STELLA

歌舞伎町には食人鬼が存在します。
87U25
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2.「ただの入れ物に、何の価値があるのだろう」

公開日時: 2021年7月4日(日) 20:13
更新日時: 2021年7月4日(日) 20:17
文字数:3,614


 見上げると、混じり気のない青色がどこまでも広がっていた。


 突き刺すような光にキュッと目を細める。

 まだ五月が始まったばかりなのに、随分と陽射しが強いと思う。頬を撫でる少し強気な風がちょうど良い。周りを見渡すと自分と同じ目的であろう生徒が数人いた。

 「日焼けしそうッ」と言う情緒も何もない声がうしろから聞こえて、仕方なく振り返った。


 友人Aが片手で顔を隠しながら、もう片方の手で器用にも弁当を広げようとしている。

 地べたにべたっと座りながら、スカートが汚れることもお構いなしに。友人Bはその様子を見てせせら笑っていた。そう言えば彼女は教室を出る前に焼け止めを塗っていた。


 どうしてスカートが汚れることを何も思わないのだろう。

 甲高い声を聞きながらぼんやりと考える。友人たちは見た目にひどくうるさい。スカート一つ折り込む作業ですらまるで職人のような手つきでやっている。それなのに細菌まみれの地べたに座ることには全く抵抗がないように見える。それがほんの少しだけ分からなかった。


 黒ずんだ白いタイルは購買で売っているパンやお弁当などで埋め尽くされている。

 あぁこうしちゃいられない。役に立たない思考を放り投げて急いで自分もその輪に入る。彼女たちと同じように地べたに座りこんだ。




 きゃあきゃあと言う声を右の耳から左の耳へ。

 焦点がいまいち合わない中で銀色の封を切れ目に沿って開ける。中には馴染みのある茶色い焼き菓子が画一的に並んでいた。


 一つ手に取り口に放りこむ。

 口内の水分が奪われないうちに水で胃の中に流しこむ。菓子、水、菓子、水……の繰り返し。美味しいかどうかはよく分からない。最早作業に近かった。


 視界の隅では友人たちが身体を寄せ合って何やら内緒話をしている。

 自分の食べる姿を小さく指差しながらニヤニヤと笑っていた。いつものことだ、すぐに興味を失くすだろう。視線に気がつかないふりをしていると、予想通り、数分も経たないうちに彼女たちは手元の携帯に夢中になった。


 やれ担任は気持ち悪いだの、やれ隣のあいつはカッコいいだの、いつもと代わり映えのない話が続く。

 周りを見渡すと、皆一様に真っ白い歯と口腔を見せながら笑っていた。味がないガムを噛みつづけているように感じているのはどうやら自分一人らしい。

 彼女たちの姿が正解というのであれば、心を無にして相槌を打つしかない。わざとらしく歯を見せて笑いながら何とかやり過ごした。


 「ねぇ、羊子。あんたそれ、もうボロボロじゃない?」


 何かの拍子で会話が途切れたとき、友人Cが珍しく自分に声をかけた。

 彼女が指差している先にはレザー調の三つ折り財布がある。


 「んー……もう替えたほうがいいかなぁ? まだ使えるんだけど」

  

 視線を手元にやり、くたびれた財布の縁をなぞる。

 ペロンと剥がれかかっている生地が爪に引っかかった。梅干しみたいな色だ。自分の記憶が間違えでなければ、もっと明るい色だったような気がする。いつ買ったのか全く思い出せない。


 「なんていうかダサくね?」

 「財布なんだから穴あいてからじゃ遅いっショ」


 顔をあげると、友人たちはいかにもどうでもいいですと言った顔をしていた。

 ひとりが胡座をかこうと脚を組み直したので、日焼けを知らない真っ白な太ももが晒される。なんだか見てはいけないものを見てしまった気持ちになって、慌てて手元の財布を見た。苦し紛れにもう一度財布の縁をなぞると、今度こそ生地は剥がれ落ちてしまった。南無阿弥陀。


 「アタシだったらぜったい買い替える。てか買い替えるほうが普通じゃね?」


 電池が切れたかのように撫でる手が止まった。

 ズッズッと蛇のようなものが這いずりながら頭の中に住み着こうとしている感覚がする。

 顔を上げて声の方を見ると、友人Cが傷みきった髪から出てくる枝毛をいじっていた。「普通?」と聞き返してみても返答はない。彼女は周りが見えないくらいに手元に集中している。


 普通、普通、普通、と舌の上で転がすと、不思議なことに住み着こうとした何かが泥のように崩れ、身体中に染み渡ったような気がした。


 「よし、買おう」


 宣言をするかのように少しばかり大きな声で言った。

 動かすのがいくらか億劫になった身体を無理矢理動かしてギュッと拳を握りしめる。友人たちが目を大きく開きながら一斉に振り返った。視線は雄弁だ。優柔不断を体現したかのような自分がここまでハッキリと発言するのが珍しいのだろう。


