翌日の昼過ぎ、レティシアは侍女のイザベルと馬車でドミール帝国にやってきた。ついでに山越えに協力してくれた白馬を連れて、返却した。
「よく来たな、レティシア」
イザベルは別室に案内され、別行動となった。ヴェルガーの部屋に一人通されたレティシアは、緊張してぎこちなく手を差し出した。その手を取って、ヴェルガーは口づけをする。
「この怪我はなんだ?」
レティシアの手の包帯を心配するヴェルガー。「いえ、ちょっと」とレティシアは曖昧な返事をした。
「また監禁されるとは思わなかったのか」
レティシアは固まった。
「冗談だ、もうしない」
いつもすました表情のヴェルガーがどんな顔で冗談を言ったのかと、床ばかり見ていたレティシアは顔を上げた。すると思いのほか、ヴェルガーは優しい笑みを浮かべていてドキリとする。
「どうやらわたしは、浮かれているようだ。あんなことをした後だ。お前には暫く会えないかと思っていた。歓迎する、レティシア」
額に柔らかい口づけが落とされて、レティシアの胸はチクリと痛んだ。
「そこに掛けるといい」
椅子に促されるが、レティシアは座らなかった。
「宜しければ私のためにご用意してくださったあの部屋でお話しをしたいのですけど」
レティシアは緊張のあまり、平坦でおかしなイントネーションになった。
「そんなに怖がるな。あれには事情があった」
レティシアの態度がぎこちないのは監禁の後遺症だと、ヴェルガーは勘違いしているようだ。
「あ……」
ヴェルガーに引き寄せられると、引き締まった身躯に優しく包まれた。
「あの日は強引すぎた。悪かったな。わたしとしたことが、あの後、お前に嫌われたかと不安になっていた」
「そんなこと……」
襟元のクラヴァットに顔を埋めると、柑橘系の爽やかな香りがする。ヴェルガーらしい匂いに、少し心が落ち着いた。
「あの、事情とは、なんですか?」
「おいおい話す」
レティシアは髪をなでられた。体温の低いその手が心地よい。
「あの部屋を気に入ったのなら良かった。わたしの部屋の周辺は兄弟の部屋も近い。顔を合せて、良いことはひとつもないからな。だからお前の部屋は、あえて離してあるのだ。少し歩くぞ」
「はい」
レティシアは首肯する。
ヴェルガーの腕に手をかけて、レティシアたちは歩き出した。
レティシアは大きく膨らんだワイン色のドレスを身に着けていた。胸元から背中にかけて広く開いており、重ねてつけたネックレスの光が強調されている。ドレスと同じ生地の艶のあるヘッドドレスも、太陽のようなレティシアの髪に良く似合っていた。
――君が監禁されていた、薔薇の壁紙の部屋に連れて来るんだ。初めからそこに通されるなら好都合だけどね。
ヴェルガーに部屋まで案内されながら、レティシアはマルセルの言葉を思い出していた。
――彼の部屋の周辺は、皇族か、それに近い者たちだ。万が一にも話を聞かれると、問題が大きくなる可能性がある。彼の部屋で計画を実行するのは、ちょっとリスクが高そうだよ。
その点、レティシアのために用意された部屋の周辺は客室ばかりで、あまり人がいないのだという。
――昨日話したとおり、君たちの会話が聞こえるように壁に細工しておくよ。そうしないと、さすがに隣室でも、声は聞こえないだろうからね。
三人の王たちは今頃、レティシアの部屋の隣で待機しているはずだった。
「どうした、まだわたしが怖いのか?」
「い、いえ、違います」
はっと我に返り、高い位置にあるヴェルガーの顔を見上げると、気遣わしげな表情をしていた。
「ヴェルガー様……」
レティシアは、このまま約束の部屋に連れて行っていいものかと考えた。
ヴェルガーは罪を犯した。そして放置していれば、これから先も野望を成し遂げるため罪を重ねるだろう。
行いを全て告白させ、ふさわしい罰を受けさせなければならない。
そう考えるが、気持ちが落ち着かなかった。
マルセルの提案は間違っていないし、最大の譲歩をしてくれていると思う。命を狙われ、生死の境を彷徨った当事者としては、あり得ないほどの温情だろう。それを踏まえても、こんなだまし討ちのようにしていいのかと、レティシアは悩むのだ。
どこかで、ヴェルガーを守れるのは自分しかいないのではないか。他に方法があるのではないかという迷いがある。
それは自分が決めることではない。だからこそ、各国の王が集まった。そう頭では理解できる。
……だが。
「レティシア?」
レティシアは足を止めた。
「ヴェルガー様、こちらは、どなたの部屋ですか?」
レティシアは、近くのドアを指さした。
「客室だ。この辺りは空いているはずだが」
それがなんだと、ヴェルガーが不振な目を向けてくる。
ごくりと、レティシアは生唾を飲んだ。
腹を決めた。
「ヴェルガー様、こちらの部屋へ」
レティシアはヴェルガーの手を引いた。
――レティシアはマルセルとの約束を、破った。
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