「ということでね、明日にはイザベルとヴェルガー様から、結果報告をもらえるわ。きっと身体が見つかるわよ!」
待ち合わせの森で、得意げに進捗を告げるレティシアの前で、セスは明らかにげんなりとしていた。
「死神さん、どうしたの?」
レティシアが首をかしげる。
近くでにこにこと笑みを浮かべている金髪の青年を、セスは眉をつり上げて指さした。
「一日中こいつに、つきまとわれていたんだっ」
「無理強いなんてしてないよ。嫌なら帰ればよかったのに」
「貴様が脅迫するからだろ」
二人のやり取りを見ていたレティシアは、ぽんと手を打った。
「ケンカするほど仲良くなったのね」
「仲が悪いからケンカをするんだ!」
すぐに否定するセス。
「冷たいな。僕はこんなに、セスを頼っているのに」
「嘘をつくな。貴様にはうんざりだ!」
背中から抱きついてくる青年を、セスは乱暴に振りほどいた。
「ふうん、セスったら、そんな態度なんだ。……ねえレティシア、今日、部屋の花瓶が割れなかった?」
青年は途中からレティシアに話し相手を変えた。
「あら、どうしてそれを知っているの?」
「だってそれ、セスが……」
「わーわー、やめろ! 貴様、いい加減にしないと後悔するぞ!」
セスは顔を真っ赤にしながら黒衣を翻すと、青年の胸ぐらを掴んでレティシアから距離を取った。細い眉を吊り上げて涙目になっている。
「なぜムキになるのかな。君が執着するほどの魅力が彼女のどこにあるのか、僕にはさっぱり分からないよ」
「分からなくていい」
「婚約している割に、色気もないし。結婚なんて冗談かと思ったよ」
「それ以上発言したら、その舌を切り落とす」
セスは更に胸倉を締め上げた。
「あれ、人には不介入なんじゃなかったっけ、セス?」
「気が変わった。貴様は別だ」
セスの怒りに触れても青年は怯まず、笑みを絶やさない。
「別に、僕はどうなってもいいんだけどね」
青年は明るく輝く月を見上げた。
「僕は三日間、誰とも話せず、なんにも触れられず、匂いも温度も感じなかった。そんな状態がいつまでも続くのかと想像して、絶望していたんだ。永遠に続いたら、うんざりじゃない。だから一週間という期限があって、むしろホッとしたんだよ」
セスに、青年はにっこりと笑顔を向けた。
「だから、終わりは今だってかまわない。なにも覚えてないんだから、僕はそもそも、からっぽだ」
セスはその笑顔に鼻白み、手を離した。
「からっぽじゃないわ」
セスが青年の胸倉を強く締め上げたあたりから、心配して近くに来ていたレティシアが口を挟んだ。
「あなたには死神さんと私がいるでしょ。そんな事言うと、頑張ってる私たちに失礼よ」
レティシアは眉をつり上げる。
「それにもうすぐ、身体も記憶も戻るわ、自棄になっちゃだめ」
レティシアはニッと力強い笑みを浮かべて、軽く青年の胸を叩いた。
「死神さんも、彼は記憶がなくて不安でいっぱいなのよ。もっと優しくして」
「こいつは、不安でいっぱい、なんて可愛いタマじゃないぞ」
セスはぶつぶつと文句を言っている。
「ケンカをするなら、身体がある場所を教えてあげればいいじゃない。魂が戻って、いなくなるわよ」
「絶対に嫌だ。俺、不介入だし」
「あれ? さっき、気が変わったって言わなかった?」
そう揶揄した青年を、セスはキッと睨んだ。
「気が変わったのが変わったんだよ!」
「はいはい、また私の時間切れになっちゃう。今日はオルレニア王国を見て回る約束だったでしょ」
レティシアは青年の手を取り、低空飛行で移動を始める。高い所が苦手だ言っていた青年に気を使ってのことだ。
「昼間、オルレニア王国に行った? 何か思い出した?」
「行ってないし、思い出してないよ」
「あなたの身体がある可能性が一番高いって、昨日教えたでしょ。なんで行かないのかしら。時間がないのに」
