昼食後、自室でお茶を飲みながらイザベルの報告を受けたレティシアは、がっかりした。
「本当に、いないの?」
「我が国に関しては、間違いありません。そもそも、レティシア様のおっしゃるような容姿の方が少ないので、調べるのは簡単だったんです。若くしてずっと寝たきりの貴族ならいるのですが、容姿が違いすぎますし」
「ドミール帝国も、それは同じだったのでしょうね」
ヴェルガーからも、該当者なしだと手紙が届いていた。
「やっぱり、オルレニア王国なのね」
「いえ、あちらの国でも、数日間意識不明の上流階級の方はおりませんでした。なにかがあれば、それなりに噂になるものですからね。市井の者までは調べることはできませんが」
「いいえ、絶対にサファイアさんは貴族よ」
レティシアは断言した。
「お召し物でそう判断しているのでしたら、豪族という可能性もありますよ」
「しっくりこないけれど、否定はできないわね」
レティシアは紅茶を飲みながら、サファイアを思い出す。
大きな手は柔らかく、商売人の手ではない気がしたし、なにより品があった。王侯貴族は幼いころから帝王学を学ばされるので、教育を満足に受けられない一般人とは、どうしても雰囲気が違ってくる。
「他にどんな可能性があるのかしら? オルレニア王国から入国して滞在している、他国の貴族とか」
「その線はありえますね。でもそうなると、どう調べたらいいのやら」
イザベルは、レティシアのカップに紅茶の追加を注いだ。
「そもそも、身体が隠されているっていう線は? 誘拐とか、行方不明とか」
「そんな事件があったら大騒ぎになるので、もっと分かりやすいはずですよ。……ああ、そういえば」
「なあに?」
言葉を止めたイザベルを、レティシアは見上げた。
「これは噂レベルですけど、オルレニア王国の殿下お二人の姿が、この数日、見えないそうです」
「どういうこと?」
レティシアはカップを置いた。
「毎年、両陛下にご同行される公務に、殿下がお出ましにならなかったそうです。それに、王城にもお姿が見えないとか。だから、殿下たちになにかあったのかと、心配する声があるそうです。ですが、王室になにかあったら、それこそ国民に知らせる義務がありますからね。ただの噂だと思います」
「お二人の年齢って、確か……」
「二十五歳と二十四歳ですわ」
「それよ!」
レティシアは立ち上がった。年の頃も合っているし、レティシアにとって豪族説や他国の貴族説よりも、しっくりとくる話だった。
「情報公開できない何かがあの国で起こったのよ。私、面会を求めるわ」
「レティシア様、本気ですか?」
「もちろんよ。おかしいことじゃないでしょ?」
レティシアは外出の準備をするために、衣裳部屋に向かって歩き出した。
「おかしいわけではありませんが、根回しといいますか、お時間がかかります。ヴェルガー皇太子殿下が初めていらした時だって、お知らせをいただいてから対面まで、一月以上かかっていますでしょ。王族同士の方が、ややこしいこともあるんです。ご婚約をされた今となっては、皇太子殿下は出入り自由ですけど」
「そんなこと言われても、一月も待てないわっ」
レティシアは足を止めた。
「夜を待って確かめるしかないのかしら。あと二日しかないのに」
しかもセスは目安と言っていた。もっと早く肉体が力尽きてしまう可能性だってあるはずだ。
今すぐ馬を走らせたい気持ちを抑えて、レティシアは深呼吸した。
「焦っても仕方がないわね。もし合っているのなら、今晩サファイアさんをオルレニアの城に連れて行けば解決だもの。私は万が一のために、別の可能性を潰しておくべきなんだわ」
レティシアは自分に言い聞かせた。
レティシアは、オルレニア王国の豪族や滞在中の別大陸の貴族を中心に、再調査をイザベルに頼んだ。
その夜、いつもの森で再会した三人は、すぐにオルレニア王国に向かった。当たり前のように手をつなぐ二人を、セスは憮然とした表情で見ている。
「レティシア、セスが僕たちを羨ましがっているよ」
「え、なぜ?」
