女神大戦

‐The Splendid Venus‐
灰原康弘
灰原康弘

第四章 白虎地区②

公開日時: 2021年3月1日(月) 20:02
文字数:3,606

 いつもは夜明けとともに目を覚ます凛香だが、寝る直前に衝撃的な出来事を体験したせいか、寝坊をしてしまったようである。そんな彼女が目を覚ました理由は、尊によってたたき起こされたからだった。

 しかも、凛香を軽く蹴るという暴力的な起こし方をした少年は、少しも悪びれることなく、たまには叩き起こすというのも悪くないなとうそぶくのである。


「とっとと準備しろ。運動の時間だ」

 先日とおなじ言葉で凛香をせかす。

「は、はやいな柊。待ってくれ、いま準備する」

 二人は昨日とおなじように走りだした。

 とくになにも話すことなくランニングを続けていたが、人気のない裏路地で、凛香に不意打ちの攻撃を仕掛けながら、不意に尊が口を開く。



「今日の予定だが、午前九時から白虎地区に行くぞ」

「なに……?」

 しかし、凛香は攻撃を裁くので精いっぱいである。

「白虎地区へ行くと言ったんだ。貴様、この俺に二度もおなじことを言わせるな」

「……っ! いったい、なにをしに行くというんだ!? それに、学園はどうする!?」

「貴様皆勤賞でも狙っているのか? なら心配するな。公欠扱いだからな」

「私はそういうことを言っているんじゃ……病院になんの用だっ?」

「あのフロイト博士に話を聞きに行くそうだ」

「ふろ……内海先生か……っ? 学園長たちは、やはり、先生を疑っておられるのか?」

「言ったはずだ。現在、やつは最も分かりやすい容疑者だ。貴様の件だけでなく、今回のことに関してもな」

「今回のこと……?」

 凛香が眉をひそめる。その瞬間、彼女は地面に組み伏せられた。




 午前九時過ぎ。尊たちは白虎地区を訪れた。

 ここ白虎地区は、地区長が女ということもあってか、女性の社会進出が進んでいる地区でもあるらしい。〝就職に関するサポート〟、あるいは、〝母子家庭に対する福利厚生〟、または、〝共働きの家庭への子育て支援〟、などと言った内容の看板が掲げられ、それは地区を挙げて支援されているものらしい。それもあってか、住民の比率は男よりは女の数が多いようだった。


〝女性優遇〟というのが、白虎地区の特色であるらしい。

 鹿谷精神病院もまた、そのことを頭に入れてみてみると、病院で働いているものはそのほとんどが女である。男もいなくはないが、その数は決して多くない。

 先日とおなじように、尊たちは応接間にて内海楓と東郷紫の両名と対峙していた。


「いったい、なんだというのだ、このような時間から。前回も言ったが、彼女は多忙だ」

「それは悪かったな。だが安心しろ。まえにも言ったが、そうやって貴様が絡んでこなければ、すぐに終わる」

 いつもと変わらぬ態度の尊に、気を張り詰めるのは朱莉と凛香である。なにせ、今日は瀬戸も律子もいないのだ。万が一のときは、自分たちが尊の暴走を止めなければならない。


「内容は、おおよそ瀬戸さんから聞いています。未明に見つかった遺体が、私の患者であるそうですね」

 内海が言った。


 事件発覚は零時過ぎだったにもかかわらず、瀬戸は監察医を叩き起こして遺体の検視をさせたらしい。歯の治療痕から身元を割り出し、彼の自宅へ行った結果、現在、彼は内海の患者として鹿谷精神病院に通院しているようだった。

 彼の名前は笹原浩平ささはら こうへい。年齢三八歳、独身で一人暮らし。特質すべき点はないように思われたが、一つだけ瀬戸の目に留まったものがあった。


「笹原の職業は私立探偵だった」

 尊が目を細めて言った。

「つまり、ここへ通院していたのも、貴様を調べるためであった可能性がある。それで一つ訊きたいのは、やつはどんな様子だったかだ。やつはここで、どんな話をしていた?」

 内海は考えごとをするようにすこしうつむいた。話すかどうか、考えているようである。


「繰り返しになるが」

 尊がうんざりした口調で言った。

「笹原はもう死んでいる。殺人事件の捜査に関して、死者の守秘義務を貫き通す必要もないだろう。ここで使っていた名前も、どうせ偽名だろう? お互いに面倒なことはさっさと終わらせるにかぎる。分かったらとっとと答えろ」

「殺人……」

 内海が口の中でつぶやくように言った。

「殺人なのね?」

「ああ。夜中に叩き起こされた監察医が、腹いせにデタラメを言っていなければな」


 監察医の所見によると、笹原の死因は窒息死だった。

 絞殺である。

 首に抵抗した際にできる〝吉川線〟がくっきりとついており、目には鬱血もあった。したがって他殺であるというのが監察医の見解である。


 内海はちいさくうなづき、

「彼は、ここでは〝田代学たしろまなぶ〟と名乗っていたわ。三か月前から、ここに来てた。受診理由は職場の人間関係によるストレス。そのせいで、職場へ行くたび、あるいは行こうとするたびに頭痛や眩暈といった症状が起こる。そう言っていたの」

「それで?」

「精神安定剤を処方して、様子を見ることにしたわ。それと、一人で抱えこまないで、できるだけ多くの人に話をしたほうがいいとも」

「なるほど。模範的だな」

 尊が肩をすくめて言った。

「人間が抱える問題は、大抵は人間関係上のものよ。だから、それは人間が持つ力によって解決できるはずなの。その人自身の人間性、肩書き、資金……そういうものでね。もちろん、あなたもそうよ」

「おい、フロイト博士。俺をアドラー心理学にかけるのは止めろ」

 この物言いに、目を細めたのは内海ではなく東郷だった。


「それが私の仕事だもの」

「その仕事で、だれかに恨まれていることはないか? だれか一人くらいいるだろう」

 こういうセリフを尊が言うのは、なんとも強烈な皮肉だなと思ったが、それを口に出す者はいなかった。

「いいえ、いないわ」

「フン、では質問を変えよう。だれかにつけられているとか、監視されていると感じたことは?」

「それもないわ」

 尊はまた鼻を鳴らした。


「なるほど。連中がよほど有能か、貴様が鈍感かのどちらかだな」

「待って。〝連中〟? どういうこと? 田代……いえ、笹原さん以外にも、私を探偵してた人がいるの?」

「こいつが持ってきた切断死体にことは覚えているな?」

 尊が凛香にむかって顎を振る。凛香はすこし身を縮めた。

「ええ。まさか……」

「勘がいいじゃないか。そのとおり。そいつもまた、〝私立探偵〟だった。貴様の患者の佐藤は、本名水田恵一。知りたければ、年齢、経歴、趣味、家族構成も教えてやってもいいぞ」

「いえ結構」

 内海はにべもなく断った。彼女は困惑したように目を伏せて目頭を押さえている。

「どういうこと? 私の患者が二人とも探偵で、偽名を使ってまで私を調べていたってこと……?」


「なぜ探偵は内海を調べていたんだ? 依頼主は?」

 ここで、初めて東郷がわずかだが身を乗りだしてきた。その質問に、尊は胸を張って答える。

「知らん」

 東郷はほんの一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに深いうなり声を上げると責めるように尊を見た。

「なにも分かっていないのか?」

「残念ながらな」

 尊は口角を上げ、それほど残念でもなさそうに言った。


「連中の自宅にあった顧客リストや書類を改めたが、それらしいものは見つからなかった。つまり、何者かが持ち去ったということだ」

「だれが持ち去った?」

「知るか」

 尊が面倒くさそうに手を振って答えたので、東郷の眉間のしわはいよいよ深くなる。

「でも、内海先生の患者さん二人が殺されたって、偶然……なのかな?」

 場の空気を察した朱莉が割りこむように言った。

「うん……そこに、なにか隠された意味があるのかもしれないな」

 朱莉の意図を察した凛香が続く。


「なにかとはなんだ? まったく、無責任なことを言わないでもらいたいね」

 相変わらず、尊は二人の苦労をいとも簡単に崩してくる。

「では、君の意見を聞かせてくれ」

 東郷の挑戦的な視線を受け、尊はフンと鼻を鳴らした。

「それは今度改めて話してやるとしよう。今日は貴様らに話を聞きに来たんでね」

 にやにやと意地の悪い笑みを浮かべると、

「一応訊いておこうか。昨日の午後十時から零時までの間、どこでなにをしていた?」


「君は……」

 尊は口を挟んだ東郷を睨め伏せるように視線を動かし、

「地区長殿、黙っていてもらおうか。話がすすまん」

「自宅にいたわ。証明できる人はいない。その時間はもう、ベッドで休んでいたころね」

「なるほどね」

 いったいなにが面白いというのか、尊の顔からはにやにや笑いが消えていない。

 そのときだった。扉がノックされたかと思うと、一人の男が顔を覗かせた。

「お話し中すみません。先生、そろそろ……」

「ええ。分かったわ。ごめんなさい、もう行かなくちゃ」

「見た流れだな」

 尊は肩をすくめて、言って構わないと軽く手を振った。


「じゃあ、また。訊きたいことがあったらどうぞ。なんとか時間を取るから」

「それはありがたいね」

 尊の皮肉には取り合わず、内海は凛香に向き直る。

「凛香さん、この後時間はある? 空いてるなら、天音さんに会ってあげてね」

「は、はい。そうします」



 内海は尊たちにもう一度あいさつし、東郷に頭を下げたあと、応接間を出て行った。

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