CASE4
消防士の話によるとどうやらほかにも施設内に狂人が出現したらしくかなりの騒ぎになったようだ。
人をロビーに集めてふたたび会議が行われた。数人、自分の肩や肘をおさえている人間がおり怪我をしたらしい。
人だかりの中心には警官と消防士がいる。どちらも苦しげな顔を浮かべていた。
「ウィルス、か」
消防士がつぶやくように言う。
「さっきので怪我をしたヒトもいる。隔離しないと、また……」
黒江がばつの悪そうな表情で目線をおとした。うつむいたまま目がわずかに右往左往していた。
「でも……その人たちはどうする?」
消防士の言ったことは、誰しも気がかりだった。血液接触した人間がおかしくなるのを彼らもここに来る途中見てきた。
感染の疑いがある人たちはまだ狂人にはなっていないがそこにはまた別の問題がある。
「ちょっと待ってくれ! 死ねっていうのか!?」
ひとりの男がさけぶ。腹が出ていて四十代ほどだろうと思われた。
彼がそう言ってもだれもなにも答えられなかった。うつむいてケガ人たちから目を逸らす。そこにいる誰もが。
「しかし……あなたたちも見たんじゃないか? その目で……」
狂人になるのを、とは消防士の男はさすがに言わなかった。
そこにいる人間たちの無言がすべてを表し伝えていた。死ねとは言えないがこのままだとどうなるかはわかる、というような非情さが顔に浮かんでいた。
噛まれたかひっかかれたかして、傷口に狂人の血液が付着したのであろう男が声を荒げた。
「あぁあーぁ!? これが同調圧力ってやつかい! まったく腐ってるなここの人間は! 社会でも、こんなときでも命なんてあってないようなものかよ!」
むなしく叫び声がひびく。
「クソが!」
ゴミ箱を蹴飛ばし、なかのものが散乱する。
荒立つ彼よりも、うしろで泣き出しそうになっているほかのケガ人たちのほうが悲壮感が漂っていた。
「だまってしねやオッサン! わいは見とったぞ。あんさん、善人ぶってケガ人の看病しとったやろ」関西弁の金髪男が言う。
腹の出た男が白衣の男性を指差して、
「それは……あんたが止血を手伝えって言ったんじゃないか! あんた医者のくせにこうなることがわからなかったのかよ!」
「も……申し訳ない……でもこんな症状は……全く知らないんだ……」
医者はしどろもどろと言った具合に答える。
「血液感染したやつがおかしくなってるのはちゃんと頭つかってみてりゃわかる。それに気づかなかった自己責任やろうが。ばーか!」
「んだと!?」
金髪に挑発され腹の出た男が彼の胸倉をつかみあげた。腹の出た男のほうはそれまで自分の片腕をタオルでおさえていたためそれが床に落ちる。残酷なことに、そこから血がポツポツと流れ出ていく。
金髪がその男をにらみつける。
「うつったらどうすんねん。はなせや。それともわいがおいしそうなベーコンに見えんのか?」
「テメエ!」
「けっ」
いよいよ、殴り合いになりかねないといったところで消防士が割って入る。
「やめろ。君もこんなときに挑発するんじゃない」
「せやかて、どないすんねん。みんなでああなりゃ、怖くない。ってか? はは」
消防士は黒江と目をあわせ、すこし考えたあと結論を言った。
「空き部屋に隔離するしかない」
苦渋の選択だったろうがそれしかないように実影にも思えた。
怪我をしている数人が、うつろな表情で前に出る。
「感染したら終わりなんでしょうか」
そのなかの歳のいった男性が警官にたずねた。顔には死相が出ていて、今は普通にしているこの人が外の化け物と同じようになるかもしれないと思うと、申し訳ないことに実影は彼のことがなんだか怖く感じた。自分もああなる可能性があるのかと考えてしまい憂鬱になる。
「病気なら治療法があるかもしれない。政府か医療機関の人が到着すればなんとかなるかもしれないわ」
黒江が言った。男はすこし不安がまぎれたのかわずかに歯をみせる。
「そうか。そうですよね」
「もし治るなら俺は殺人犯かな。あの人たちを……殺しちまった」
ロビーにいるなかの誰かが言った。沈黙が流れたが、黒江がそれを止めた。
