを諦めて、大人しくなったセスの頭に顎を乗せるマルセル。
「そこで、君の出番だ」
「何をすればいいの?」
「難しいことはないよ。ドミール帝国に行って、ヴェルガーと二人きりで話をするだけだ。君を攫った理由や、大陸征服のこと、僕の暗殺計画のことを聞くんだ。君しかいないと思えば、ヴェルガーも素直に話すんじゃないかな」
騙すようなやり方に、レティシアの胸はざわついた。
「それで聞いた話を、私はお父様たちに報告すればいいのね?」
「違う。壁に小さな穴を開けるなりして、隣の部屋で王たちに聞いてもらう。直接見聞きしたほうが、間違いがないだろ」
「次から次へと、よく悪知恵が働くものだ」
最後に茶々を入れたのはセスだ。マルセルは聞き流す。
「君の役目は重要だよ。洗いざらい、ヴェルガーに罪を白状させなければならないからね」
「私にできるかしら」
レティシアは嘘がつけない性分だ。しかも、顔に出る。
「君だって真実が知りたいだろ? 僕は刺客の表情を読み間違えたかもしれないし、もしかすると、僕は君に嘘をついているかもしれないよ。君は疑問に思うことを、全て本人にぶつけて確かめればいい」
レティシアは頷いた。それならできそうな気がする。
「ヴェルガーは、僕の生死をまだ知らないはずだ。僕の件で、君がどこまでかかわっているのか知りたいはずだし、大陸征服の野望も告白してしまったから、君とはしっかり話し合いたいと思っているはずだよ。だから、タイミングはできるだけ早い方がいいと思うんだよね」
「それで、明日なの?」
マルセルは頷いた。
「父には話をした。今回の件では、被害者である僕の国が優位だからね。既にドミール帝国の皇帝にも、協力を取り付けてある。あとは君の父上だね」
「簡単に報告はしているから、きっと大丈夫よ」
「そう。なら、話は早いね」
青い瞳の眼光が強くなる。
「明日、決着をつけよう」
マルセルの視線に、レティシアはうな垂れた。マルセルの命の危機が去った今、今度はヴェルガーが窮地に立っている。彼の場合は自業自得とはいえ、レティシアは図らずも、仕掛ける側になってしまった。心苦しい。
「そうそう、少しだけ君にも、芝居を打ってもらうかもしれない」
「芝居?」
マルセルの言葉に、レティシアは眉を寄せた
「陛下がたに待機してもらう部屋を決めなければいけないからね。その隣の部屋に、ヴェルガーを誘導してもらわなきゃ」
マルセルは笑みを浮かべながら、瞳は不敵に光っている。
自信のないレティシアは、情けなく眉を下げた。
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