女神大戦

‐The Splendid Venus‐
灰原康弘
灰原康弘

第三章 〝『騎士団』で何かが腐っている〟⑦

公開日時: 2021年5月18日(火) 20:03
文字数:6,770

 侵入地点は、スマートフォンによる表示、そして管制室によって正確に割り出されている。

 ――すぐに見つかる。

 そうした慢心が、彼らの胸の内にあったことは否めない。だが――。


「くそっ。どこに行きやがった?」

 獅子王がいら立ち気に吐き捨てた。

「ここではないのかもしれませんな」

「しかし、反応はたしかにここを示していました」

 源の言葉を一度否定し、律子は続ける。

「見つからないということは、どこかに身を隠していると考えるべきです」

「それはどうかな」

 それを否定したのは尊だった。その口元には皮肉な笑みが浮かんでいる。


「身を隠しているにしても、『ダークマター』の反応まで消すことは不可能だ。にもかかわらず、それも消えているということは……」

「『ダークマター』による能力で自身を消している、そう考えるのが妥当ね」

 尊の意図を察した律子が言葉を引き継いだ。


 現在、侵入者の捜索に当たっているのは、源、律子、獅子王、そして尊の四名だった。刀哉と吉良は、万一のために『騎士団』本部に残っている。

 彼らは現在、人気のない路地裏に集まっていた。『騎士団』の幹部(一名覗く)が集まっているところを一般人に見られれば、なにかあったのかと騒ぎになるのを懸念しているからだ。


「反応は如月未冬と同一のものだ。まず間違いなく、〝融合〟の能力を使っているだろうな。問題は、その如月がなにを企んでいるか」

 いま『安全地帯』は〝解放軍〟問題で騒ぎになっている。そして、まるでそれを見計らったかのような敵の侵入。そして、一部の人間しか知らないはずの『S文書』を告発するという予告……。

 昨日の遠征を知っていたことといい、もはや内通者の存在は疑いようもない。第一、未冬自身が存在を認めていた。


 ここで生じるのは、そもそもの疑問。

 ――内通者は誰だ?


「〝解放軍〟が『アドラスティア』と通じている可能性を考慮すべきですかな?」

 源が穏やかな声で言ったが、その内容はかなり物騒なものだった。

 これはつまり、もっと直截な言い方をすれば〝内通者は正永ではないか?〟という意味だ。


「その必要はないだろう」

 どうでもよさそうな声を出したのは尊である。

「連中の目的は、あくまで『安全地帯』と『危険区域』の垣根をなくすこと。つまりは『安全地帯』上層部の考え方を改めさせることだ。連中と手を組むメリットはない」

「〝解放軍〟になくとも、『アドラスティア』側にはあるのでは? すなわち、〝解放軍〟を利用して『安全地帯』を掻き乱し、その隙に取り入ろうという目論見です」

「それもない。もしそれが目的なら、『S文書』の内容はわざわざ予告することもなく、とっくに告発されている。あれ以上に、『安全地帯』を掻き乱せる〝モノ〟はそうそうあるまい」


「おいおい、正気か?」

 そう言ったのは、やはり獅子王であった。

「そんなこと話してる場合かよ? 幹部が侵入したかもしれねぇんだろ? 危機感が足りてねぇんじゃねぇか?」

「おい大隊長、貴様ちょっと血気盛んすぎるぞ。もうすこし血圧を気にしろ」

「この問答が無駄だっつってんだよ。敵は殺す、それだけだ。一度集まれって言うからなにかと思えば、いったいこれはなんの集まりだ?」


「大隊長」

 いまにも爆発しそうな獅子王を、律子が低い声で制した。

「さっき元帥も言っていたわよね? 〝今回の件は、自分たちにとっても無視できない事態〟だって」

「それがなんです?」

「これもそれと同じよ。いま侵入しているのは『アドラスティア』の幹部かもしれない。それも実質組織を仕切っているとされる『七元徳』を自称しているの。彼女がなにを企んでいるにせよ、騒ぎが起きたときに、私たちは誰よりも、迅速かつ適切な対応が要求されるわ。だからこうして動いているの。そのためには、情報共有は前提条件よ」

