女神大戦

‐The Splendid Venus‐
灰原康弘
灰原康弘

第三章 華京院凛香という少女③

公開日時: 2021年2月17日(水) 19:32
文字数:3,425


「白衣を着た詐欺師だと? まったく……」

 応接間を出ると、瀬戸が呆れかえったように言った。

「悪気はないと言ったろう。それに、俺の個人的意見ともな。十分気は使ってやったと思うが?」

「ああ。おまえにしてはな」

 すこしも悪詫びていない尊に、瀬戸はやはり呆れた声で返す。



 結局、聴取でもめぼしい情報を得ることはできなかった。まあ、予想はしていたことだ。仕方がない。

 防犯カメラだが、こちらも同様である。隣家が病院にいた時間、その前後すべての映像が、べつの日のものにすり替えられていたのだ。病院にハッキングをかけて、記録をいじったのだろう。中央省にハッキングをかけた者の犯行であろう。つまり――。


「収穫なし、ということだな」

 尊が皮肉っぽい口調で言う。

「まあ、そういうときもあるさ」

 困った様子もなく、瀬戸の言葉は軽かった。


「いや、収穫はあったか。白虎地区の地区長が〝過保護〟という点だ。おかげで、質問するのすら億劫になったからな」

「あれにはちょっとした事情があってな」

 瀬戸はさも深刻そうな声で言った。

「東郷には一人娘がいるんだが、その娘が以前、『アドラスティア』に捕らえられたことがあったんだ。助けられはしたが、心を閉ざしちまったんだ。それを救ったのが、内海先生なんだよ」

「フン、なるほど。義理堅い話だな」


 捜査員たちはさきに帰らせ、尊たちはいま、丹生と合流して病室へとむかっていた。ここはいわゆる隔離病棟である。カメラの映像はすべて保管されていたので、前回、前々回と凛香が病院に来たときの映像を持ち帰らせ、なにか手掛かりが写っていないかを確認することにした。


 彼らがむかっているのは、凛香の姉、天音の病室である。

 それを提案したのは、意外にも、尊であった。


「あの、すみません……やはり私は……」

 凛香は足を止め、うつむいて言った。いつもとはまったく違う、消え入りそうなほどにか細い声で。

「貴様のそういう態度を見ていると鳥肌が立つな」

 バカにしたような尊の言葉にも、凛香は反論することはない。


 彼女にはいま、重大な容疑がかかっているのだ。騎士団士官学園の士官候補生という立場にあって、遺体を中央省へと運んだ。のみならず、殺人容疑がかかっているのである。

 そんな状態で、姉に会いたくはないのだろう。が、

「いいからとっとと来い」

 そんな気持ちや言葉を無視し、尊はさっさと歩きだしてしまう。


「尊。あんたには考えがあるんでしょうけど、まずはその考えを教えてくれる? じゃなきゃ、華京院さんも困るでしょ」

 正直なところ、瀬戸と律子はその理由に心当たりがあった。しかし、凛香の手前、それは言わずにおく。

「後で説明してやる」

 しかし、尊は面倒くさそうに言うだけで振りかえることもない。律子はちいさくため息をつくと、

「ごめんなさいね、華京院さん。すこしだけ付き合ってくれる?」

「は、はい……」

 教官である律子にそう言われては、凛香もそう強くは出られないらしい。まだ迷っているようであったが、とりあえず首は縦に振ってくれた。


 天音の病室は1011号室だと凛香は言った。たしかに、1011というプレートには、〝華京院天音〟の名前がある。

 一同(凛香以外)の期待を裏切ることなく、尊はノックもせずに扉を開ける。凛香が抗議しようと口を開きかけている間に、さっさと入室するので、凛香は慌てて、律子たちはため息交じりにその後を追った。


 精神病院の病室は、通常の病院と異なる点がある。例えば、カギだ。病室の場合、カギは内側ではなく外側についており、医者や看護師しか開閉することができない。理由はそうしなければ〝危険〟だからである。彼らは指定された時間以外、病室から出ることを許されていない。


 しかし、それ以外に、とくに変わった点は見受けられない。強いて言うなら、大きさだろうか。さすがに唯の病室ほどではないが、着替えを入れるクローゼットや給湯室、シャワー室などがあった。

 ここは隔離病棟でも最もガードの緩い、いわゆる〝解放病棟〟のようである。

 鉄格子の檻に閉じこめられる、刑務所や動物園のような病室もある中で、ここは天国のように見えるに違いない。


 凛香と内海は言っていた。天音は入院してから、だれにも心を開いてはおらず、治療もまったくすすんでいないと。そう聞いたとき、尊は天音は隔離病棟の中で最もガードの堅い、〝ハード〟と呼ばれる隔離室に入れられていると思ったのだ。

