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イサデ(isadeatu)
イサデ(isadeatu)

8

公開日時: 2020年12月10日(木) 22:00
文字数:3,698

CASE3


 バイクの後ろにのって地下まである大きな施設、文化ホールへと連れてこられた。

 ここは一時的に避難場所になっているらしい。ほかにも実影と同じように逃げてきた人間が大勢いた。

 そしてみな同じように憔悴しょうすいしきっていた。最も様子がひどい者などは錯乱状態で血が出るほど自分の頭をかきむしっている。

 なかには外国籍らしき人間もいた。アフリカ系の派手なドレッドヘアーの男が地べたに腰下ろしてなにかぶつぶつと英語でつぶやいていた。あまりポジティブなことを言っているようではないようだ。

 そうなるのも無理はない。実影とおなじように彼らも狂気そのもののような光景を見てきたのだろう。実影もまたなにがあったかを思い出し気が滅入めいる。

あんなことありえない、いったいどうなっているんだと、冷静に落ち着こうとするほどに精神が動転し続けていた。

 この場所、地下ホールは多目的に利用される公共施設である。

 和室からコンサート会場、会議室と様々あり建物自体が広くみなそれぞれの場所で休んでいた。しかしほとんどの人が地下のコンクリートむき出しのなにもない通路にいた。

 上階では、窓のカーテンをあければ狂人たちが徘徊しているのがよく見える。あの光景から離れたいのだと容易に推測できた。そして実影も同感だった。

 その実影は警官と別れ、ひとりで椅子にすわってなにをするでもなく目を閉じて休息をとっていた。

 少しは落ち着いたが、それでなにかが回復するわけでもない。横に立てかけたバットの先端をみれば、狂人を殴ったときついた血がにじんでいる。安全な場所にこれたとはいえ外にはまだやつらが闊歩かっぽしている。

 避難した人たちのなかに見知った顔をみつける。不安そうな表情でうろついていた。

 向こうも気づいたのか「実影くん」と名前を呼んできておたがいに駆け寄った。

ゆき、無事だったか」

「うん。よかったお兄さんがいてくれて」

「いや、なんとかな……」

 抱き合うわけではなかったが、涙をぬぐう雪良の頭を撫でてやる。

 彼女は雪良芳乃ゆきらよしの。今年二十歳になる若い女学生である。恋人というわけではないが実影とは小学校のころ出会い、同じ転校生同士で仲が良かった。どちらかといえば彼女は妹の意鶴の友達であり、双子の実影も彼女らと一緒にいることがよくあったという感じだ。

「意鶴は……?」

 はっとして、深刻そうな表情で彼女はきいた。

「あいつは神奈川にたぶん着いたんじゃないかな。向こうがどうなってるかわからないけど」

「そう、なんだ」

 雪良は小刻みに震えていた。唇も青ざめている。落ち着かせようと実影は椅子のところまでもどり隣に座りあう。

「あの人たち、見た?」と雪良が弱々しくきく。

「ああ。……正気じゃない。イカレてる、というか別のなにかになってるみたいだった」

「怖いよ」

 顔をおおって雪良はうずくまる。実影はさわるのを戸惑いながらも背中をさすってやった。

「こんなときにボーイミーツガールしとる場合か」

 金髪の男が嫌味たらしく実影たちのまえを通りぎわそういい残し去っていった。さきほどからせわしなくうろちょろしていたやつだ。短髪だが見た目は派手で感じがいいとはいえない。

 雪良は彼の言葉に動揺どうようする余裕もなく、本当に調子が悪そうで軽度のストレス状態にあるようだった。

 実影は彼女のことを知っている。おしとやかで物腰のやわらかい気のやさしい人間だ。一緒にいる人間を和ませるような。そして裏を返せばこういう時、こういう状況ではもろい。精神的に耐えられないだろうことは簡単に想像がついた。

 実影はそれとみて、

「なにか飲み物でも、毛布でもないかな。ちょっといってくる」と席を立とうとした。

 しかし手をつかまれて、

「いっしょにいて」

 雪良は目に涙を浮かべて顔をあげた。

 彼女をほうってもおけず、バットを椅子の下に隠すように置いておき服のひじあたりをつかんでくる雪良とともにあたりを歩いた。

 通路の奥にいったあたりの広いスペースで三人ほどがなにか話している。ひとりは太った中年男性で、ひとりはオレンジ色の衣装をまとう消防隊らしき男、ひとりはさっきの女警官、黒江だった。

「あんた消防士なんだろ! みんなをまとめてくれないか」

 中年男性が消防士に詰め寄っていた。消防士のほうは困った顔をして、

「僕ぜんぜんそういうタイプじゃないんだけど……まいったな」

 と後ろ頭をかいていた。たしかに遠めにみても優しげな顔つきで体つきはしっかりしていてもなにか頼りなさげにみえる。消防士の仕事の内容は実影にはよくわからなかったがデスクワークのような部門があってそこの人なんじゃないかと思ったほどだった。

 そういえば、と老人が言っていたことを思い出す。救急隊やら警察はだいたいが襲われて死んだとか言っていた。狂人たちに積極的に対処しなければならない立場の人間ほど早くやられたということなのだろう。その生き残りがあの二人かとそんなことを考えてしまった。

 あの警官の名前はもり黒江くろえというらしい。ここにくるまでにすこし話をした。

 しかし拳銃をぶっぱなしていたということはやはりかなりの緊急事態なのだろう。警察がやられて、消防もだめなら、あとはどうなるというのだろう。想像したくなかった。

 自信なさげに紺色の帽子をいじくってる消防士の男をみて、黒江がばっと帽子をひったくりつばを後ろ向きにして男の頭に乱暴にかぶせた。ついでに軽く頭をたたく。

「まいってもられないでしょ。しっかりしてください」

 黒江がにらみつける。消防士はやれやれとかぶりを振って、「わかりましたよ」とため息まじりにつぶやく。

 実影は、気が休まったわけではないが人がいるところにきていくらか安堵しているのも事実だった。彼らもこの事態に戸惑い逃げてきただけの人間なのだろうが、少なくとも襲ってくることはないしこの状況を率先的にどうにかしようとしてくれている。そのことは頼もしかった。

 それから何人か通路の人をあつめて会議のようなものが始まった。当然実影たちも参加する。警官と消防士、あとあの中年男性が中心になって話をまとめていた。

「警察は……対応していますが、次々と暴行犯が増えていって押しとどめられないような状況です。避難ひなん勧告かんこくはしていますが逆に言えばそれくらいしか」

「そういうわけで、政府の救助を待つしかないだろうな」

 黒江のあとに、つばを後ろ向きにしたまま消防士がそう言った。集まっている人の中には子どももいる。このホールに全員が集まっているわけではなさそうだった。彼らの目つきをみても、あくまでまだ気力を保っている人たちだけ、といったところだろうか。

 解散したあとはみなそれぞれテレビや携帯で情報収集をしていた。実影もテレビのあるロビーにいき、ニュースを確認する。

 政府はすでに市民救助と事態の鎮圧に動いているようだが、同時多発的に国全体、世界全体で一部の民衆が暴徒化しているようだった。希望と絶望がいりまじり地下ホールの雰囲気はお世辞にも良いとは言えない。

 テレビをみて意鶴のやつは大丈夫なんだろうかと心配になった。東京の様子がヘリの空撮によって中継されており、こちらよりも狂人の数がはるかに多くもはやデモか軍隊の行進のようになっている。

 隣県の神奈川も似たようなことになっているかもしれない。そう思うも連絡がつながらず、不安が増していく。

 部屋の隅で黒江と消防士がなにか話をしていた。

 いまは情報がほしい、雪良を連れてさりげなくふたりのちかくに席を移動し会話に聞き耳を立てる。

「警察は」と消防士が話をうながす。

「だめね。指揮系統はまだ残ってるけど現場の人間が死にすぎてる。発砲許可がおりてからじゃもう遅かったわ。人員の再編成をするそうだけどどこも車で渋滞、安全な場所さえ不明。とりあえず市民を守るようにとのお達しよ」

 実影は雪良と顔を見合わせる。彼女はすぐに目線を落とした。

 どうやら景気のいい情報は手に入りそうにない。うなだれていると、突如自分の腹部に違和感をおぼえた。

 そうだった、と気がつく。

 ――朝からなにも食べてない。コンビニじゃ店員がいなくてなにも買えなかったんだったな。それからあのじいさんに助けられて。

 あのじいさん、たしかに息は止まっていたけどどうも気になる。それにあの眼鏡の男のことも。死んだはずの人間がたしかに歩いていた。あのじいさんももしかしたら――

「腹減っちまったわ」雪良に話しかける。

「厨房があるんじゃない?」

 そのとき、ロビーがにわかにざわついた。振り返ると、皆テレビを注視している。

 さきほどまでそこにあったのは狂人たちが街で暴れまわる様子の映像だったはずだが、いつのまにかテレビ局内をうつしていた。

 しかし職員も撮影スタッフもオフィスには誰もいない。床に血痕が点々とつづいているのが見えた。だれも映らないなかどこからか悲鳴だけが聞こえる。

今度は普段アナウンサーなどがいるような場所のに切り替わったが、やはり人はおらず無機質な背景と机が映るのみである。

 実影は画面から目を逸らし、雪良のほうを見る。彼女は実影の背中に隠れるようにして、かがんで両手で自分の耳をふさいでいた。

「いこう」

 館内の地図案内を頼りに食堂の方へと向かう。

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