「いいえ。でももしいざとなったら私の命令ってことにしてくれてかまわない」
堂々としていた。腰には拳銃がある。あれを持っていればある程度助けにはなる、それが自信につながっているのだろう。
しかし、弾は何発入っているのか。実影には彼女が威勢をはっているだけのようにも思えた。とはいえ彼女の存在、彼女の言葉がここにいる人間をわずかにでも励ましているのもたしかである。
「みんな落ち着いてくれ。政府がなんらかの対策をとっているはずだ。俺たちは救助をまとう。いまはそれしかない」
消防士も自分の役割を理解し気丈に振舞っている。
それからのち、医師と数名の男性が感染の疑いのある人間をひきつれて地下倉庫のほうへと向かっていった。その場に残った人間で今後のための会議を続ける。
「どうするの?」
黒江が消防士にきいた。消防士は生き残りの人々を見て、
「ここにいるのは約五十名ほど。非常用の食料と水はあるが、物資は最低限しかない。それにまだ避難できてない一般人がいるかもな」
「たすけにいかないと」
この状況ですぐにそう考えられる黒江に、実影は素直にすごいなと敬意に似た感情を抱いた。
「つかえる車が二台あるから運搬はどうにかなる。手伝ってもらえるか」
「お安い御用」
「みなさんきいてください。物資は外のコンテナ倉庫にある。水も、食料もある。でもそれだけじゃ足りないかもしれない。まだ避難できてない人の捜索がてら物資の補給にいこうと思っています。なにか外に出たい用事がある人は、手伝ってくれるなら車で運ぶ。来たい人は?」
消防士の言葉をきいて居合わせた人たちはわずかにざわついた。
外に出れば感染者たちがうろついている。倉庫までいくのさえ安全ではない。
役割分担をすれば、倉庫のほうは無理ではないだろう。だが生き残りを探しに行ったり、外をうろつくというのは実影さえどうかと思った。考えたのは危険やリスクのことだ。当然それに参加した人間の無事は保障されない。
何人かが名乗りをあげた。理由は様々だろうが、真っ先に声をあげたのはさきほど英語で悪態をついていたアフリカ系のキッシャー・フォードナーという男だった。ドレッドへアーと大柄な体躯でひときわ目立っている。
「いこうじゃねえか。ケータイを家に忘れちまってな、取りにいきたいんだが、いいか?」
「いいだろう」
「では拙者も」と別の男が前に出る。場を和めようとしたのか不明だが、この場にそぐわない一人称を聞いても疲弊しきっていてだれもくすりとも笑わない。
ほかにもコンテナの資材を運ぶのだけならやれる、という人も一人だけ出てきた。
どうしたものかと戸惑う実影のとなりで雪良が小さく言う。
「あぶないから、ここにいたほうがいいよ」
悲愴な声で、必死さがこもっていた。彼女の思いやりを裏切りたくはなかったが実影は首を横に振った。
「……いや、意鶴と連絡がとれないんだ。ここは地下だし、外ならつながるかも」
「そっか、意鶴ちゃん……でも、お兄さんになにかあったら」
「試してみたい」
雪良は悲しそうに目をふせたが、精一杯の心をふりしぼって明るく努めて言う。
「……しかたない、よね。……無事でね。あぶないことはしないで」
「ああ」
「参加するのか?」
立ち上がった実影を消防士が見やる。
「たいしたことはできませんが、それでいいなら」
「いやありがたい」
「きみ、武器をもってたよね。見張り役になってもらえると助かるのだけど」
携帯が外で使えればそれでよかったのだが、黒江に言われて、しぶしぶとうなずく。彼女には助けてもらった恩もある。
「わかりました」
コンテナの運び出しは十名弱ほどが集まった。
最初に裏口付近にいた二、三人の感染者たちを味方で手分けして消火器やとにかくリーチのある得物で殴りつけ昏倒させた。
あとの作業は緊張はあったがそう難しくはなかった。六人ほどで見張ってあとの者が裏口へと運び出す。命を危険にさらすためかかるストレスは大きかったが、意外にも人が参加してくれたために一回の運び出しで済んだ。
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