 しかし、予想に反して、天音の病室は解放病棟であった。

いぶかしげに思ったものの、その理由は病室に入ってすぐに分かった。


 天音は病室にいた。白い、大きなベッドの上で、上体を起こしている。ただし、彼女は微動だにしない。尊たちにも、まったく気づいていないかのように、ずっと視線を下にむけている。起きているのか眠っているのか、それすら分からなかった。いや、もしかしたら、彼女は死んでいるのではないか、そんな錯覚すら覚えてしまう。

 肌が白いのは病室から出ないためだろうか。髪は長いが、きちんとセットされている。化粧っ気のない顔だが、どこか気品を感じさせた。それが彼女に凛とした印象を与えており、その点は凛香と似ていると言える。


「貴様が華京院天音あまねか? 貴様と愚妹のことで訊きたいことがある。質問に答えてもらうぞ」

 しかし、天音はなにも答えなかった。相変わらず視線を下にむけたまま、微動だにしない。

「おい、聞いているのか」

 天音の反応は変わらない。すなわち、無反応である。

「貴様の妹が公然わいせつ罪で捕まったんだが、なにかコメントは?」

「おい! でたらめを言うな!」

 さすがに凛香が否定した。が、天音は相変わらず無反応である。もっとも、皮肉なことに、尊の暴言に対する模範解答は無反応なのである。


 尊はうるさそうに顔をしかめ、

「貴様ここをどこだと思ってるんだ? 寝ていないかどうか確かめただけだろう」

 一同は大きなため息をついた。

「……姉さまは、もうずっと、このご様子なのだ」

 ここで尊の言葉を無視したのは、凛香にしては賢明である。いつもこうだと無益な争いが起こることもないのだが、と律子は思った。

「こうして一日中、ずっとベッドの上で、ただじっと座っておられる……私がなにを話しかけても、答えてはくださらない」


 凛香の表情に、さっと影が降りた。彼女は戸棚からブラシを取り出すと、天音の髪をすきはじめる。凛香の目は、天音を見ているようで見ていない。やはり、昔の姉とをいやおうなしに重ねてしまっているのだろう。尊には目もくれずに彼女は言う。

「だから柊、おまえが姉さまになにを訊こうと思ったのかは知らないが、話を聞くのは無理だ」

「フン、だれが話を聞くと言った?」

「なに?」

 凛香の目が尊を見る。

「もう俺の用は済んだ」

「では、なぜここに来たのだ?」

「さあな」

 尊は答えず肩をすくめた。


「尊、説明する約束でしょ?」

「だから、〝後で説明する〟と言っただろう。気がむいたら説明してやる」

 この少年は本当に説明する気があるのだろうか。一人納得した尊は、このあと「俺は帰らせてもらう」と言い出しかねない。現に、もう興味の失せた表情をしている。

 まあ、尊が天音の病室に行こうと言い出した理由はおおよその見当がつく。いざとなれば、自分が説明すればいいことだ。

 しかし、教官としては、ここで尊の横暴を静観するわけにもいかない。律子が口を開きかけた、その時である。


「ずいぶん賑やかですね」

 突如、後ろから声が聞こえた。彼らは、その声に聞き覚えがあった。

「こんなところであなた方と会うとは」

 そこにいたのは、色白で長身の男。そして、その視線は決して軽くはない。だれかれ構わず斬りつける、むき出しの刃物のような、鋭利な雰囲気を纏っている。

 声の主――刀哉は皮肉っぽい口調で言うと、律子に視線を走らせた。


「これはこれは団長殿。異なところでお目にかかるものだ」

 尊の皮肉には答えずに、刀哉は瀬戸に言う。

「元帥、なぜあなた方がここに?」

「尊が天音ちゃんに会ってみたいって言うんでな。なに、妙なことはしてないから安心しろ」

「べつに心配などしていませんよ」

 刀哉が肩をすくめて言った。と、そこでなにか物音が聞こえた。なにかを床に落としたような、そんな男である。見ると、それは凛香がブラシを落とした音だと分かった。

 しかし、彼女はブラシを拾おうとしない。なにか驚いたように、固まっている。彼女は瞠目して、刀哉を見ていた。

 そして、彼女は、たしかにこう言ったのだ。




「刀哉、兄さま……」

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