 今流行りの柄ってなにかな。

 ブランドは前と同じでいいかなぁ。値段はどれくらいだったっけ。ン、あれ待って、待って、もしかして。

 そうして、どうしようもない事実に気がついてしまった。「でも今月そんなにお金ないかも……バイトでもしようかなぁ」どうせ相手にされないだろうと思いつつも思わず言葉が漏れた。


 えいえいと爪で財布の傷口をいじくる。

 予想通り返答はない。が、何だか妙な沈黙だ。あれ何かおかしなこと言ったかな。見ると友人たちは意味深に顔を見合わせていた。


 「パパ活」

 「エンコー」

 「援デリ」


 皆一様に口を三日月にさせながら目を細めて言った。

 心なしかその瞳は捕食者のようにギラついているように見える。「出来れば合法的なものがいいです……」と小声で呟きながら苦笑いをした。


 初バイトがそれってなかなかに勇気がいる。

 そもそも貴女たちと自分では違いがありすぎる。難しいと思うんだけれども。


 友人たちの髪は太陽を反射するほどピカピカで、耳には数えきれないほど穴が開いている。

 ぷっくりと丸みを帯びている唇はさくらんぼみたいに色づいていて、その下には大胆にも露出された豊満な胸元があった。いやいや自分との違いをあげたらキリがない。とにかくなんというか、そう、有り体に言えば自分には色気がなかった。


 どうしようもない気持ちになって足を組み直す。

 いわゆる体育座り。下着が見えないようお尻のスカートをグッと引っ張った。胸元まである一度も染めたことのない髪を指でつまみ、耳たぶにもそっと触れる。友人たちのような装飾品はひとつもない。そろそろみんなとお揃いにするべきなのかなぁ。


 「そんな難しいもんじゃないよ。簡単簡単。股開いてば一瞬で終わるって。アンタなら一回で五万はいける」

 「男ってホント単純。バカ。かわいいは正義」

 「みんなやってるみんなやってる」


 友人たちがそう得意げに言うので、息が詰まりそうになった。

 そういうものなの、そういうものなのかな。「じゃあパパ活するね」と伏し目がちに言うと、彼女たちはお家芸のようにまたも顔を見合わせた。あぁ、もう。


 「いやアンタ正気?」

 「なんかアンタ見ると不安になるわー。流されやすすぎ」

 「黒髪ロングヘアーで童顔じゃん? ヤバいやつしか捕まらないよ」

 「ホント天然っていうかさ、どっか抜けてんのよ」

 「マジ変な男に騙されんなよ」

 「非合法なの知ってる?」


 呆れたような響きに身を縮めた。

 そこまで言わなくてもいいじゃないか。私だって一応少しは傷つくんだぞ。砂が付いてしまった自分の膝小僧が見える。こういう時、自分が絶対に口を挟まないと友人たちは知っている。

 「処女なんだからさァ」と誰かが馬鹿にしたように鼻を鳴らして、たまらず身体を小さく小さくしようとした。


 甲高い声をぼんやりと聞きながら、彼女たちの言うみんなやっていることをする自分を想像した。


 顔面を皮脂で光らせた頭部が薄い男に金額を交渉する自分。

 きっと視線をウロウロさせて、結局は足元を見ることしか出来なくなるのだろう。男は「これでどう?」と言って最初の金額よりずっと安くしようとする。

 まぁそれでも仕方ないかな、なんて頷いちゃうんだろうな。貼り付けた笑顔のまま男の言いなりになる自分が容易に想像出来た。


 だって自分の価値なんてそれくらいかもしれないし。

 そのあとは……うーん、想像出来ない。教本とかあったらいいんだけれど。いや馬鹿なことを言っている自覚はありますが。「ねぇ聞いてんの?」顔をあげると目を三角にさせた友人Bの顔。アッやってしまった。

 

 「あ、新しい自撮りアプリ入れたからみんなで撮ろうよ」

 

 ゆるゆると頬を緩ませながら携帯を取り出す。

 ピンク色のアイコンをタップして目の前に突き出した。様子を伺っていた友人Aが「あーっ、それ気になってたやつ」と言って携帯に顔を近づける。

 友人Bを見るとその目はもう三角じゃない。良かった、昨日インストールしていた甲斐があった。


 「てか聞いてよ元カレがさ」と横から裏返った声が聞こえる。

 耳にタコができるくらい聞いた話だが「何かあったの?」と興味深そうに聞き返す。そんなこと微塵も思ってないくせに、あぁ面倒くさいな。ヘラヘラと笑いながら適当に相槌を打つ。


 早くお昼休みが終わって欲しい、早く放課後になって欲しい、早く一人になりたい。

 マァそう思いながらも、自分はこの時間を手放すことなんてしないだろうな。そんな勇気は生憎のところ持ち合わせていない。


 なんだかんだ言いながらも、ここにいるのは自分の意思なのだ。


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