 獅子王はまだ納得はしていないようだったが、それ以上食い下がることもなかった。


「じゃ、これからどうするんです?」

「それをいま考えてるんだ」

 だからその時間がムダだと言ってるんだ、とでも言おうとしたのだろうか、口を開きかけた獅子王だったが、結局なにも言うことはなかった。

 そのタイミングを見計らったかのように、その場の全員の携帯が鳴った。




 十数分後――。

 尊たちは、全員『騎士団』本部へ戻っていた。

 ここは、〝士議会〟が行われる際に使用される会議室である。

 さきほど、ふたたび管制室が『ダークマター』を観測し、警報が鳴り響いた。それは侵入し、その後姿を消した如月未冬とたしかに同一のものと確認された。しかし――。


「されたと思った途端、また消えちまった」

 瀬戸が苦々しそうに言った。

「完全に弄ばれているな。まったく、情けないぞ貴様ら」

「消えたって言っても、状況はさっきとはまるで違うぜ」

 尊の言葉は聞かなかったことにして、瀬戸は話をすすめた。

「やつは、『安全地帯』にはもういない。『危険区域』へ逃げたんだ」

「たしかですか?」

 律子が切れ長の瞳を引き絞って訊いた。


「間違いない。そのとき、俺と刀哉も管制室にいたからな」

 瀬戸の隣にいた副団長に目をむけると、彼は無言で首を縦に振った。

「ったく、だから俺は言ったんだよ。あんな下らねぇことしてる場合じゃねぇってな」

 というのは、それ見たことかとでも言いたげな口調であった。

「そうだな獅子王。これからはもっと、おまえの言葉に耳を貸すようにするよ」

 瀬戸の言葉はかなり皮肉気である。彼も内心穏やかではないのかもしれない。


「それで、これからどうするつもりだ?」

 瀬戸以上に皮肉気な口調で言うのは、この場では尊をおいて他にいない。さらに、より皮肉な口調でこう続ける。

「こんなことをしている場合ではないんだろう? まさか、侵入者をこのまま逃がすつもりか?」

「いいや、逃がしはしないさ」

 そこで瀬戸が見せたのは、まるで獅子王のような獰猛ともとれる笑みだった。


「『安全地帯』に侵入したことを後悔させてやらないとな。そのために……」

 と言って、瀬戸は尊に一台のスマートフォンを投げてよこした。

「なんだこれは」

「さっきの侵入者の『ダークマター』がインプットされてる。当人に近づけば、警報が鳴るっつう代物だ。おまえが持て」

 それから、元帥は『騎士団』一堂に向き直った。

「これから遠征隊を選抜する。即刻『危険区域』に行ってそいつを捕えてこい。例の七人の幹部の一人の可能性があるからな。くれぐれも殺すなよ。生け捕りだ」

 瀬戸はにやりと笑って、選抜隊の名前を口にした……。




 現在、日本は大きく分けて二つに区分される。

 一つは高い城壁に囲まれた『安全地帯』。

 もう一つは、『安全地帯』の外、即ち『危険区域』である。


『危険区域』にはウイルス蔓延によって誕生した怪物――『フレイアX』が跋扈している。だが、『安全地帯』周辺の『フレイアX』は、すでに『騎士団』によって討伐され、また彼らによって頻繁に警備が行われていることもあり、その姿を見ることはほとんどなかった。したがって、ここ数年は『危険区域』という色合いは薄い。

 ただし、それはあくまで周辺に限った話である。『安全地帯』から遠のけば遠のくほど、そこは文字通りの『危険区域』となるのだ。


「……ここら辺も反応なしか。やれやれ、こんなことで見つかるのかね?」

「せっかちすぎるぞ大隊長。それはともかく征十郎は人使いが荒すぎる。俺がいま、いくつだと思ってる? 十二だぞ。やはり児童相談所に相談すべきかもな」

「おい、止せ二人とも」

 尊、獅子王、吉良の三人は、いまその『危険区域』にいた。周辺の、である。


 ひび割れた大地にいまにも倒壊しそうなビルは、まさに廃墟と呼ぶにふさわしい場所だ。『安全地帯』とは、まったく違う様相を呈している。そこにひっそりと暮らす住人たちは、遠巻きに尊たちを見ていた。

 その視線は、憧れや羨望などといったものでは決してない。妬みや怒りといった感情を、たしかに感じ取ることができた。それらを全く無視して、『騎士団』は進む。


「まだ遠くには行っていないはずだ。とにかく探すんだ」

 そのときである。

 尊の持っていたスマートフォンから警報が鳴り響いた。

「やっと来たかよ」

 直後、獅子王の顔に獰猛な笑みが浮かぶ。

「どっちだ?」

 尊はスマートフォンをあちこちに向けたあと、

「むこうだ」

 と言って、十時の方向を指した。


 いち早く飛び出すのはやはり獅子王だ。そのあとに吉良が、さらに面倒くさそうに尊が続く。

 彼らがたどり着いたのは、以前は病院として使われていた建物である。この病院も例にもれず、見るも無残に半壊していた。『危険区域』の住人の中には、こうしたところを寝床にしている者もいるようだが、ここにはそうした人間の姿はない。


