女神大戦

‐The Splendid Venus‐
灰原康弘
灰原康弘

第一章 柊尊という少年①

公開日時: 2020年9月7日(月) 22:32
文字数:4,660

「ふっ!」

 たけるが目を覚ましたのは、腹部に痛みを感じたからだ。そのまえに、なにかかけ声のようなものが聞こえた気がする。眠気眼に映りこんだのは、エプロンをつけた二十代半ばと見える女の顔だった。相変わらず服とミスマッチした奇妙な格好をしている。


「ようやく起きたのね。まったく、あまり手を焼かさないでちょうだい」

「……相変わらず野蛮な女だな。それに、恩着せがましい」

 恨めしそうに言うと、一つあくびをする。

「今日も来ていたのか?」

「ええ。あんた、ほっとくとなにもしないでしょ?」

 女は呆れたように言った。切れ長の瞳が小ばかにするように細められる。


鬼柳律子きりゅう りつこ

 女にしては身長が高いほうだろう。伸びた背筋は見る者に凛とした印象を、切れ長の瞳にメガネをかけた姿からは理知的な印象を与えている。長い黒髪を一ふさにまとめ、左のうなじから垂らしたその姿からは、思わず見とれる大人の魅力がある。

 ありていに言えば美人だが、とっつきずらい感じはしない。つかみどころのない女だった。

 律子がここに来るようになってから、もう五年になる。両親のいない尊の様子を定期的に見に来ていたのがそもそもの始まりだ。

 日がたつにつれ、散らかっている部屋をかたすようになり、洗濯をするようになり、食事を作るようになり、いまでは、半同居生活となっている。


 尊はつまらなそうに鼻を鳴らすと、すべきことを済まし、ベッドのわきに置いていた、すこし塗装のはげた金色のロケットを首からかけ、リビングにむかう。食卓の上には、すでに朝食が用意してあった。トーストとベーコンエッグ、そしてサラダというシンプルなものだ。


「コーヒーとミルク、どっち飲む?」

 台所から律子が訊いてくる。

「コーヒーミルクでも貰おうか」

「どっちかって言わなかったかしら」

「どちらと訊かれると両方選びたくなるタイプなんだ」

「……はいはい」

 慣れた様子でいれると、尊のまえまで持ってきてやる。腹が立ったので、カフェラテをいれてやった。

 しかし、尊はとくに文句を言うことなくそれを呑みはじめる。

 天邪鬼め、と思いつつ声には出さない。


 律子は、ふとテレビを見た。ニュースでは、今朝起きた事件について報道されている。

「フン、ずいぶんな不祥事だな。これはまた騒がしくなるぞ。まったく、ご苦労なことだ」

 テレビと尊を交互に見て、律子は疲れたように息を吐いた。

 その不祥事のせいで、苦労することになるのが分かっているからだ。


「じゃあ、私はもう行くから」

「そうか」

 と尊は、ひどくそっけない返事をかえす。律子がエプロンを脱いで、壁にかけたことにすら気づいてはいないだろう。彼の目はいま、スマートフォンに釘付けになっている。どうせまたあの少女とやり取りをしているのだろう。こうなった以上、なにを言ってもムダだ。というより、ニヤニヤしていてじつに気持ちが悪いので話しかけたくない。律子はため息をつくと、

「ちゃんと学校来るのよ」

「そうか」

「誰彼かまわずケンカを売らないように」

「そうか」

「『銀狼ぎんろう』も、ちゃんと忘れずに持っていきなさいよ」

「そうか」

「くれぐれも問題だけは起こさないでちょうだい」

「そうか」

「ちゃんと、おねがいね」

「そうか」

 聞いているのかいないのか、尊はそんな答えしか返さない。律子は最後にもう一度大きなため息をつくと、仕事に向かった。




 ひいらぎ尊は今年の春からとある学園に入学した士官候補生だ。

 現在日本国は、とある理由により“鎖国”状態となっている。

 いまから十五年前、ある問題が発生した。

 尊が入学した学園は、その問題を解決するためにつくられ、国内でも、トップクラスの進学校。その倍率は五十を超える超難関校だ。毎年、およそ二千人の受験者がこの学園を志願する。その中から、試験官によって選び抜かれた四十名がこの学校の制服を着ることを許される。

