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イサデ(isadeatu)
イサデ(isadeatu)

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公開日時: 2020年10月3日(土) 09:32
文字数:4,665

「おい危ないって」実影が止めようとしたが、男は外に出て「いまならだれもいない」と首をまわして言う。

 その直後、大きな怒声のようなものが至近距離できこえたかと思うと、その声の主が男の死角から飛びかかった。反応できず男は態勢をくずし、上にのしかかられる。狂った人間と揉みあいになって必死に抵抗しているが、そのそばからほかの狂人たちまで庭へとなだれこんできた。実影はとっさに助けようとバットを振り上げて青白い顔の狂人なぎ倒した。だが、それなりの力をこめて殴ったはずなのに、いちど倒れてもすぐに起き上がろうとしてくる。

似たような連中があの正気の失った顔をならべ男を引っ張り掴み波の様にいっせいに抑えつけた。男は我を失って悲鳴をあげあがいたが、狂人たちは気にもせず男の体じゅうを噛み砕いた。えぐりとるように。

 眼鏡の男の首の血管を、噛み千切る。血が噴き出る。

 この世のものとは思えない叫び声をあげる男が、右の手で狂った暴徒たちの顔を必死に振り払いながら、すがるように実影に左手をのばした。とっさに実影はそれをつかみ、渾身の力でひきずりだして家のなかへともどった。

 ドアのカギを閉めるが中も安全ではない。男の首の出血も想像以上に状態が悪く、すぐさまそのへんにあった雑巾とタオルをかきあつめて男に手渡す。

しかし男の反応はなく、目をむき出しに開いて宙を見つめたまま全くうごかない。多量の血が口から洩れ出るたびに、時々体を震わすのみだった。身体を支える腕が疲れて、そっと男を床に寝かすと、それからふたたび動くことはなかった。

「おい若いの! 二階だ! ベランダから外に出られる」

 目の前の光景が信じられなかった。

実影は息をするのも忘れていたが、老人の声で気を取り直し振り返る。すでに居間のほうから侵入者たちが数人入ってきており老人がクラブでまとめて押さえつけているような状況だった。

 老人が一旦距離をとりクラブを思い切り狂人のひとりの肩に振り下ろした。鈍い音がし狂人の肩が文字通りへこむ。しかし狂人はなんともないという風にむしろさらに向かってきた。痛みを感じていないかのようだった。

 階段をあがる。二階は薄暗かったが物が少なくすぐにベランダのあるところはわかった。カーテンをあけ外を見下ろし、暗闇の庭にだれもいないのを確認してから飛び降りる。

まったく迷いはなかった。あの眼鏡の男がノド仏を食いちぎられ殺されるさまを見たあとではたかが数メートルの高さはなんでもなかった。

 庭は芝になっており膝への衝撃はあったが軽度ですんだ。顔をあげたとき裏手から赤いドレスを着た女が狂人たちとおなじ不自然なうごきであらわれた。顔を見るとやはり同じく生気がない。しかし目は血走っている。

 こいつもさっきのやつらとおなじく、飢えきったけもののように襲ってくるのか。にわかには信じがたい上、信じたくもなかったがそんなことを考えている間にも敵は一歩一歩距離をつめてくる。ふいに上をみると老人が二階のベランダの柵から身をのりだし今にも飛び降りようとしているところだった。

「庭にひとりいる」

 実影はなんとか声をしぼり出し注意喚起する。

 老人が着地したが、着地と言うより落下だった。ゴルフクラブを持つ手は浅くはない傷を負っておりあまりうまく受身がとれなかったようだった。

 足をくじいたか彼はすぐには立ち上がれず苦しそうな息をもらすだけで数秒止まっていた。あのドレスの女が目の前まで迫っているうえ表からも眼鏡の男を襲った連中がまわりこんできた。

