異常を知らせる警報音が、建物の中に響き渡った。
『侵入者アリ、侵入者アリ、非戦闘員は退避、戦闘員は即時配置につけ。繰り返す――』
切迫したその声が、これが訓練などではないことを彼らに知らしめた。
彼がここにきて、もう五年になる。十五年前、家族を失った。そして、〝彼〟に救われた。手を差し伸べられ、ここに連れてこられた。居場所をなくした自分を、彼らは受け入れてくれた。仲間として、迎え入れてくれた。〝ここが自分の居場所なんだ〟。そう思うことができた。
だから決めたのだ。これからは、この人たちとともに生きていこうと。すこしでも恩返しがしたかった。
ここにいる人たちはみんなそうだ。みんな〝彼〟に救われ、ここにいる。
戦闘員には自ら望んで志願した。訓練は厳しく激しいものだったが、苦に思ったことは一度もなかった。恩を返したい。役に立ちたい。その一心で、努力してきた。
だが――。
「ぐああああああああっ!?」「きゃああああああっ!?」「やめろ……やめてくれ……」「もう、殺してくれ……」
――どうしてこうなった?
眼前に広がる光景を見て、彼は自問した。
むせかえるような血の匂い。倒れているのは、仲間たち……自分を受け入れ、仲間として迎え入れてくれた人たち。
その中心に、白い服を着た人物が、一人立っている。
「私は、英雄になりたい」
白服が言った。どうやら男のようだ。ようだ、というのは、白服が白い仮面をつけているからだ。半月型の口元は大きく吊り上がり、目もまた半月型に垂れ下がっており、不気味な笑みの形を作っていた。髪は長髪だが、一度も手入れをしていないかのように傷み切っている。
服も仮面もたしかに純白だが、どれも真っ赤に染まっている。……仲間たちの、返り血で。
「私は、英雄になりたい」
男は重ねて言った。
そして、刀を二振り、足元に倒れている女の〝二つの首〟を掻っ切った。
「っ!」
女の体が、ビクンと痙攣する。切り口からは血がとめどなくあふれ出る。女の目から生気が消えるのと、目じりにたまった涙が流れ出たのは同時だった。
彼女のことはよく知っている。自分がここに来たとき、教育係になった女だ。いろいろなことを教えてくれた、自分を受け入れてくれた人。
「ある牧師が言いました。〝一人殺せば殺人者だが、千人殺せば英雄である〟。彼は同時に奴隷廃止論者でもあったわけですが、私は彼の言葉をこよなく愛する。ゆえに、私は人を殺すのです」
男が、仮面の下で笑ったように見えた。
「我々唯一絶対の理念は、〝勝てば官軍、負ければ賊軍〟。ゆえに、私は、ここで人を殺すのです」
そこで、仮面の男は歩を進め、今度は倒れた男の首を切る。
彼は、その男のこともよく知っていた。さっき殺された女と仲のよかった、自分のことを弟のようにかわいがってくれた男だ。
その〝鳥のような体〟が、無残に赤く染まっている……。
男と目が合う。その嘴が、ゆっくりと動く。
――に、げ、ろ。
彼ははじかれたように走り出した。
自分はここの人たちに救われた。だから、恩返しがしたかった。そのために、必死に努力してきた。
それなのに――。
「私は、英雄になりたい」
男がかみしめるように言った。
「ありがとう」
すぐ後ろで、男の声が聞こえる。
「私が英雄になる、その礎となってくれて」
彼は全身に、動物的悪寒を感じた。反射的に、その〝四本の腕〟で防御態勢を取った。
直後、首筋に痛みを感じた。
急速に意識が遠くなるのを感じる。いままで感じたことのない、抗いがたい喪失感。視界が安定しない。つまづいてしまったのか? まずい、衝撃に備えなえなければ――。
「ひどいですねぇ」
男は困ったように言った。
「人の獲物を捕るのはルール違反ですよ」
「あら」
と、心外そうに眉をひそめたのは、鮮やかな金髪を腰まで伸ばした女だった。
「心外ですわね。わたくしはあなたの尻拭いをしてあげただけですわ」
純白のドレスに純白のヒール。ただし、いずれも血で真っ赤に染まっている。彼女のものではなく、敵の返り血だ。
けぶるように長いまつげ。白い肌。そのため、赤く彩られた唇はとてもよく目立つ。背筋はピンと伸び、ヒールをはいていることも手伝って背が高く見える。柑橘系の香り。きらびやかな金髪を乱暴に払うしぐさも、彼女がやると優雅に見える。美しい女だった。
「わざと逃がしたのですよ。狩りをしたことがありますか? 私は追い、獲物は逃げる。一度希望を与えたうえで追い詰める。もはや逃げ場はないと察した獲物の顔に浮かぶ圧倒的な恐怖と絶望……。ほかの生き物の生死をその手に握っているという優越感こそ、狩りの醍醐味だ」
独裁者の演説のように、ある種の熱意を持って語る男だが、対する女の反応は、
「ふん、汚らわしい」
口の中のものを吐き出すかのようだった。
「手厳しいですねぇ」
男はまた困ったように笑う。が、
「だが、つぎはない。あなたとて、獲物にはなりたくないでしょう?」
一転して、一切の感情を排除した、底冷えするかのような声で言う。
「言いますわね。異常者風情が」
女もまた、低い声とともに鋭く男を睨みつける。
そのとき、二人を牽制するかのように、カツン、という足音が聞こえた。
二人が目をむけると、そこには白い服を着た男が立っている。すらりとした長身。色白で、瞳は女のように切れ長だ。年齢は三十代前半だろうか。細い線とは裏腹に誰彼構わず斬りつけるかのような、鋭利な存在感を放っている。
彼の服は、二人とは対照的に、血に染まってはいない。汚れ一つない、純白である。
「済みましたか?」
男は事務的な口調で訊いた。しかし、それは質問ではなく、〝肯定〟以外の答えを許さない有無を言わせぬ強さがあった。
「ええ」
仮面の男は肩をすくめて答え、
「当然ですわ」
ドレスの女は胸を張って言う。
「あなたこそ、済んだんですの?」
挑戦的な視線をむけるも、男に無言で見据えられると、フンと鼻を鳴らしてそっぽをむいた。
「愚問だったかしら」
「引き揚げますよ。ここはもう用済みだ」
男を先頭に、あとの二人も続く。彼らにしてみれば、なんの変哲もない光景である。ただし、はたから見れば、それは違和感の塊であった。その理由は、彼らの足元に横たわる、幾人もの者たち。かつて、人だった異形のモノたち……。
やがて彼らは、建物の外へ出た。いままで窓のない建物にいたからだろうか、太陽の光がまぶしく感じる。たいして時間はたっていないのに、ずいぶん久しぶりのように思えた。
「やはり太陽はいいですねぇ。人間、日の光を浴びないと、体がなまってしまう」
しみじみ言う仮面の男を、ドレスの女は汚らわしそうに一瞥する。
外で彼らを待っていた白い服の一団が、一斉に敬礼をした。
先頭の男は彼らを睥睨し、ただ一言、告げる。
「これより、『騎士団』は『安全地帯』へ帰還します」
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