むうっとレティシアは唇をすぼめてから、表情を改め、ギュッと青年の手を強く握った。
「お願いだから、さっきみたいに自棄にならないでね。あなたの目覚めを待ってる人が必ずいるわ。その人たちのために、頑張って」
「いる気がしないな」
飛ぶのをやめて、レティシアは自嘲する青年を真っ直ぐにみつめた。
「いるわ、絶対に」
「絶対なんてない」
「私がいる。昼間のあなたに会いたい」
レティシアは両手で青年の手を握った。
「あなたの体温を、ちゃんと感じたいわ」
青年は絶えず浮かべていた笑みの質を変えて、レティシアを見つめた。口角を上げてはいるが、青い瞳は笑っていない。
「なぜ君は、そんなに一生懸命なんだ」
「だって私、あなたの事情を知っちゃったんだもの」
レティシアはにっこりと微笑んだ。
「あなたの力になりたい」
「……なんだか僕、君みたいな偽善者は苦手なようだよ」
青年は手を抜いた。レティシアはめげずに、もう一度青年の手を掴んだ。
「ボランティアだと思えばいいわ」
レティシアの言葉に、青年は眉を顰めた。
「あなたが記憶を失ってから、今日で四日目。あなたに残された時間はあと三日でしょ。どうせ死神さんと私しか話し相手がいないし、やることがないんだもの。私が霊体になる夜の数時間だけ、私にあなたの時間をちょうだい」
またレティシアは青年の腕を引き、オルレニアの独特の街並みを見ながら、ゆっくりと飛んだ。
「私は困った人を放っておけない性分なの。だからこれは、自己満足なの」
「僕は困ってない」
レティシアは腰まである緋色の髪をなびかせて振り返った。ルビーの瞳に月光が差し込んでいる。
「諦めて。私たちは出会っちゃったんだもの。お互い、全力で妥協しましょう!」
「……」
青年はレティシアと会ってから、初めて困惑した表情を浮かべた。
「変わった人だ」
「よく言われる」
セスは不機嫌な表情で、黙って二人の後ろをついてきている。
「名前がないと不便じゃない?」
「別に」
「私が不便だわ。案はある?」
「ない」
「じゃあ私が決めるから文句を言わないでね。そうね、あなたの瞳は青色だから、サファイアにしましょう!」
「……」
レティシアは強引に命名した。
「この街並みに、見覚えはない?」
「特に……」
オルレニア王国は貿易で栄える港湾都市なだけあって、港から放射線状に道が伸びて発展している。
新しい建築技術を取り入れては改築、増築しているため、ゴシック、ルネサンス、バロック、ロココと建築様式がバラバラだった。青や緑や橙と色も鮮やかで、屋根の形も様々。効率重視で縦長のシンプルな建造物が目立つドミール帝国とは、対極ともいえる。
「いいなあ、見てるだけで面白い街よね。ドミール帝国はほぼ内陸で、オルレニア王国とガリエンヌ王国が海岸沿いを二分してるんだけど、ガリエンヌ王国は別の大陸と交流がないのよね。閉鎖的で、ちょっとよくないかも」
「国内ですむなら、それに越したことはないんじゃないかな。貿易なんて、輸送距離が長くなればなるほど、リスクが高くなるものでしょ。仕入れたものを隣国に売りさばけるなら、危険を冒す価値があるかもしれないけれど、大陸内の国交はあまりないしね」
「まあ、サファイアさん、詳しいわね。何か思い出した?」
「……いや。一般論だよ、こんなの」
サファイアは考えるように、薄い唇に親指を当てた。流れるように口にした言葉を、反芻しているようだった。
「もやもやするな。名前ぐらい思い出せたらいいのに」
サファイアという名が不満のようだ。
それからサファイアは海岸に視線を向けた。海は深い藍色で、水平線から海岸に向かって帯状に青白い月明かりを映していた。
海を見つめるサファイアの表情からは、レティシアはなんの感情も読み取れず、それが少し淋しかった。
「ところで君は、なぜ僕の手をずっと握ってるの? 逃げやしないよ」
「私ね、今日目覚めて、とても体が重かったの。だからサファイアさんって、実はものすごく疲れてるんじゃないかって。少しでも助けになればと思ったの」
そう言ってから、繋いでないほうの手をレティシアは振った。
「もしかして、嫌だった? なら離すわ」
サファイアは、離れたレティシアのほっそりとした手を目で追った。
「そうだ、離れろよ。ダメージを受けるのは肉体の方であって、霊体の状態が変化する訳じゃないんだからな」
セスがタイミングを見計らっていたように割りこんだ。レティシアは「うむむ」と唸って唇を窄める。
「それならやっぱり、なるべく肉体が疲れない方がいいと思うんだけど」
サファイアは見ていた自分の右手を、レティシアに差し出した。
「やっぱり、手を貸してくれるかな」
レティシアは助けを求められたのが嬉しくて、その大きな手のひらに手を乗せた。その後ろで、セスが眉をつり上げる。
「この身体は地面さえ通りぬける。綿毛のように漂うことしかできない。精神的にも不安定になりがちだから、なにかに触れているのは、安心するよ」
「その気持ち、分るわ!」
微笑むレティシアにつられ、サファイアも口角を上げた。
「君は、ずっと笑顔だね」
「私はこういう顔なのよ。よくふやけてるって言われるわ。そう言うサファイアさんも、いつも笑顔よ」
「僕の場合は……、まあ、いいや」
サファイアは、空いている手で、自分の頬をなでる。
「僕は、どんな顔をしているんだろうか。鏡にも水にも映らないから、分からないんだよね」
「あら、素敵よ。安心して」
「髪は金色なのは、かろうじて見えるんだ。目が青いのは、君が言っていた」
レティシアはサファイアの顔を観察する。
「金色の眉はきりっとしているわ。瞳に影が落ちるくらい彫が深い、ほら」
レティシアは細い指でサファイアのパーツをたどりながら説明した。
「少し目じりは下がっていて、優しい瞳をしているわ」
「優しい? その言葉は違和感があるな」
「それは忘れているからよ」
レティシアは指を下げる。
「鼻は高くて、唇は薄くて大きくて、とても形がいいと思うわ。歯並びもいいし……」
「どうかした?」
改めて秀麗な相貌だと見惚れてしまったレティシアは、ベタベタと触っているのが恥ずかしくなって、指を離した。
「顎もしっかりしてるから、きっと固いものもバリバリ食べられるわ。いっぱい食べたから、こんなに大っきくなったのね」
レティシアは早くなる鼓動をごまかすように、茶化す口調で付け足した。
「どう、なんとなく分った?」
「君が表情豊かなことは、よく分かった」
「それは関係ないじゃない」
レティシアは眉を下げた。
「ね、君の瞳に、僕が映っているような気がするんだけど」
「本当? 鏡代わりになりそう?」
レティシアは思い切り目を見開いて、瞬きを我慢した。
サファイアの青い瞳に、至近距離から見つめられると、頬が火照るのを感じたが、私は鏡だと言いきかせて堪える。
しばらく見つめ合う間、レティシアもサファイアの瞳の中に自分を探して緊張を散らしていたが、自分の姿は映っていないようだった。
「そんなに見開かなくても、普通でいいよ」
「鏡なんだから、そういうわけにはいかないわ」
そのうちに我慢の限界が来て、レティシアの瞳に涙がにじんできた。プルプルと瞼が痙攣する。それでも閉じないよう瞼に力を込めた。
「はははっ! 君、凄い顔になってるよ。もういいよ」
サファイアは腰を曲げて笑い出した。今までの、作り物めいた笑いとは違った。
「見えた?」
「君が変わっていることは、よく分かったよ」
「それは聞いたわ。もう、からかったのねっ」
それから三人は和やかな雰囲気でオルレニア王国の街を見て回った。
しかしこの夜、サファイアが記憶を取り戻すことはなかった。
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