女神大戦

‐The Splendid Venus‐
灰原康弘
灰原康弘

第二章 〝士議会〟②

公開日時: 2021年2月12日(金) 19:32
文字数:6,327

 少女は、

 病院を出たときある人物に呼び止められ、

 朱雀地区へのお土産と言われ、大きな袋を手渡された。




 休日を利用して行った青龍地区に立つ館、『英霊館』。そこで起こった連続殺人を行った犯人は、井波小夜いなみさよと、その双子の弟、朝巳あさみであったが、その裏には『アドラスティア』が大きく関係していた。

 さらに、『英霊館』で、十年前から住みこみで働いていた執事が、自分は『アドラスティア』の幹部だと、そう言ったのだ。


「嵩本竹善。やつはそう名乗っていた」

 尊は言って、さっき丹生が入れたコーヒーを一口すする。

「嵩本……」

 刀哉が目を細く引き絞り、口の中でつぶやくように言った。


「聞いたことがありませんな」

 源が顎を撫でながら言う。

 仮面の男もその奥で眉をひそめたようだったが、恵梨は尊の首に腕を回してぴったりとくっついていた。興味なしといった様子で、尊の頭を撫でている。


「フン、だろうな。征十郎が知らないという信者を、貴様らが知っているはずもない」

「名乗った、と言いましたね」

 刀哉が尊の言葉を無視して言った。

「では、その信者は〝LEVEL2〟以上ということですね?」

「〝LEVEL3〟だ。やつは人間とおなじ見た目をしていた」


 正式に公表されていないが、『フレイアX』は三つの段階に分類される。

 全身から黒い毛を生やし、人間の身の丈の二倍はある四足歩行の怪物。一般に公表され、またもっとも目撃例の多い『フレイアX』。これが〝LEVEL1〟だ。


 見た目はそれぞれで、鳥類のようなものや、爬虫類のようなもの、伝説上の生き物のようなものなど、さまざまな形態が報告されている。報告から考えて、〝LEVEL1〟よりは数はすくないようだが、この〝LEVEL2〟から、〝1〟には見られないものが二つ発現する。


 一つは、知能である。

〝LEVEL1〟には消滅している人間の知能が、〝LEVEL2〟には見られている。会話も可能であったことから、思考能力は人間とは遜色ないとみられている。


 二つ目は、〝能力〟だ。

〝LEVEL2〟は、およそ通常では考えられないような不可思議を起こすことができる。大抵は、自然の理に干渉するものだ。


 そして〝LEVEL3〟。

 これが最高のLEVELである。似た目は人間となんら変わりはない。知らぬものが見ればおなじ人間にしか見えないだろう。

〝2〟とおなじく、〝3〟にも知能があり、そして特殊な能力も発現する。『英霊館』で戦った黒崎が見せた、〝時の巻き戻し〟もそれだ。

 この〝LEVEL3〟は全部で七体いると考えられていた


「その能力について、詳しく教えていただけますかな?」

「時間を巻き戻す。短いスパンでも、長いスパンでも可能だ。十秒間だろうが、一日だろうがな。ただし、戻した時間内にはその能力は使えない。十秒戻せば十秒間は戻せないし、一日のさいにも同様だ」

「能力を使うさい、嵩本はなにかを使っていましたか?」

「懐中時計だ。能力が発動するさい、懐中時計のダークマターの気配が一層強くなった」

「嵩本は、時間が戻ったさいの記憶を保持していましたか?」

「していた」

 このあたりから、尊はうざったそうに返事を始めた。返事をするのが面倒になったのだろう。


「あなたは?」

「……ある」

 尊はすでに口を開くのもおっくうになっているようである。

「ダークマターによる影響ですかな?」

 源は尊の状態には明言せず言う。

「知らん」

 尊はついに舌打ちした。


「おい、この話はもうしただろう。俺におなじことを二度も言わせるな」

「おまえ、この間朱莉ちゃんに言ってたろ。〝取り調べの基本はおなじ事を繰りかえし聞いて、相違点を見極めること〟ってな。我慢しろ」

 瀬戸はからかうように言うとにやりと笑う。尊はフンと鼻を鳴らし、

「ならとっとと終わらせろ」


「『英霊館』にいた人間で、あなた以外に、時が巻き戻ったことを知っている者はいましたか?」

 今度は刀哉が訊いた。

「フン、俺以外もなにも、館の人間はほとんど死ぬか消えるかしているんだぞ。おかしな質問をするやつだ。あっはっは」

 とっとと終わらせろ言っておいて、くだらない皮肉を言うとは、自分で自分の首を絞めるのが好きな少年である。尊が笑ったのを見て、恵梨も上品な笑い声を立てた。

 しばらく笑っていた尊だが、刀哉の射殺すような視線を受け、白けた顔で口をつぐむ。それを見て、恵梨も笑うのをやめた。


「様子を見る限りだれもいない。しいて言うなら嵩本だけだ」

「なるほど。では、その嵩本の特徴は?」

「身長百八十センチ前後。年齢は六十代。おそらく前半だ。中肉中背。白髪。髪型はオールバック。白い口髭。ほりの深い顔立ち。服装は黒のスリーピース。他に訊きたいことは?」

「いえ結構」


「嵩本については似顔絵を作らせてある。丹生ちゃん」

 秘書に言うと、丹生は一同に一枚の紙を配っていく。尊は一度中央省に出向き、似顔絵の協力をさせられた。たしかにそこに描かれているのは、『英霊館』で出会った執事である。


「できているなら最初から出せ」

「言っただろ? 〝取り調べの基本は〟だ」

 瀬戸がまたにやりと笑い、尊は忌々しげに舌打ちする。

「嵩本については以上だ。この話はもういいだろう。それとも貴様ら、この事件に興味があるのか? なら話してやってもいい。いまから休みをくれるならな」

「結構。私からは以上です」

 刀哉はもう興味はないとでもいうように、尊から視線を外した。


「名前だけじゃだれもピンとこなかったようだが、顔つきならどうだ? 見たことあるやつはいるか?」

 瀬戸の質問に、しかし芳しい答えは返ってこなかった。

「我々の知らない『アドラスティア』幹部、というわけですな」

「自称だがな」


「しかし、〝LEVEL3〟の『フレイアX』です。それが『安全地帯』にいた、本物の嵩本をこの男が殺し――」

 と言って、刀哉は似顔絵を指でトントンと叩く。

「入れ替わって、『安全地帯』でテロを企んでいた。その可能性はありますか?」

「そんなこと俺が知るか。なぜ俺に訊く?」

「あなたはこの中で、唯一、嵩本という男を目撃している。知っていることがあればすべて教えてほしいだけです」

「フン、ならこういうのはどうだ? 嵩本が『アドラスティア』幹部というのは俺の創作で、本当は信者でもなんでもない。どうだ、傑作だろう」

「そうなんですか?」

「貴様はそれを疑っているんじゃないのか?」

 二人の視線が交錯した。刀哉は相変わらず射殺すような視線をむけ、尊は自分の立場を悪くすることを言っておいて、皮肉な笑みを浮かべている。


「おっしゃるとおり、私は疑っています」

 そう言って眼光を強める。思い起こされるのは、さきほどの言葉である。




(――「『騎士団』中隊長である以上は規律に従っていただく。できないのならば、粛正する義務が、私にはある」――)




 それは尊にしてもおなじことだろう。もし、本人の言うとおり、尊がウソの情報で『騎士団』を翻弄しようとしているのだとしたら……。

「当然の疑問だ。もう一度、改めてお聞きします。正直に答えなさい。小隊長、あなたからの情報に、ウソ偽りはありませんね?」

「ない」

 尊はほんの一瞬の間をおいて答えた。

 答えをもらっても、刀哉はしばらく尊から視線を外さなかった。尊もまた同様である。


「結構。分かりました」

 刀哉は納得したというよりは事務的な口調で言った。

 そこで「あら」と声を出した者がいた。恵梨である。彼女は尊の首に腕を回したまま刀哉をねめつけ、赤く彩られた唇で続ける。

「尊さまを疑うだなんて、あなたも結構そそっかしいんですのね」


「可能性の段階では、さまざまな角度から検証する必要があります。〝おなじ組織で働いているから〟などという不確定なものは、疑わない理由にはならない」

「おい、恵梨。いちいち突っかかるな。俺はこんな下らん時間は一刻もはやく終わらせたいんだ」

「あん、申し訳ございません。あの男があまりに無礼なものですから」

 恵梨はなぜか恍惚の表情を浮かべている。


「嵩本の話に戻るが」

 瀬戸が割りこむようにしていった。

「俺たちの知らない信者がいるっていうのは、危険な兆候だ。しかもそいつは、十年前から『安全地帯』にいた」

「そうだな。一つ思うんだが、『安全地帯』という名前、改名すべきじゃないか? もはや安全でもなんでもない」

「一つおまえたちに訊きたいんだが」

 瀬戸は尊を完全無視して、遠征から帰還した幹部たちに言った。

「今回の遠征で会敵した、『フレイアX』のLEVELの割合を教えてくれ」


「四つの支部を襲撃し、処理した総数は九百七体。内〝LEVEL3〟は六百七十三体、〝LEVEL2〟は百七十一体、支部の周囲にいた〝LEVEL1〟が六十三体。〝LEVEL3〟の割合は、およそ七割に及びます」

「『フレイアX』のLEVELには、信仰度が大きく関係してるという話でしたね」

 律子が言った。

「いままでの遠征でも、支部を制圧するさいには数多くの〝LEVEL2〟が確認されていますが、今回も例にもれず、ということですか」

「そういうことになります」


「そもそも、信仰度とLEVELは本当に=なのか? 所詮貴様らの想像だろう。当初は七体しかいないと思っていた連中がごろごろいるんだぞ。最高レベルのやつが一番多いなど、異様と言っていい状況だ。あてになる情報なのか?」

「しかし、遠征を行うたびに、『フレイアX』のLEVELは上がっていっている。ウイルス蔓延後に信者になった者や、〝2〟から〝3〟になった者がいるということです」

「理性のない〝1〟は信仰度も上がらないだろうからな。だが〝2〟からは話が違う。それこそが証拠ということか。まったく、勤勉なやつらだ」

 刀哉の言葉に、尊が鼻を鳴らして言った。


「こうつぎからつぎへと信者が増えては、『危険区域』から人間が消えてなくなるのも時間の問題だな」

「潜入捜査をされている方々の情報には、『新しく信者になった者たちは、そのほとんどがLEVEL3となっており、それはにのまえ二三ふみの存在が大きい』とありました――」

 数が少ないはずの〝2〟と〝3〟が急増している。そこから考えても、信憑性は高そうな情報だった。

「――今回の遠征に一拘束が含まれていたのは、『アドラスティア』の勢力拡大を牽制するのが第一目的です。最初に申しあげたとおり、任務は達成されている。したがって、小隊長、あなたの懸念は杞憂だ。すくなくとも、当面は」


「そうだな。その一を拘束した貴様らの功績は計り知れないだろう。さすがは団長殿。じつに模範的な『騎士団』だ」

「言いたいことがあるのならはっきりと言いなさい。そのための〝士議会〟です」

「べつに。ただ、気になる反応をしているやつがいるんでね」

 そう言って、瀬戸に意味ありげな視線をむける。


「俺が気になるのか?」

「ああ。一を逮捕したというのに、あまりうれしそうには見えないからな。ウイルス蔓延前から追っていた信者なのだろう? もっと喜んだらどうだ。小躍りくらいしても、責める者はいないぞ」

「これでも中央省の幹部、ここじゃおまえらのボスだからな。もろ手を上げて喜ぶわけにもいかない。威厳ってもんがあるだろ」

「威厳ねぇ……」

 尊が喉の奥でバカにしたように笑う。


「はたして貴様にそんなものがあったかな? 恵梨、どう思う。俺はないと思う」

「わたくしもそう思いますわ」

 恵梨はやはり即答した。

「だそうだ。そら征十郎、安心して踊れ」

「尊、要点を話せ」


「一を捕らえて済む問題なのか? ほかにも解決すべき問題は山積している。この程度で一喜一憂するようなやつは、無論ここにはいないだろうがな」

 一は警察庁警備局が監視を始めた際、すでに『アドラスティア』の中枢にいた人物だった。

 彼は常に、その人間が一番望んでいる言葉をかけ、その人間が一番ほっしているものを与えた。したがって、彼を中心として『アドラスティア』が急速に勢力を拡大していったのは、当然の帰結であったのだ。


 その彼が拘束されたいま、残された信者たちがどんな行動に出るか、予測不能である。そのため、今回『騎士団』は一が仕切っていた支部を制圧した。刀哉が言ったとおり、今回の遠征の第一目的は、『アドラスティア』の勢力拡大を牽制するため――つまりは一の拘束である。支部制圧は、言ってしまえばその副産物に過ぎない。支部を制圧したいま、一と関わりの薄い信者たちが一の弔い合戦を、という可能性は低い。尊が言っているのは、そういった話ではない。


「そもそも、その一は本物なのか?」

 一は、『アドラスティア』幹部であると同時に、変装の名人でもあった。外見だけではない、経歴や人間関係、趣味、特技、食べ物の好み、あるいは、口癖や日常のちょっとした癖など、そのすべてを正確にコピーし、あたかも本人であるかのように振舞う。一の変装であると分かっていても、『本人ではないのか』と疑うほどの徹底ぶりだという。それは、もはや〝変装〟ではなく、〝変身〟の領域である。


 しかも、彼の素顔はだれも見たことがない。分かっているのは、見た目は年若い男、ということだけだ。一は一切自身の痕跡を残さず、まるで幽霊のように、あるいは蜃気楼のように、その実態をつかませることなく、活動を続けている。

 だれであってだれでもない。七色の顔と声を持つ男……それが一二三という人物だった。

 したがって、一が万が一に備えて影武者を用意した、という可能性も否定できない。


 瀬戸があまり喜んでいない理由は、じつのところそれを疑っているからというのが大きな理由だった。

「すくなくとも、本人はそう名乗っていました」

 刀哉の言葉に、尊がフンと鼻を鳴らした。

「いまは、信じるほかねぇってことだな。〝俺たちは幹部を逮捕した〟ってことを」

 瀬戸が肩をすくめると、尊はまた鼻を鳴らす。

「幹部逮捕は喜ばしいことだが、その幹部が、『安全地帯』に、しかも十年前から潜伏していたことを忘れるな」

「忘れてなどいませんよ」

 刀哉は尊を見据えて言った。


「しかし、それについての対策は、すでに講じられているのでは?」

「ああ。もちろんだ」

 警保局長は背もたれに体重を預けると、秘書に目配せする。丹生はびくりと体を震わせ、

「こ、今回の事態を、中央省は非常に重く受け止めています……。警保局内からも、糾弾する声が上り、それは日に日に大きくなるばかりです……」

「前置きはいい。さっさと答えろ」

 尊の舌打ち交じりの言葉に、丹生は身を縮こませる。


「尊」

 律子が短くたしなめる。彼女の仮面がはがれるまえから、何度も見られた光景である。それをこの期に及んで続けることに、尊は敬意を表して鼻を鳴らす。

「それでどうする? 『アドラスティア』の信者を探して、『安全地帯』の住民に踏み絵でもさせるか?」

「当たらずも遠からずだな」

 と瀬戸。


「あ、『安全地帯』の方々の……身辺操作を行うことが、決定しました……」

 その言葉に、しかしざわめきはおろか、声を上げた者は皆無だった。皆一様に、予想していたことのようだ。

「万一『アドラスティア』の信者を発見した場合は即時拘束する。そして、すこしでも信者とかかわりがあった者も拘束し、尋問することになる。対象となるのは、十五歳以上の住民全員。いかなる場合でも例外は許されない。よって、この場の全員も当然対象となる。俺も含めてな」

 瀬戸が言葉を引き継いだ。重大な話をしているはずなのに、彼の言葉には重々しさはない。しかし、決して軽いというわけでもない。ゆえに、彼の本心をうかがい知ることは困難だった。



「分かってると思うが、二週間後には凱旋パレードが控えてる。それまでに、不確定要素はすべて排除する。帰って早々悪いが、しばらく俺たちは休みなしだぜ」

 そう言って、またにやりと笑うのだった。

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