女神大戦

‐The Splendid Venus‐
灰原康弘
灰原康弘

第一章 『S文書』⑤

公開日時: 2021年5月7日(金) 20:32
文字数:5,113

 中央省の本庁舎からすこし離れた場所に、その建物は建っている。俯瞰すると『口』の形になっているそこは、『騎士団』の本部である。


 その廊下を、大きな段ボールを抱えて歩く少年が一人。

 すれ違いざま、あるいは遠巻きに、皆少年のことを見てはいるが、声をかけるものは皆無だった。理由は一つ、この少年が大の……いや、超のつく問題児だからである。


 柊尊。弱冠十一歳で『騎士団』に入団した、最年少の団員だ。

 なのだが、態度は人一倍でかく、同僚の団員や、上官であるはずの隊長たち、さらには行政機関で要職についている者に対してさえ傲岸不遜な態度で接し、行く先々で敵を作っているのである。


 一言で言うと〝嫌われ者〟の尊だが、彼は現在、ある場所へと向かっていた。

 本日、正確にいうと、本日未明、尊に辞令が下された。曰く――。

〝柊尊を、本日付で小隊隊員に任命する〟。


 つい半日前まで連隊に所属していた尊だが、いまは小隊のオフィスへ向かう最中であった。

 理由はただ一つ、小隊隊長である正永正義の監視、および調査である。

 現在、正永にはある嫌疑がかけられている。『安全地帯』において、反発的な思想を持つ〝解放軍〟の中枢メンバーである容疑だ。それだけではない。彼には『騎士団』での機密情報を漏洩した疑いもあった。『騎士団』幹部は、機密保持誓約書にサインしているため、機密扱いの情報を外部に漏らすことは、当然犯罪である。


 尊に与えられた任務は、正永にかけられた容疑を確定し、また彼の仲間を全員特定することであった。

 いわば仲間をスパイするために配属されたわけだが、尊の第一印象は最悪だった。なぜなら、オフィスの扉を手ではなく足で開けたためだ。もっとも、これは両手が塞がっているためである。さらに、

「俺のデスクはどこだ」

 これである。

 印象を悪くした直後に、相手のことをまったく考えていない発言。これに小隊の隊員たちは絶句したようだった。


「一番手前の席だよ」

 しかし、そんな尊に声をかけた人物がいた。

 顔を見た途端、尊は段ボールの陰で唇を皮肉な形に歪め、心中で鼻を鳴らした。

 ――いきなりお出ましか。


 身長は、それほど高くない。百六十前半といったところか。だが、不思議と〝小さい〟という印象は受けない。一種の存在感を漂わせていた。年齢は今年で二十四歳。騎士団養成学園の第三期生。入学試験に首席合格し、学園でも優秀な成績を収め、在学中から入団が決まっていた、いわゆる〝エリート〟だ。端正で小づくりな顔に人のよさそうな笑みを浮かべているが、その目には強い意志が宿っているように見える。こいつは――。


「こうして自己紹介するのは初めてだな。小隊長の正永正義だ。よろしく」

 にこりと笑いかけられて、尊も笑みを返した。ただし、友好的なものではない。

「よろしく小隊長殿。握手をしたいところだが、生憎両手がふさがっていてね」

「なに、構わないさ。重そうだね。どれ、持ってあげよう」

 そう言うと、尊から段ボールを取り上げて、デスクへと運び、それからパンと一度手を叩いた。


「みんな、聴いてくれ。彼のことは知っているかな? 良くも悪くも有名人だからね。今日から小隊に入ることになった」

 そこまで言って、尊に視線をやると「自己紹介して」と言った。

「面倒だな。必要ないだろうそんなもの。小学生じゃあるまいし」

 と、本来なら小学校に通っているはずの少年が言った。

 隊員たちが早くも冷ややかな目で見る中、正永はあくまでにこやかに言う。


「そう言わずにしてくれないか? これから一緒に戦うんだ。名前も分からない人間に、背中は預けられないだろ?」

 すると、尊は面倒くさそうに肩をすくめ、

「柊尊だ」

 とだけ言った。

 あまりにそっけない自己紹介に、隊員たちはどうしたものかと顔を見合わせているが、彼らの長たる隊長は笑っている。

「そういうわけで、柊尊君だ。みんなよくしてやってくれ」

 しかし、当然というべきか、彼らの反応は芳しくなかった。




 ――小隊。

『騎士団』は団長と、それを補佐する副団長。連隊、大隊、中隊、小隊に分かれ、さらにその下に二百名を超える一般団員がいる。それぞれの隊に在籍している団員の主任務は、遠征で『フレイアX』を討伐することだ。