 実影は「クソ」と嫌そうな顔でバットを手に取り、突き刺すように女の喉の下あたりをめがけて繰りだした。

 向こうは痛がるそぶりもみせずそれではびくともしなかったので、実影はバットで突いたまま走るようにして狂人を壁まで押し飛ばす。

 女が倒れこんだ隙をみて老人のほうに駆け寄り「あの塀を越えよう」と言って肩を貸した。

 大した高さはない石塀だった。さきに飛び越え、そのあとに老人が続く。クラブを受け取って動きやすくさせてやり、狂人たちが迫っていたがぎりぎりのところでかわせた。

 老人の肩を持ったままひたすら狂人がいない道を歩き続ける。

 老人は指が噛み千切られており何本か欠損していた。腕からの出血もひどく足も痛むようだった。

 家から離れたところで一旦彼を座らせ、自分の胸から携帯をとりだす。

「警察、警察……いや救急車か。なんでもいい。なんでもきてくれ」

 パニックで自分でもなにを言っているかわからなかったがとにかく電話をかけた。あたりに注意を払いつつ応答を待つが、つながらない。一向につながらない。だれも出ない。いつまたあのおかしい連中がくるかもわからない状況のなかでは一分一秒があまりにも長く感じられた。

 老人がしゃがれた声を出す。

「ダメだ。警察も……救急隊もやられているところを見た」

 警察もかよ。悪夢だな。実影は首を横に振って眉間を親指で押さえた。

「……どうする。とにかく逃げないと」

 自分にいいきかせるように言う。

 老人が立ち上がろうとするので手を貸す。しかし「だいじょうぶだ」と彼はゴルフクラブを杖のように使って立った。

「もどろう」と老人が言う。

「もどるってどこに」

「わしの家じゃあ。車がある。免許を返してしもうて乗らなんだ」

「あそこにもどるのか……いや、でもそれしかないか」

「家内がまだ、どこかおる。だが連絡がとれん。車がはいったら、すこし町を見て回ってもらえんか。逃げ遅れているかも」

「わかった。元来た道はだめだ。迂回していきましょう」

 老人とともにさきほどの家へと急ぐ。

 だがはじめて来たときより、老人の自宅のまわりに狂人たちは集まってきてしまっていた。こちらを見つけても走ってくるそぶりはなく、彼らの動きは早くないがこちらの気配を察するのには敏感なようだった。

 車があるのとないのでは全く違う。あきらめきれずこだわって近くをうろついているうちに、いつのまにか数十人に行く手をはばまれていた。狂人たちを避けているつもりが迂闊うかつに袋小路に入ってしまったらしい。

「逃げ道は知らないのか、おっさん」

 すがるように老人の肩の服をひっぱる。

「フェンスだ。一部が破れとる。下からくぐれる」

 老人の案内でついた場所にはたしかにイタズラかなにかで一部が破れた緑色の細い網フェンスがあった。

 向こうには民家の庭がありそこから逃げられそうだ。だが真ん中にぽっかりとあいているフェンスの穴は人がひとり通れるかどうかというような狭さだった。

 老人が先に穴をくぐった。服のはじがひっかかるのかスムーズにはいかない。やがて狂人たちが後方から大群で追いかけてきた。

「押し込むぞ!」

 実影は老人の足を無理やりねじ込む。もう待っていられる余裕はない、すぐそこまで敵がきている。

 バットと脱いだ上着を先にいれたあと勢いをつけて飛び込むように頭から突っ込んだ。そのさい脇腹を擦り切ったが一気にひざのあたりまで向こう側にいくことができた。

老人が手をひっぱってくれ、かわしたかに思えたが、いきなりなにか詰まったかのように前に進まなくなった。振り返ると自分の足首と靴に無数の手が伸びてきてつかんでいる。フェンスに狂人どもが殺到していた。

足をバタつかせ、もがくが離れない。老人が引っ張ってはくれるがその力はわかりやすいほどみるみる弱まっており頼りない。

 身を反転させ目に付いた排水管をつかみ、それを引っ張ってどうにか自力で狂人たちの手からのがれる。体が通り抜けて安心したのもつかのま、次には狂人がフェンスの穴に我先にと頭を通し始めた。彼らの意図は不明だが明確な殺意を持ってちかづいてきているのがわかった。

