「クリアおめでとう。あなたならできると、信じていました」
尊が瀬戸に呼びだされる前日のことだ。尊たちが暮らす朱雀地区の裏路地……人目につかない場所で、一組の男女が相対している。
一人は柊尊。
もう一人は最上みこと。
尊と唯の育ての親だ。
「つまらん世辞はいい」
尊は軽く手をふって言った。
「約束だ。俺の質問に答えてもらうぞ」
「そのまえに、聞かせてもらえる? あなたの口から、今回の事件の概要と真実。また、解決によって、〝どういう形に落ち着いた〟のか」
みことの言葉に尊は眉をひそめる。この女は知っている。尊が事件のことをすべて知っていることを。そして、一度失敗したということも。
分かったうえで、尊の口からすべてを話させようとしている。
――相変わらず、つまらないほど変わらない女だ。
心中で吐き捨て、尊は口を開く。
事件の犯人、動機、トリックなどの説明をする。その間、みことは一切口を挟むことなく、尊に視線を止めていた。
「そもそも、今回の事件は複数の人間の思惑が絡んでいたものだった。まずは井波小夜、そして井波朝巳。この姉弟による復讐劇。もう一つが、綾辻による手のこんだ自殺。そして三つめが、みこと、貴様だ」
尊は一度そこで言葉を区切り、
「貴様の目的は、俺の成長を図るため。俺が、貴様が課したノルマをクリアし、貴様が望む結果を出すことができるか否か。そうだな?」
みことは答えない。尊は続ける。
「綾辻の自殺は罪悪感から来るものだ。井波姉弟の目的は、単に綾辻たちを殺すことだけではない。
もう一つの目的は、貴様ら『アドラスティア』に、自分たちを殺させるためだ」
荒唐無稽ともいえるその言葉にも、みことはやはり何も言わなかった。
「井波家は、信者だった。ただし、『アドラスティア』の、ではない。べつの宗教に入れこんだ信者だった。その訓戒に、こんな一説がある。
〝特定の魂とおなじ場所に行くには、おなじ死に方をしなければならない〟。
やつらの両親は殺されている。『アドラスティア』の信者にな。母親は自殺だが、間接的に『アドラスティア』が関わっている。両親とおなじ場所に行くには、『アドラスティア』に殺される必要があった。だが、ただ殺されるだけでは単なる自殺も同然。連中の教えに従うなら、それではおなじ場所へは行けまい。そのための手段を、貴様は用意してやると唆した。行くために、生きるための手段として俺を呼んだ。俺に守られ、それでも殺されれば、やつらは晴れて両親の元へ行くことができる、と考えたわけだ。
そうして準備を整え、案静と三田村に匿名の招待状を出した。
貴様は、この俺を、単なる舞台装置の一つとして呼び寄せたということだ」
忌々しげに吐き捨てると、すっとみことを見据える。
いまの訓戒云々は、綾辻の書斎で見つけた書類に書かれていた。いうまでもなく、みことが仕組んだ〝手がかり〟である。彼女はわざと仕込んだ。〝ゲーム〟のために。
つまり、最初から最後まで、尊は尊の手のひらで踊らされていたことになる。まったく、忌々しい限りだ。
「それともう一つ。なぜいま事件を起こしたのか? これは綾辻が原因だろう。養子にとられた井波小夜に対し、綾辻はその罪悪感から大層大事にしたろうな。だから、真相を知ったとき、やつは困惑した。そんな折、綾辻は病気にかかった。あのやせ方に咳の仕方からすると、ガンだ。放っておいても、いずれやつは死ぬ。その事実がやつの背中を押した。
そのために三田村を呼びよせて、諸共殺害した。案静を呼んだのは、探偵役にするためだ。推理小説好きを自称し、綾辻と三田村に面識がある。探偵役としてはじつに都合がいい。
わざわざ俺以外の探偵役も用意するとは、貴様もなかなかいい性格をしている」
彼女はなにも言わなかった。まだすべて説明できていない、という無言のプレッシャーである。
「あの姉弟に十六年前の真実と今回の計画を入れ知恵したのは嵩本だな。まあ、立案したのは貴様だろう。それをやつらに伝えたのが嵩本。
綾辻が井波小夜と養子縁組を結んだことを知った貴様らは、いずれなにかに利用できると踏んで、幹部を潜り込ませた。あの城津とかいうメイドも、『アドラスティア』の信者なのだろう? 『英霊館』を隔離したあの能力は、城津のものだ。まったく、ご苦労痛み入る。貴様らよほど暇なんだな」
バカにしたように喉の奥でせせら笑う。しかし、それにもみことはなにも言うことはなかった。
「以上だ。今度は俺の番だ。あたらめて質問する。なぜ五年前、急に姿を消した?」
「役目を終えたからですよ」
みことはふわりと微笑んだ。
彼女が質問に答えた。それはつまり、尊が事件を〝正しい形に落ち着かせた〟……すなわち、みことが望む結果を出した、ということだ。
だが、一つだけ分からないことがある。もし、尊が『英霊館』を訪れなかったら? この復讐劇には、事件を解決する〝探偵役〟が必要不可欠だ。逆に言えば、探偵がいなければ今回の計画は成功しない。
もし、尊が『英霊館』にいなかったら?