 校則で全校生徒に『帯刀』が義務付けられていることから分かるとおり、この学園は普通ではない。

 尊も晴れてその一人となったわけだが、特別感慨があるわけでもない。彼にとっては、この程度はできて当然のことだ。


 四月。ほぼ毎日歩くことになる子の通学路も、いまは桜が満開だった。

 近所のコンビニを横切り、朝の繁華街を通り、駅のホールを抜けると、丘の上に中世ヨーロッパの城を思わせる建物が立っているのが見えた。尊の通っている学園である。

 歩くたび、首から下げた金色のロケットが音を立てて揺れている。

 このままいけば遅刻はせずに済みそうだ。遅刻すると、また律子がうるさい。そうなれば、また予定が狂ってしまう。先日も、それでひどい目にあった。


「おい、そこのおまえ、柊尊だな?」

 突如後ろから問いかけられるも、尊は当然のように無視する。

「おい!」

 声の主はまえに回り込んで声を荒げる。しかし、尊は反応を示さない。

 ドン、とついになにかにぶつかった。というのも、彼はスマートフォンを見ていたために、まえを見ていなかったのだ。

「おい」

 と、低い声が発せられる。無論、それは尊に対するものだ。身長二メートル近い巨漢が、尊を射殺さんばかりに睨みつけている。

 しかし、当の本人は男のことなどまるで意に介していないどころか、男を避けて歩き出したではないか。その態度が、男の堪忍袋を緒ごと爆発させた。


「貴様! こっちを見んかぁッ‼」

 吠えると、尊の胸ぐらを無理やりつかむ。

「さっきから無視しやがって……この俺を舐めているのか!?」

 顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。尊も身長は高いが、触れれば輪郭がかすれそうなほどに線が細い。男を大樹とするなら、尊は小枝のようなものだ。こうして恫喝されている姿を見ると、ライオンとうさぎを彷彿とさせる。


「……騒がしい」

 そんな状況に置かれてなお、尊の言葉は端的だった。その端に、怒りの感情が見て取れる。

「なんだと?」

「一度だけ警告してやる。放せ」

「くっ……ふざけるな!」

 放たれた殺気に、一瞬身を怯ませるも、ここまで来て引き下がるわけにもいかない。男は怒りに身をまかせてさらに吠える。

 背中に刺していた大刀を抜くと、威嚇するように思い切り地面に突き刺した。衝撃でタイルがえぐれ、土煙にまぎれて、黒い霧のようなものが噴出している。尊はそれを一瞥すると、白けたように肩をすくめた。

「おまえが昨日の入学式で言ったこと、忘れたとは言わせんぞ! おまえも『銀狼』は支給されているはずだ! 抜け!」


『銀狼』とは、尊たち士官候補生全員に支給されている武器だ。

 十五年前に発見された『物質』を元にして作られたそれは、“あるモノ”に対抗するために必要不可欠なものだ。『銀狼』とは、その総称だった。

「『騎士団きしだん』に所属している方もいるまえで、よくもあのようなことが言えたものだな!」

 感情が先行し、怒鳴り散らすばかりでまったく要領を得なかった男だが、ここにきて、どうして尊にからんできたのか、ようやく分かった。

 見ると、男は尊とおなじ制服を着ている。胸につけられた青色のバッチを見るに、どうやら二年生らしい。

 昨日の入学式で、教官や上級生がいる中、尊は新入生代表のあいさつでこう言い放った。


(――「初めに一つ言っておく。貴様らとなれ合うつもりはないし、俺にとって、この学園は通過点ですらない。ここで学ぶことなど一つもない。なぜなら、俺はすでに、貴様らが望むものを手にしている、地上で最強の男だからだ。俺は貴様らとは違うのだ。せいぜい俺の邪魔をしないよう、気をつけることだ」――)


 あれからというもの、尊はなにかと上級生から絡まれている。原因が明らかにもかかわらず、尊は反省もしていなければ後悔もしていないし、尊大な態度も変わらない。それがこの状況にさらに拍車をかけていることも、また明らかであった。