 対して、一般団員の主な仕事は、『安全地帯』で行われる。事務仕事や『騎士団』内で発生した事件、また団員が関わる事件の調査である。

 遠征が行われていないとき、隊に所属する団員がなにをしているのかといえば、各隊の書類仕事や演習などだ。なのだが――。


「くそっ。なぜ俺がこんなことをしなくちゃいけないんだ」

 書類を片付けながら、忌々しげにつぶやく少年が一人。言うまでもなく、尊である。

 事務仕事を始めてから三十分くらい経つが、尊は二十五分くらい前から文句を口にしているので、隊員たちはいい加減辟易していた。

 しかし、一切口を挟まないところを見ると、尊の人となりを事前に聞いて、極力無視をするよう言われているのかもしれない。


「なんだ、このくらい。連隊でもやっていただろ?」

 そんななか、口を開いたのは、隊長である正永である。隊長には隊のオフィス内に、執務室が設置されているが、正永はそこを使わずに隊員たちとおなじオフィスで仕事をしていた。

「生憎やったことがないな。こういう雑事は他の連中の仕事だった」


 尊の言っていることは本当である。

 つい半日前まで尊の所属していた連隊の構成人数は五十。対して、小隊の構成人数は十人。要するに、数の問題だ。

「ああ、そうか。そういえば、以前聞いたことがあったな」

 書類仕事を面倒に思うものは多い。そこで連隊では、一か月の成績を競い合い、下位の成績の者がそれを行うこととなっていた。もっとも、これは人数の多い連隊だからできたことである。十人しかいない小隊では、手分けしてするしかなかった。といって、隊が小規模なため、連隊ほどの量があるわけではないから、文句を言わずにやっていればそれほど時間もかからず済ませられるのだが……。


 もっとも、一番多く書類を片付けなくてはならないのは隊長職以上の団員である。彼らは毎月必ず片付けなくてはならない書類があるから、連隊長の律子にせよ、彼女は成績に関係なく事務仕事をするハメになるのだ。この量でこんな文句を言うのなら、もしこの少年が隊長になったら、そこの隊は大変だな、と小隊の面々は思った。


「でも、ここではみんなの仕事だからな。君も頑張ってくれよ。分からないことがあれば、なんでも訊いてくれ」

「いいね。貴様のその、全体主義っぽい言い回しは嫌いじゃない。もっとも、俺は集団行動が大嫌いだがな」

 どうでもよさそうに言って、書類仕事に戻る。

 その間、何気ない様子を装いながら、尊は正永を冷静に観察した。


 そこから得られた印象は――。

 堅実、実直、人当たりがよくお人よし。一方で、細い外見とは裏腹に、確固とした〝芯〟を持っている。


「小隊長、今度また手合わせ願えませんか? 試してみたい技があって……」

「ああ、もちろん。だが、そればかりに頼ってはいけないよ。勝ち筋があるってことは、選択肢が狭まるってことでもあるからね」

「隊長、この間はありがとうございました。おかげさまで肩の荷が下りました」

「そうか、ならよかったよ。困ったことがあれば、また気軽に相談してくれ」


 正永が人望を持っているということは確かなようだ。隊員たちは、心から正永を尊敬しているように見える。そこにウソ偽りは見受けられない。事実、正永には、人を引き付ける不思議な〝魅力〟があるように思えた。

 見た限りでは、正永は危険な思想に被れているようには思えない。そう、あくまでも、見た限りは……。


 なるほど正永は〝いい人間〟なのだろう。だが一方で、同じ理由で不信感も抱く。

 ――正永正義は〝いい人間〟過ぎて胡散臭い。


 もっとも、これは単なる心象である。

 確かめる必要があった。正永が、どんな思想を持っているか。言動から、その真意を探るほかない。

 現状、それが最も効果的な方法だろう。




 正永に〝講演会〟という『安全地帯』での任務が与えられたのは、その意図あってのことだろう。そして尊に与えられたのは、正永の動向を監視することであった。


『騎士団』に所属する団員は、その約八割が『危険区域』出身である。理由は単純で、『騎士団』に入ることができれば、文字通りの『危険区域』を離れ、安定した生活を手に入れることができるからだ。逆に、『安全地帯』出身の団員はすくない。こちらも理由は単純で、『安全地帯』の住民には、『騎士団』という危険な仕事をする理由がないからである。