飛びながら、不思議そうな顔でレティシアはセスを振り返った。
「そんなわけねぇだろ!」
「まあまあ」
否定するセスの手を取って、サファイアはレティシアの空いている方の手に、セスの手を握らせた。
「僕たちが楽しそうに見えるんじゃない?」
「死神さんったら。遊びに行くわけじゃないのよ」
「だから、そんなんじゃ……」
そう言いながらも、セスはレティシアの手をしっかりと握った。
「昼間付き合ってくれたお礼」
サファイアはセスに耳打ちしてウインクする。セスは白い頬を染めたままサファイアを睨んだが、まったく眼力がなかった。
「今日はオルレニア王国を回ったの?」
「セスと一緒にね。なにか思い出せそうな気もしたんだけど。城の中にまでは入らなかったな」
サファイアが答える。
三人が目指すのはオルレニア王国の白亜の城。あらゆる建築様式を取り入れ、城門館を正面に、四階まである本館など複数の館や塔で構成されている美しい城だった。あえて周辺に残した木々と城が、灯りと共に運河に映りこんでいる。
もうひとつ、オルレニア王国の特徴として、信仰心が厚いことが知られている。城内に大規模な礼拝堂があるのだが、すぐ近くにもステンド・グラスの美しい大聖堂が建っていた。交易と同じく、布教活動も盛んだった。
「さすがに広いわね。どこから入るのかは、サファイアさんに任せるわ。自分でも気づかない記憶が残っているかもしれないし」
「そうだな、二階から行こうか」
サファイアは、チラリとセスを見た。
「いや、三階か。西側かな?」
「な、なんで俺を見るんだよ」
サファイアの視線に気づいたセスが眉を寄せる。
「セスは僕の身体がどこにあるか、知ってるんでしょ?」
サファイアはセスの視線を探っていたのだった。
「やっぱり、お城の中にサファイアさんの身体があるのね! どうせ部屋を総当たりすれば分かるんだから、場所を教えて!」
「俺はなにも言ってないぞ!」
逃げようとするセスの手を、レティシアは離さなかった。
「死神さん、お願い」
懇願するレティシアの瞳に見つめられ、セスは怯んだ。
「勝手に視線を盗み見といて、今更俺が言うこともないだろっ」
セスは拗ねたように顔を反らせて、漆黒の瞳を伏せた。
「三階、西側のどこか、か」
サファイアは呟いた。
「死神さん、ありがとう!」
レティシアは嬉しくなって、セスに抱きついた。
「行きましょう!」
城に近づいてみると、三階の左端の部屋が、他の部屋と違っていることに気付いた。厚いカーテンが閉まっているだけでなく、窓に目張りがしてあるのだ。
三人は頷き合って、その部屋に飛び込んだ。
特殊な部屋だった。
蝋燭が煌々と灯り、広い部屋には天蓋つきのベッドが二つ並べられ、周囲に十人ほど人がいた。皆、黙ったまま動かない。
侍従と医者だ、とレティシアは悟った。
部屋の重々しい雰囲気につられて、三人とも押し黙った。
サファイアを先頭にして、二つのベッドの間から、ベッドに眠る二人の人物を覗いた。
二人とも、よく似た顔立ちだった。
肩近くまであるウェーブの金髪に、高い鼻梁と薄い唇。しっかりとしたフェイスライン。逞しい体躯には、白い絹のブロケードを身に着けていた。
そしてその一人は、間違いなくサファイアだった。
「サファイアさんよ! やったわ、元に戻れるわね!」
レティシアは手を叩き、思わず叫んだ。
「僕の、身体……」
眠っているサファイアの顔色は蒼白だった。緩められているシャツから、白い包帯が見えた。それは隣のベッドで眠る男性も同じだった。
「僕は怪我をして……っく」
「サファイアさん!」
屈むサファイアの顔を、レティシアは覗き込んだ。サファイアは頭を押さえて、苦しそうに顔を歪めている。
「サファイアさん、大丈夫?」
レティシアはサファイアの広い背中に手を置いた。
「……僕は、マルセルだ」
「え?」
「僕は、マルセル・テュイリエ。……思い出した」
マルセルの碧眼は、知性の光を帯びた。
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