女神大戦

‐The Splendid Venus‐
灰原康弘
灰原康弘

第三章 華京院凛香という少女⑩

公開日時: 2021年2月24日(水) 19:08
文字数:4,857

 騎士団養成学園の演習場は、円形を描いた、中世のコロシアムを彷彿とさせる造りになっている。いるのだが、とある少年が半壊させ、つい先日修理を終えたばかりであった。


 前述のとおり、教官の許可を得れば演習場の使用は可能である。ただし、許可証を提出する者はそう多くなかった。理由は単純で、その機会がすくないからだ。士官候補生同士の私闘は禁止されているし、休み時間に演習場を使ってまで研鑽しあうような者もすくなかった。


「さて、楽しい楽しい修行の時間だ。この俺がわざわざ時間を割いてやるんだ。感謝しろ」

 建造物損壊罪の少年が偉そうに言い放った。

 以前、凛香はここで尊と決闘し、その圧倒的な実力のまえに敗北を喫したことがある。彼女にとっては苦い思い出のある場所だ。その場所で、尊が凛香に修行をつけるなど、なんとも皮肉な話だなと思った。

「いったい、今度はなにをするつもりなんだ?」

 凛香が眉根をよせた。彼女の顔には不安の色がある。無理もない。今朝の出来事が頭をよぎっているのだろう。


「喜べ。なんと今回は、貴様に与えるノルマを増やしてやる」

「ノルマを?」

 今朝、尊は凛香に、「俺から目を離すな」というノルマを与えた。凛香は言われたとおり、尊から目を離すことなく、その攻撃をかわし切った。

 今回は、それに加えて、〝三十回目の後に繰り出される攻撃の後に、意図的につくられたスキを突く〟というノルマを課すという。

「ちょっと待ってくれ」

 凛香がストップをかけた。


「なんだ」

 話の腰を折られた尊はうざったそうに舌打ちをした。

「そんなことをしていて、本当に兄さまに勝てるのか?」

 疑り深い二つの瞳が尊を見る。

「兄さまはお強い。いまの私が敵うとは思っていない。そんなことで敵うとも思えない」

 凛香はそこまで前置きをしてから、ついに本題に入る。

「ハッキリ言う。私は柊、おまえのことを完全に信頼していない。決闘のことは仕方がない。兄さまとは遅かれ早かれこうなっていた。だが……」

 そこで凛香は、挑戦的な視線をむけた。いまの彼女には斬りつけるような鋭さがあり、刀哉を連想させる。


「私には私の得意分野があるし、プライドもある。おまえに教わるより、一人でやったほうが効率もいいと思っている。だから柊、おまえの享受は必要ない」

 これは、たしかに凛香の本心だったが、尊を遠ざけるつもりの言葉でもあった。

 これは華京院家の問題だ。兄と姉の。そして、ほかでもない自分の問題だ。尊は『騎士団』の小隊長である。尊のことは、いけ好かなく思っているが、今回のことで、彼の『騎士団』内での立場が危うくなることは、凛香の望むところではなかった。

 これで、尊は鼻を鳴らして去っていくと思ったのだが、彼は顔を伏せ、静かにのどの奥で笑い始めた。


「なるほど。もっともな意見だな」

 顔を上げたとき、尊の顔にはすでに見慣れた、傲岸不遜で、皮肉な笑みを浮かんでいた。

「いいだろう。貴様の意見を尊重し、べつのプロセスをはさんでやる」

 そう言ったかと思うと、尊はスマートフォンを取りだしてどこかに電話をかけた。〝すぐに騎士団養成学園の演習場〟に来るように、と伝えると、まもなく三人の人間が到着した。彼らは皆一様に、『騎士団』の純白の団服を着ていた。


「小隊長。小隊隊員、月島、木原、日野、以上三名、参りました」

 真ん中に立った、黒縁のメガネをかけた、神経質そうな顔をした男がすばやく敬礼すると、両脇の二人もそれに倣った。

「あいさつはいい」

 尊はどうでもよさそうに手を振ると、今度は口元に皮肉な笑みを浮かべて言う。


「貴様ら、仕事の時間だ」

 怪訝な顔をしている部下たちに、尊は深い事情は説明せず、うわべのみを言って聞かせた。

 曰く、凛香はある人物との決闘を控えており、いま修行をつけている。貴様らにもそれを手伝ってもらう、と。どうやら、部下たちに凛香の相手をさせようとしているようだが、なんともざっくりとした説明である。もっとも、相手が相手だから、今回は仕方がないのかもしれない。


 しかし、部下たちはそれだけで素早く点頭した。いまの説明で納得するのか。きっとこの方たちは普段から無理難題を言われているに違いない、と凛香は思った。

「なにを呆けている? さっさと位置につけ」

 凛香にむけて顎先を振る尊。演習場の真ん中へ行け、ということである。が、凛香はまだ納得していない。突然のことに動揺してもいた。


「ま、待ってくれ柊! 私はまだ……」

「いいからはやくしろ。それとも、忙しい合間を縫ってわざわざ来てくれたこいつらを、貴様は追い返せと言うのか? 士官候補生風情が、偉くなったものだな」

 そう言われては無理やり納得するほかなかった。

 考えてみれば、自分は運がいいのかもしれない。『騎士団』は凛香が尊敬してやまない職業である。その『騎士団』の現職の団員が、自分の相手をしてくれるというのだ。これは、願ってもみない好機である。


「分かった」

 凛香はうなづき、言われたとおりの位置につく。

「月島、まずは貴様からだ」

 言われて、神経質そうな顔をした男――月島が位置につく。

「では……はじめ!」

 急に尊が声を張り上げたので、凛香は体がこわばった。反射的に身構えるが、

「と言ったら始めろ」

 そう続けられ、凛香は思わず気が抜けてしまった。


「おい柊! ふざけているのかっ!?」

「なんだ。こんなもの、お約束だろう」

 怒る凛香とは対照的に、尊が薄笑いを浮かべている。最初はこれによって余計怒っていたものだが、慣れてきてしまったのか、逆に冷静になることができた。

 凛香は目を伏せ、深く息を吸う――。

「始めろ」

 さきほどとは打って変わった、低い号令。しかしそれゆえに、おふざけなどではない、本物の号令であることが分かる。


 決闘が、始まった。

 まず最初に、凛香が仕掛けた。


 サーベル型の『銀浪』の切っ先を地面に切りこみながら、月島めがけて突進していく。

 斬撃を自らの刀型の『銀浪』で受けた月島を見て、凛香は相手に気づかれぬよう、薄く微笑んだ。

 ――行ける!

 凛香は刀を払うふりをして、鋭く一閃、『銀浪』を振るう。

 瞬間、地面から一振りのサーベルが飛び出し、月島に襲いかかった。これを月島は刀で叩き落した。そして、このときを凛香は見逃さなかった。この瞬間、月島の胴体はがら空きになった。そこで、必殺の突きを打ちこむ。無論、生身での決闘であるし、寸前で止めるつもりだった。しかし、反して、その必要はなかった。

 月島がその攻撃を難なくかわし、逆に凛香の首筋に『銀浪』を突き立てたからである。


(な……)

 なんだ? いったい、なにが起こった?

「そこまでだ」

 呆然とする凛香を、尊の冷ややかな声が現実に引き戻した。

「ご苦労。下がれ」

 月島は一礼して後ろへ下がり、その代わりに、小柄な男がまえに出る。

「い、いまのはいったい……」

 ようやく絞りだされたその声に、しかし尊は冷めた目をむけるだけだ。

「なんだ。そいつの名は木原。他に質問は?」


 結局、凛香はそれ以上なにも言わずに決闘を開始される。

 ――落ち着け。いつものとおりに、やればいい。そうすれば……。

 しかし、つぎも結果はおなじだった。おなじように攻撃をかわされ、逆に必殺の一撃を叩き込まれた。

 どういうことだ? どうなっている? 相手は現職の『騎士団』団員だ。苦戦するだろうとは思っていたが、ここまで手も足も出ないなんて……。それほどまでに、実力がかけ離れているというのか? これでは、刀哉に勝つことなど……。


 そこで、凛香はある光景を目にした。

 尊が部下の一人――日焼けした髪の短い女――日野に、何事か耳打ちをしている。日野から離れる直前、尊は凛香に一瞥をくれると、にやりと笑って見せた。その瞬間、凛香は頭を叩かれたかのような、強い衝撃に襲われた。


 そうか。そういうことだったのか。

 月島と日野は、尊から助言を受けていたのだ。凛香が、どのような戦術をとるかを。以前凛香と決闘したことのある尊は、彼女の長所だけでなく、短所も見抜いていた。そして尊は、長所を、部下たちに伝えたのだ。凛香が得意とする戦術、目に見える斬撃をおとりにして、目に見えない箇所に打ちこんだ二の矢――そして、それに対処しているときに生じる決定的な隙……。

 なるほど考えてみれば、凛香の動きはよく研究され、十分な対策がなされていた。罠に誘いこんでいたつもりが、逆に誘いこまれていたというわけか。

 結局、凛香は『騎士団』の団員たちから、一本もとることができなかった。




 ――十分だ。下がれ。

 決闘を終えた部下たちに対し、尊はそっけなく言った。月島たちはとくに反論することもなく、一礼して演習場を後にした。

「これで分かっただろう」

 いまだ呆然としている凛香にむかい、尊は冷たく言い放つ。

「貴様の力など、この程度だ」

 凛香がこぶしを握り締める。体が震える。視界がにじむ。いま自分がどんな感情を抱いているのか、もう分からなかった。


「貴様、手を抜いたな?」

 斬りつけるかのように言われ、凛香はハッとなった。その言葉は、自分でも驚くほど滑らかに、理解することができた。

 そうだ。凛香は手を抜いていた。

 高を括っていたのだ。自分は、現職の『騎士団』団員にも引けは取らないと。万が一負けそうになっても、自分の得意とする領域に押しこめれば勝てる。そう思い、よく策を練らなかった。間違いなく、自分は手を抜いていた。それも、無意識のうちに。


「いまここで対応されるようなら、あの男も当然対応してくる。これではやつに勝つことなど、到底不可能だな。それでなんだったか。貴様さっきなにか言っていたな。たしか……プライドがなんだって?」

 尊がにやにやと意地の悪い笑みを浮かべて訊いてくる。

 要するに、尊が言いたかったことはこうだろう。

 凛香はいま、おのれの力を過信し、対策を怠った。プライドに溺れたがために、見事に足をすくわれた。それでは、刀哉には勝てない。


 失敗は、むしろ得意分野でこそ起こりえる。専門家が詐欺師に騙されるように、〝自分は大丈夫だ〟と無条件に思いこむ。窮地に陥ったとき、『自分の有利な形に持ち込めば逆転できる』という慢心が、結果視野を狭める。しかしそれではダメなのだ。勝つためには、相手はもちろん、自分自身も徹底的に分析し、決して考えることをやめてはならない。

 尊はそう言いたかったのだろう。……多分。

 いくらなんでも、手のこんだ嫌がらせ、というわけではないと思う。……た、多分。


「……たしかに、おまえの言うとおりだ」

 凛香は素直に認めた。

「私は、自分の力を過信していたようだ」

「それで?」

 尊はにやにや笑いをやめようとしない。彼が待っている言葉もまた、凛香は予想することができた。それは一つである。

『私が間違っていた。おまえが正しい。私に修行をつけてくれ』

 と、これだ。こう言わせたいに違いない。なぜなら、尊はそういう人間だからだ。


 傲岸不遜、皮肉屋、毒舌家……彼を形容する様々な言葉が脳裏をよぎっていく。彼は人格破綻者だが、それゆえに一度決めたことは絶対 に貫き通す。最大限好意的な言いかたをするなら、〝一途〟というやつだ。


 だからこそ、今回の〝修行〟に関しても、尊は尊なりに誠意をもって、望んでくれているのだろう。

 部下の人たちを呼んで決闘をさせた。おかげで、凛香は自分の欠点に気づくことができた。そしてそれを、文字通り、体に刻みつけられた。

 この男についていけば、可能性が見えるかもしれない。兄に、勝てるかもしれない。

 いいだろう。そのためなら、やってやろうではないか。


「柊。おまえに頼みがある」

「ほう。なんだ」

「私に修行をつけてくれ! 私は絶対に、兄さまを超えてみせる! 私には、おまえの力が必要だ!」

 尊はにやにや笑いをひっこめ、今度は勝ち誇ったような笑みを浮かべる。

「いいだろう。この俺が、貴様に素晴らしい戦績を与えてやる」

 兄に勝つ。勝って、自分と、姉を認めさせる。そのためなら、尊の言いなりにくらいなってやる。凛香は覚悟を決め、


「では、まずは昼食を買ってこい。もちろん代金は貴様持ちだ」

 すぐに後悔した。

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