〝講演会〟とは、そんな『安全地帯』の住民たちに、『騎士団』という組織がいかに重要かを講義し、その仕事がいかに名誉あるものかということを啓蒙するためにある。

 その舞台となるのは、図書館や役所、あるいは学校の体育館など多岐にわたる。ちなみに、今回は文化会館の小ホールで行われることとなった。


 やはり、というべきなのか、あるいは残念というべきか、来場者はそう多くなかった。講演会前の会場には、半数以上の空きがあった。『騎士団』に興味を持ってもらうための講演会だが、そもそもこの講演会自体に興味がないようである。


「フン。わざわざ出向いてこれとはな」

 それを見て、舞台袖から皮肉を飛ばすのは尊である。

 書類仕事を終えた尊と正永は、小ホールに来ていた。

「仕方ないさ。いくらなんでも、強制参加させられないからね」

 正永は苦笑した。


 結局、開演の時間になっても、数はそれほど増えなかった。

 そこで正永が行った演説は、およそ次のようなものだった。


「昨今、われわれ『騎士団』の活動により、たしかに『フレイアX』の数は着々と減っています。しかし、それでも、残った『フレイアX』たちは、虎視眈々と、ここ『安全地帯』を狙っているのです。我々も、まだまだというわけです。当面の目的は、この会場を満席にすることでしょうか」

 言葉を切った後、少しして渇いた笑いがおきた。


「『騎士団』の仕事は危険と思われがちですが……まあ、実際危険な仕事ではあります。ただ、『フレイアX』討伐に関しまして、我々はお互いをフォローし合い、ほとんど犠牲者を出さない方法を確立しており、実際、犠牲者はほぼ出ていないのです」


 今度は『騎士団』の安全さをアピールした。さらに、

「我々の仕事は、戦闘だけではありません。『安全地帯』で事務仕事をするときもありますし、こうした講演会を開くこともあります。正直に申しますと、遠征をしていないときは、暇な時もあるくらいです」

 そうして笑いを誘ったあと、正永は以上を踏まえたうえでの、〝自分の考え〟を口にした。


「たしかに、『騎士団』の活動によって『フレイアX』の数は減り続けています。しかし、だからといって根本的な解決には繋がりません。『フレイアX』をすべて討伐しない限り、本当の意味での安心はできない。これは、『安全地帯』だけではなく、『危険区域』、双方の問題です。とくに『危険区域』に住む人々は、常に危険に晒されているわけですからね。

 だからこそ、我々の活動には、終わりは存在しないのです。『アドラスティア』を打倒する、その日まで。

『騎士団』とは、確固たる信念を持った、誇りある職業なのです」

 最後は、中央省や『騎士団』が普段から謳っている売り文句で幕を閉じた。


 舞台袖で正永の演説を聞き、尊はなるほどと唇を歪めた。

 終盤だけでも聞けば分かる。こいつが、〝解放軍〟とやらに関わっていることは間違いない。こいつの思想と、籠城犯の主張はあまりに一致している。だが――。


 それだけではダメだ。そんなことは、なんの証拠にもならない。正永が〝解放軍〟と関わりを持ち、かつ、中心メンバーであることを立証しなければならない。

 そのためには、心象や状況証拠だけではない、物的証拠が必要だった。

 たしかに、正永と〝解放軍〟の思想は一致している。しかし、彼らの思想は、一般的な意見でもあった。


〝『安全地帯』の城壁をもっと広げるべき〟、あるいは〝『危険区域』の住人を受け入れるべき〟などといった意見は、往々に耳にする。

 違いは、直接的な行動にでているかいないか、といったものだ。

 現状では、正永もそういった内の一人か、〝解放軍〟の一味か、判断はできなかった。


(まあいい)

 尊は顔をわずかにうつむけて、ニヤリと笑った。

 正永にリークした場所で〝解放軍〟による籠城事件が起きた以上、こいつが関係していることはほぼ間違いない。


 ――必ず尻尾を掴んでやる。

 与えられた任務で、瀬戸が望んだとおりの結果を出す。

 それが、尊と瀬戸の契約だ。


 それを守るためであれば、手段は択ばない。あの少女のために――。

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート