リンダちゃんは本当の本当に嬉しそうだった。
まるで好きな人の話をする乙女のようにきゃあきゃあとはしゃいでいる。
「食べるならそう、身長百五十五センチくらいの黒髪の処女が良かったの。傷がなくて黒子が少ない子。あら気に障ったのならごめんなさいね、ふふふ。昔はね黒髪だったら全員処女だと思ってたのよ、偏見? 違うわ統計よ統計。だってこの街だと黒髪はそう珍しくないけれども、処女じゃない子だってザラだしね。上京したてのちょっと田舎っぽい子を狙ってみても、あらなんてことでしょう、処女っぽい子が好きな男に対してわざとやってたりしてね、私騙されちゃったことあるのよ、アハハハ……」
頬は真っ赤に色づいていて、心なしかふくふくしているように見えた。
溌剌としていて健康としか言いようがないその表情。それなのにどうしてだろう、その健全な表情に言葉に出来ない違和感がチラチラと垣間見えた。
なんて言えばいいのだろうか。
その恍惚とした笑みの中にはどことなく狂気があった。例えるなら、そう。最愛の人を殺された妻が犯人に復讐しようと悩みに悩み抜いた結果、憎しみと愛しさが勝ってようやく殺せた。その際に溢れ出る解放感が滲み出ていると言うべきか。
とにかくマァ、歯に衣着せない言い方をすれば目がイッていた。
淀みない声に混じってカチカチと音がする。
それが歯に当たっているピアスの音だとしばらくしてから気がついた。口の隙間から見えた舌先に、銀色の粒が三つ連なっている。リンダちゃんが喋れば喋るほどカチカチと音がして、メトロノームのようだった。
「先月食べた子なんて最悪。あなたに似て綺麗な黒髪の持ち主でね、あ、大丈夫よ。あなたの方がとっても素敵。怒らないで。そう、それで家出少女って言うからその辺も安心して持ち帰ったら、腕がなに、イカ焼き? みたいで。いやよ私、全身綺麗な子が食べたかったのよ。だから肘から先はぱっくり切っちゃって下水道に流しちゃった。そしたら怒られちゃって、ほんと最悪」
リンダちゃんの勢いは止まらない。
エメラルド色の瞳をまっすぐと自分に向けて喋り続けている。
喉は乾かないのだろうか。
とはいえ人の心配をしている場合ではないのだけれども。そんな自分と言えば口をはくはくと酸欠の魚のように動かすだけだった。
リンダちゃんはくるみ割り人形のように微動だにしない。視線が変わらないまま口元だけ動いているのが、なんだかひどくおかしかった。
「男? 男はだめよ、論外。こう言う商売してるから金にはなるし大事にするけれども、味がダメ。まぁでもいい感じよね、男は金で女は肉。ほら昔から男は働いて女は家を守るとか言うでしょ、それよそれ、役割分担。ふふふごめんなさい、喋りすぎちゃった、我慢ができなくて、我慢ができなくてぇ……」
そうして遂に堪えきれなくなったのか、リンダちゃんが天を仰ぐようにして笑い始めた。
髪を振り乱しながら今日一番の大きな声で。突然都会の空に花火がはじけたように、金色の髪があっちこっちに揺れていた。
それでもリンダちゃんの視線が変わることはない。
顔を天井に向けながら、エメラルド色の瞳孔は下を向いている。白目を剥きながら、縦長の瞳孔がずうっと自分を見ている。どこからか何か地面を這うような音が聞こえてきた。それが笑い声と共に比例していく。
空気を読まない呆れたようなため息、
おそるおそる振り返ると掃除をしているロボさんだった。億劫そうに手を動かしているその様子からはリンダちゃんの高笑いも自分の存在も、なにもかも興味がないのが見て取れた。つまらなそうなその姿を見ても薄情だとは思わなかった。
リンダちゃんの声は過呼吸のような荒い息とともに、徐々に小さくなっていった。
代わりにズルズルと這うような音は大きくなっていく。重い石をゆっくりと動かすような、静かな音。その音の正体は全く検討がつかない。何か紐のような物を引き引きずったとしたら似たような音が出るかもしれない。
「あっ」見上げると大きな大きな緑色の目。
爬虫類特有のひし形だ。頭上の吐息は興奮を隠せない、忙しない息遣いだった。
苦しい! 何、何!
口を動かそうとしたら脚が地面から離れていた。
上から引っ張られるように身体が宙を浮く。首に何かが絡まり、首吊りのような状態に恐怖した。紐のようなそれを引っ掻こうとも全く歯が立たない。掴もうとしてもツルリと手が滑ってしまう。太く冷たいそれは筋肉の塊のように分厚く、緩まることを知らなかった。
バタバタと手足を動かしてみてが地面は一向に近づかない。抵抗の甲斐もなく首が締まるばかりだった。
呼吸が、呼吸が出来ない。
どうしようもない事実に身体の力がくてっと抜けた。酸欠で視界がぼやける。絶妙な力加減のせいか首の骨が折れたり窒息死するようなことはなかった。
焦点が合わない目で目の前の影を確認する。何、何かがいる。何か大きなものが、いる。
大蛇だ。
人を丸呑み出来そうな大蛇の顔が目の前にある。
近すぎて分からなかった。
あぁ首に巻きついているこれは蛇なのかとぼんやりと思いつく。いやいや、待って、蛇と言い切るにはいささか大きすぎやしないか。店内を占領するほど大きい金色は、どれくらいの長さがあるのだろう。いったいどこから出てきたのか。
そもそも、だ。
尾と細長い胴体を見て蛇と判断したけれども、自分が知っている蛇には蓮の種のような六つの目は存在しない。人間に似ている太い腕が四本も生えていない。
蛇ってそんな姿だっただろうか。何度見ても目の前の蛇は創作の世界に存在するような姿だった。
危なかった、ロボさんの姿を見た直後で良かった。
あの存在を知らなかったら普通に漏らしていたかもしれない。
ふたつに割れた長い舌がペロリと頬を舐めてきた。
味見のような仕草だ。ヒヤリと冷たい金属の感覚がする。舌には見覚えのあるピアスがあった。
「我慢できない、我慢できないわ。ここで食べちゃおうかしら。そうね、それがいいわ。食べちゃいましょう」
大蛇が人と同じ言語で喋った。
ハスキーな声は何度も聞いたことがある声だ。あぁ結局、運命は変わらないんだな。「これだけ床が汚れていたら関係ないわよねぇ」とリンダちゃんであろう大蛇が独り言のように言った。
視界の隅で、掃除をしているロボさんが視線を床に向けたまま手を振った。
「最後に言い残すことはある?」
干し肉のように吊るされた身体が引き寄せられた。
荒々しい息が前髪を吹き飛ばそうとする。ついに首が悲鳴を上げそうになった。言い残すことって何だろう。もしかして自分はここで死ぬのだろうか。本当に、本当に?
そう言えば死に間際には走馬灯が走ると聞く。
これから本当に死が訪れるのであれば、そろそろ走ってもいい頃なのでは。
もしかして、もしかして、自分には思い出と言えるものがないのだろうか。
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