 すぐにその場を離れ老人の家へとやってきた。まだ狂人の残りが数人いたが老人は躊躇ちゅうちょなくクラブで彼らの頭を叩き割っていく。クラブが折れ曲がるほどの威力で。狂人もさすがに倒れて動かなくなるが、すでにこれぐらいやらなければこちらが殺されると実影も感じ始めていた。

 実影が銀のカバーシートを外している間に老人が車の鍵をあける手はずになっていたが、彼は突然わき腹を抑えてうずくまり鍵を地面に落とした。

「集まってきてる! 急がないと」

 実影が叫ぶ。彼は自分で落とした車の鍵を拾いに向かうが、すぐ背後でうずくまっていた暴徒の一人がゆっくり立ち上がるのに気がついていなかった。

「あぶねえ!」

 老人が飛び込んできて狂人をつきとばす。

 気づいたときには車のまわりもすでに狂人だらけになっていた。数十人以上がこの家のまわりに集まってきているようだった。実影はあきらめてつぶやく。

「だめだ、離れよう」

 一旦出直すしか選択肢が残されていなかった。老人の肩を持って支え、道路の隙間から暴徒らの横を通り抜ける。やはり数は多いが動きはそう俊敏しゅんびんではない。

「おっさん、出直すぞ! あとであいつらが少なくなるまでどっかにいくしかない」

 必死になって逃げ続ける。老人の返答がない。

 実影は息があがっていた。苦しい吐息が洩れつづける。むかしは運動ができないわけではなかったが、最近はこもってずっとゲームをしていたため体力がなくなっている。

 すでに恐怖で動悸がするのか、息があがっているのか自分自身でわからないほどに実影は混乱していた。走り回ったせいで身体の節々が痛んでもそれさえ忘れていた。

「おい、おっさん!?」

 力なく、するりと老人が実影の手を離れて地面に倒れこむ。

 揺さぶっても声をかけてもまったく応答がない。両手で顔をうごかしてみると、目がとじており意識がないようだった。息すらも感じない。

 よくみると体中からひどく出血していた。狂人たちと格闘しているときにやられたのだろう。そのことに実影はいまさら気づく。

死んだ、のか。

 半パニック状態で身動きとれずにいる間に、道の前からも後ろからも狂人たちが向かってくる。

 数が多すぎる。さきほどよりあきらかに増えている。五十人、それ以上か百に近い数がすでにあたり一帯に出現し始めているようだった。

 このあたりの道は知らないわけではない。しかしどこに逃げればいい。どこもかしこも、こんなことになっているとしたら。

 考えるより先にこの場を離れようとした矢先、狂人たちの集団のなかにありえないはずのものを見つけてしまった。

 幻覚なのかをまずうたがった。さきほど目の前で死んだはずの眼鏡の男が、狂人たちにまじって、狂人たちと同じ様子でこちらに近づいてきていた。

 見間違えかと思ったが、傷の箇所かしょといいほぼ間違いなく本人だった。

 忘れるはずのない死体がいまは器用に歩いて狂人たちと同化している。

 唖然となって、女性の狂人が背後に忍び寄っているのに気がついていなかった。実影がその気配を感じて振り向いたときには大きく口をひらいて食いかかろうとしてきている瞬間だった。

 眼を疑うような光景がさらに続いた。狂人の開けた口のノドの奥に、植物のツタのようなものが生えている。

 同じ時、バイクが疾走して実影にちかづいてきていた。運転手は片手をはなし拳銃をかまえ青年の背後にちかづく狂人に照準を定めた。

 銃声がひびく。弾丸が実影の目の前の顔を撃ち抜き、それは絶命して彼の視界の下へと消えていった。

 ゴツめの黒いバイクが実影の横にとまる。乗っていたのは女性だった――狂人ではない、正気を保ったまさに人間と言うべき人間だった。

 紺と青にちかい制服を身にまとっている。さらには黒の防刃チョッキのようなものも。帽子がないためわかりづらかったが、警官らしかった。

 彼女は半ば放心状態となっている実影を見据え、淡々たんたんとした調子でたずねる。

「乗りたい?」


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