「本当にここなのか?」

 しかし、ここには人の気配自体を感じない。侵入者の姿も、まるで見えなかった。

「その機械壊れてるんじゃ……」

 獅子王はその言葉を最後まで言い切ることはできなかった。



 いつの間にか距離を詰めていた尊が、自分に斬りかかっていたからだ。



「っ!」

 獅子王は紙一重でそれを躱すと、まるで獣のような俊敏な動きで尊から距離を取った。

「てめぇ、なんの真似……」

 その言葉もまた、途切れてしまった。

 ふたたび斬りこんで来る尊。もはや問答の余地はない。獅子王は腰に差した『銀狼』を抜いて尊を迎え撃った。

 ギィン! という硬質な音が響き、その音に呼応するかのように、獅子王の唇の端がつり上がる。


「おいおい、血気盛んだな。今度は言わせろよ? こりゃなんの真似だ?」

 しかし、尊は答えずに距離を取る。そうして今度は勢いをつけ、弾丸のように獅子王に迫り、二人はふたたび激突……。

 しなかった。

 両者の間に、吉良が割って入ったからである。


「柊! おまえ一体何をしてるんだっ?」

「なにを、だと?」

 尊は短くなぞったあと、低い声でこう続けた。

「敵の排除だ」

「なに? 敵だと? おまえ、いったい何を……」


 吉良は質問を重ねようとした。しかし、それも途中で途切れる。彼の背後から、一本の刀が伸び、頬すれすれを通過したからだ。

 それは獅子王の『銀狼』であった。その刀身が、彼の身の丈の倍以上伸びている。向かうさきは尊――その脳天である。狙いは極めて精密に、脳幹へと定められていた。


 刀身が額を貫くその寸前、尊の姿が消えた。

 ――違う、上だ。

 跳躍して、攻撃をかわしたのだ。ただし、その高さが異常だ。目視だが、その高さは十メートルほどの高さがあるように見える。

 尊は空中でくるりと一回転すると、軽やかに降り立った。


「柊。どういうことか説明しろ! これは冗談で済まされることじゃないぞ!」

 吉良は厳しい態度で尊を叱責する。しかし、対照的に尊の態度はひどく冷めていた。

「言ったはずだ。敵の排除。それだけだ」

「柊。分かるように説明するんだ。敵だと? 獅子王が、おまえの言う敵だというのか?」

「おしい。それだと五十点だ」

 尊はあざけるような声で言う。


「貴様もだ。吉良中隊長」

 斬りつけるかのような言葉に、吉良は言葉を失ったようだった。呆然と立ち尽くし、大きく目を見開いて、尊を見ている。

「なに……?」

 ようやくそれだけを絞り出したようだ。対する尊の顔には、あざけるような笑みが浮かんでいた。


「聞こえたろう?」

「吉良。問答の必要はないぜ。こいつは俺たちを攻撃したんだ。ここで〝処理〟する。それで終わりだ」

「その通り」

 獅子王の言葉に同意したのは、吉良ではなく尊であった。


「敵を〝処理〟する。俺たちがここに来たのはそのためだ」

「おまえらしくないぞ柊。言いたいことがあるなら、もっとハッキリ言えばどうだ?」

 すこしイラついた様子で吉良は言う。しかし、つぎの尊の言葉を聞いて、彼はふたたび言葉を失うこととなる。


「今回の事件の黒幕は、貴様らだ」

 尊はいままで回りくどい言い方をしておいて、今度はなんの前置きもなく、直截にそう言ったのだ。


「どういう……」

「言い訳は聞かん。獅子王が言ったろう。問答の必要はない。どういうことかは、貴様が一番よく知っている。

 だが、貴様らとてどうしてバレたのか知りたいだろう。せっかくだ、説明してやる。冥途の土産に聞いていけ」

 そう言った尊の顔には、いつものような傲慢な笑みが浮かんでいた。


「吉良、貴様の目的は、正永を『騎士団』から、ひいては『安全地帯』から排除することだな」

 尊は吉良を見据え、切り口上に言う。吉良はほんの一瞬、目を見張ったように見えた。

「〝なぜ〟と訊かれるまえに答えてやる。それは正永の思想が、『安全地帯』の〝安全〟を脅かすものだからだ。

 やつ……いや、〝解放軍〟の目的は、『安全地帯』と『危険区域』の垣根をなくす。すなわち、『安全地帯』を囲う城壁を、文字通り破壊することを意味している。だがその思想信条は、現在の『安全地帯』においては、決して肯定されてはならないものだ。貴様は、正永とは騎士団養成学園では同期だったそうだな。以前から気づいていたのだろう? やつの思想に」

 吉良はなにも答えなかった。ただじっと、尊を見据えている。


「正永のような考えを持つ人間がいる一方で、それとは真逆の考えを持った人間が『安全地帯』には存在する。すなわち、〝『安全地帯』には『危険区域』の人間は一切の存在を許さない〟という考え方だ。『安全地帯』には『安全地帯』出身の人間のみを居住させ、『危険区域』の人間は排除する。相反する考えを持つ貴様にとって、まさに正永こそ、目の上のたん瘤だったろう。だから貴様は、虎視眈々と待っていたんだ。やつを、陥れるチャンスを。

 そして、ようやくその時が訪れた。それが、今回の事件というわけだ」

 尊はそこまで言うと、一度言葉を区切った。それから、今度は獅子王に視線を止める。


「その〝今回の事件〟を仕組んだのは、貴様だな。獅子王大我」

「おいおい、正気か? なんで俺が……」

「いまから説明してやるから黙れ」

 尊はうっとうしそうに手を振って言った。


「貴様は『フレイアX』を殺すことを生きがいにしているやつだ。所詮は官僚組織に過ぎない『騎士団』の在り方に対して疑問を抱いてもいる。そして貴様は『危険区域』出身。となれば答えは一つ、貴様は正永の仲間だ。やつの考えに賛同し、おなじ理念のもと行動を共にしていた。相反する考えの貴様と吉良が手を組む理由は、一見すると無いように見える。だが、あるんだ、一つだけ。

 それが、正永の〝排除〟だ。

 獅子王、貴様は正永のやり方に愛想が尽きたのだろう? 無理もない。やつのやり方は老獪だし、なにより平和的すぎる。やつは絶対に暴力に訴えようとはしなかった。あくまで『S文書』を告発させる、それのみを目標にしていた。いや、やつに本当に『S文書』を告発させるつもりがあったのかどうかも怪しいものだ。それも奴にとっては、『安全地帯』上層部と同じテーブルで話し合うための、謂わば〝誇大広告〟に過ぎん。だが――」

 そこで尊は、唇の端に皮肉な笑みを浮かべ、あざけるような低い声で続ける。


「逆に貴様は、自らの目的を果たすためには、手段を択ばない腹積もりだった。『騎士団』団員の襲撃事件、そして先日の籠城事件は、貴様の仕業だ。自分の言葉に耳を貸さない正永に業を煮やし、貴様は強硬手段に出た。

 だが、それでは正永も黙ってはいまい。籠城事件がダメ押しになったのだろうな。貴様に過激な行動を慎むよう忠告をしたが、耳を貸さない貴様に、今度は正永が業を煮やした。やつは、いままでのことをすべて告白し、出頭すると言い出した。そうすれば正永も貴様も終わりだが、やつは一緒に償おうとも言ったのだろう。だが貴様にはそんなつもりは毛頭ない。だから貴様は、やつだけを、合法的に、〝排除〟する方法を思いついた。

 それが、正永一人を〝解放軍〟のリーダーに仕立て上げ、『騎士団』として〝処刑〟する計画だ」

 尊が言葉を区切ると、意外にも獅子王は片眉をあげて続きを促してきた。


「有無を言わせぬ証拠をやつの自室に仕込み、逃げ場のない状況を作り上げる。あるいは、罪の意識にさいなまれて、という遺書でも残して、自殺に見せかけ殺す。やつもタダではやられんだろうが、いずれにしても、正永は極めて危険な状況にいた。加えて『アドラスティア』が『S文書』を告発すると来た。どうしたものかと征十郎に泣きつかれてな。そこで俺が、素晴らしい計画を授けてやったんだ。

 まず、バイオテロに巻き込まれたことを偽装して、小隊全員を地下の病棟に隔離する。これだけで、貴様らは手出しができなくなった。うまい具合に、如月が侵入していたからな。そこも利用させてもらった。やつが再び現れ、そして『危険区域』に逃走したと見せかけ、貴様らを『危険区域』におびき寄せる」

 ニヤリと笑い、尊は『銀狼』の切っ先をゆっくりと獅子王へ向けて言うのだった。


「ここでなら、どんな〝事故〟が起きようと不自然ではないからな」

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