 もっとも、尊にしてみれば、ただ思ったことを言ったに過ぎないのだが、ムダに敵を作ってしまったことは、この男の反応を見るに明白である。そういえば、入学式のあと律子にこのことでどやされた気がする。今日も念を押していたのは、これが尾を引いているためだろう。


「俺たちを愚弄したあの言葉、その借りを返させてもら――」

 最後まで言い切ることはできなかった。男の体が宙に浮き、視界が上下さかさまに反転したかと思うと、思い切り地面に叩きつけられたのだ。

 右腕で相手の右肩をつかんで固定し、受けの体を背負いあげて引手で引いて投げる。一本背負い投げだ。

「きさっ……」

ドンッ!

 と、なにかを言おうとした男の顔面の真横に、刀が突きたてられる。尊が腰に差していた『銀狼』を抜刀したのだ。そこから黒い霧のような『ナニ』かが、まるで蛇のように、ぬるりと首に巻きついていき、男の顔は見る見るうちに蒼白になる。体を起こそうとするも、尊の射るような視線に身動き一つできない。まるで、指さき一本にいたるまで拘束されたかのようだ。


「警告は一度と言ったはずだ。貴様、日本語も分からない木偶の坊か?」

 恥をかいてなお、男の表情から怒りが消えないのは、罵倒の内容が度を過ぎているからだ。

 尊はつまらなそうに鼻を鳴らすと、『銀狼』を抜いて鞘に納める。

「俺は貴様ごときゾウリムシに構っているひまなどないんだ。分かったら、二度と俺の視界に入るなよ」


 と、そのときだった。ビーッ、ビーッ、と耳障りな電子音が鳴り響いた。尊はうるさそうに顔をしかめると、懐からスマートフォンを取りだす。これは、”とある一団”に支給されている一種の警報器だ。警報を止めると、それに対抗するように、遠くからなにやら大きな音が聞こえてきた。なにか建物が倒壊するような音と、人々の叫び声――悲鳴だろうか――だ。それはすこしずつ、しかし確実に近づいてくる。やがて、その騒ぎの中心にいるモノが姿を現した。

『ソレ』は一言であらわすなら猛獣であった。四足歩行にもかかわらず、体は人間の身の丈の二倍はあり、全身は黒い体毛に覆われている。血走った赤い目が、獲物を探すかのようにギョロリと動く。


「きゃああああああっ‼」「なんでこんなところに『フレイアXイクス』 がいるんだよっ!?」「『騎士団』はなにやってんだ!」「逃げろ、殺されるっ‼」


 クモの巣を散らしたように、人々は我先にとその場から逃げていく。

 が、『ソレ』が獲物として捕らえたのは、不運にも尊だった。視界にとらえた途端、まるでほかのものなど見えていないかのように、一直線に突進してきた。

「フン、次から次へと……面倒なことだ」

 よだれをまき散らしながら飛びかかってきた『ソレ』を、しかし尊は片手で受け止めた。衝突によって発生した突風で尊を中心としてタイルがえぐれ、桜を散らし、店のガラスを粉々に粉砕する。

 尊の左腕からは、黒い靄のようなものが怪しく立ち上っていた……。


「なっ」

 と驚きの声をあげたのは、いまだ地面に突っ伏している、尊にからんできた男だった。当の本人はじつに涼しげな顔で、冷めた目で『ソレ』を見ている。

「フン、こんなものか……」

「ふ、『フレイアX』を片手で……お、おまえいったい……」

 男から畏怖の目で見られても、尊は眉ひとつ動かさない。

「言ったはずだ」

 つまらなそうに言うと、尊は目にもとまらぬ速さで抜刀し、軽々と、まるでケーキでも切り分けるかのように、『ソレ』を両断した。一泊置いて、『ソレ』の断面から、黒い霧のようなものが噴出する。一瞬、苦しげにもがくようなしぐさを見せたものの、霧の噴出は一層強くなり、ついに体は四方にはじけ飛び、後にはなにも残らなかった。


 唖然としている男に、尊は見下すような視線をやり、

「俺は、地上で最強の男だ」

 と言うのだった。

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