案静一人でも解決はできたかもしれないが、井波姉弟を守る存在がなければ、あの二人の計画は完遂しない。
最初は瀬戸がなにか隠しごとを……例えば、小夜に脅迫状が出され、護衛のために尊を『英霊館』にやった……などとも考えたが、どうやら、瀬戸は本当になにも知らなかったらしい。これは一体どういうことだ?
脳裏に浮かんだのは、ファンタジーパークで尊と会ったときのことだ。
あのとき尊は、『一人にならなければ』という奇妙な意思に従って行動した。まさか瀬戸も……。
――フン。バカな。
尊は心中で吐き捨てる。考えを振り払うように、低い声で問う。
「役目だと?」
「これ以上は言えません」
そう言って、静かに目を伏せる。
「私は、〝大いなる意志〟にそって行動しているだけ。あなたたちを育てたのも、今回の事件を仕組んだのも、すべてその〝意志〟に従ったに過ぎない」
「意志ねぇ……」
尊はまた喉の奥で笑った。
「まさか、神の声が聞こえたとでも言うつもりか?」
「はい」
短く、はっきりとそう断言され、さすがの尊も数秒の間言葉を失った。
「なるほど」
はたから見れば、ふざけているようにしか見えない。しかし、そうでないことは、尊がだれよりも分かっている。みことは尊にゲームを仕かけ、そのゲームをクリアすれば質問に答えると言ったのだ。その事実がある以上、この女は絶対に嘘はつかない。
「その神というのはなんなんだ」
「答えられません」
「〝大いなる意志〟とはなんだ」
「それにも、答えられません」
「ふざけているのか……?」
そうでないことが分かっていても、自然とその声色には不愉快さが宿る。
みことは答えない。答える価値のない質問には、答えない。彼女の目がそう言っている。
――落ち着け。やつのペースに乗るな。
尊は一呼吸おいて続ける。
「なら、これはどうだ? 十年も一緒に暮らした女に、こんなことを訊くとは思いもしなかったよ。
貴様、いったい何者だ?」
みことはほんの一瞬微笑んだように見えた。しかし、そう感じた瞬間には、すでにいつもの無表情に戻っていた。
「その質問にも」
「答えられないか」
尊がみことの言葉を先取りして言った。
「私はただ、〝大いなる意志〟に従って動くただの人形……単なる舞台装置にすぎません」
「……」
しばらく黙っていた尊だが、やがて自嘲的に鼻を鳴らす。
「質問を変えよう。貴様は『アドラスティア』の信者か?」
「いいえ」
みことは短く、しかしハッキリと、否定した。
「私は信者ではありません」
「……そうか」
尊はゆっくりと目を伏せる。何事かを考えている様子だったが、みことは口を挟むことなく、それを見守る。やがて目を開くと、尊は軽く手をふって言う。
「もう訊くことはなにもない。どこへなりへと消え失せろ。唯のまえにも表れるな」
「そうですか」
特にさみしそうな様子も見せず、みことは平坦な声で言った。
「しかし、あなたに会えてよかった。本当は唯にも会いたかったのですが……」
尊の目が鋭く引き絞られる。それを見たみことは、すこし笑ったように思える。
「そのロケット。唯からのプレゼントですね」
尊は答えない。
「守るべきものに救われるだなんて、存外、脆いのね」
みことの冷ややかな視線が尊を射抜くかのようにとらえる。しかし、やはり尊はなにも言わなかった。
「ではこれで失礼します」
そう言ってから、みことはやわらかく微笑んだ。
「心配しないでください。すぐに、また会えますから」
「なんだと……?」
「つぎは、二度目はない」
そう言うと、ゆっくりと、人差し指を尊の心臓へとむけた。
「一回で成功しなさい。二回やらないと成功しないだなんて、そんな出来損ないに育てた覚えはありません」
彼女の目に、すっと射殺すかのような、底冷えするような冷たい色が宿った。
「これ以上、私を失望させないで」
みことは踵をかえし、ゆっくりと歩きだす。
「待て」
尊が呼び止めると、みことは歩を止めた。
「もう一つだけ言っておこう」
尊は続ける。
「つぎがないのは貴様のほうだ。仮にも育ての親だからな、今回は見逃してやる。だが、つぎはない。つぎまたふざけた真似をすれば、容赦はしない」
みことはなにも答えなかった。視線も合わせない。
「以上だ。今度こそ、話すことなどなにもない。さらばだ、みこと。貴様とは、もう会うこともないだろう」
尊も踵をかえして歩きだす。
「いいえ、尊。また会いますよ。私たちは」
振りかえってみことが言った。
「私の予言が外れたことはない。知ってますよね?」
「なら、今回が初黒星だな」
尊が皮肉な笑みを浮かべて言った。
一瞬、両者の視線が交錯する。
二人はいましがたの会話などなにもなかったかのように、別々の道を歩きだした。
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