問題は志願でのパトロールだった。二台の車で出たが、乗ったのは全部で六人。本音をいえばもっと人員がほしいとはいえ、感染してない人を見つけて乗せるときのことを考えるとこれくらいが丁度いいと消防士は言っていた。
ようやく一息ついて携帯を動かすが意鶴はでない。電波もあまりいいとはいえず途切れがちだった。昔震災があったときもこんな風になっていたから、こういうものなのかと納得はできても不安はさらに募っていく。
狂人たちが徘徊する道路をドライブするのは文字通り最悪の気分だった。そのなかには警官らしき感染者もいた。幽霊のように身体を震わせてさまよっている。
街を守るはずの人間がああなっていては避難場所にいつまでたっても救助がこないのも道理だった。黒江がそれを見てなにも感じていないはずはなかったが、キッシャーも実影もそれどころではなく喋る気分にもなれず黙っていた。
空腹を思い出して車中で実影は非常食の水と乾パンを食べるも吐き気でもどしそうになる。
辺りを見回しても生存者は見当たらない。老人に頼まれたことを思い出したが、彼女の奥さんがどうなっているかはわからず申し訳ない気持ちになる。
そうしている間にも、狂った感染者たちがときどき車に駆け寄ってきて体当たりしたり窓ガラスを叩いたりする。
頭がおかしくなりそうだった。目を閉じ、水を何度ものんで正気を保つ。
「このゲロクソが」
キッシャーは飲み終わって空になったペットボトルを窓から感染者に投げつけた。さきほどまで実影と同じように青ざめた顔をしていたが、とうとうなにか吹っ切れたらしい。
「おいだいじょうぶか。俺はキッシャー・フォードナー。ラップスターだ」
実影の肩に手を置いてキッシャーが言う。
「有名人なの?」ときいたのは前で運転する黒江だ。
「いずれな。あとで自慢していいぜ、キッシャーと一緒にバグとたたかったってな。おい坊主名前は?」
「……実影」
「ミカゲ。オイいざとなったら俺の背中を頼むぜ。バグどもの頭を吹き飛ばしてやれ、ハハ」
「バグって?」
聞きなれない単語に黒江が反応した。
「ユナイテッドステイツのネットソーシャルでこのウィルスがそう呼ばれてる。バグウィルスだとよ」
「バグ、ね……」
そこで前をいく消防士たちの車が止まった。中からなにか隣の駐車場の方を示すハンドサインを送っている。
そこはホームセンターと呼ばれる類の巨大雑貨店だった。たまに実影も日用品を買いにくることがあった。
駐車場にはかなりの数車がとまっている。勘のいい数名は、避難してきた人間がいるのかもしれないと感づく。
車から降り消防士たちと合流する。向こうには老けた職人風の男と名を満田というらしいチェックシャツの男がいる。
「……生き残りがいるかもな」と消防士の男が入り口の前で言った。
「そうか? ガラスが割れてる。バリケードも突破されてる」
キッシャーは否定的なことばかり言ってあまり中に入りたくはなさそうだったが、たしかにそういう状況になっている。
先頭の消防士と黒江のあとにつづいて、椅子やら網やら即席で作られたバリケードの隙間を縫って入る。
なかは暗く商品が散乱し荒れていた。血の痕もすでにここまでの道で見慣れつつあったが量が尋常ではない。床が赤黒く染まっていた。
「……抑え切れなかったみたいね」
「あるいは別の場所に移動したか。感染者もそのへんにいるだろう。散らばらずにまとまって、必要なものを借りて生き残りを探す。音をたてずに、いいな」
消防士のいうとおり固まって行動する。
ざっと見えるだけでも四、五人はバグがいる。こちらには気づかずにただ宙を見つめたりして突っ立っており、それが返って不気味だった。
実影の前にはチェックシャツの満田がいる。場を和めようとしたのか不明だが、さきほどホールで古めかしい喋り方をしていた男だ。なにかと列を離れては物を集めていた。
大きなスコップは武器として使えるだろうからまだわかったが、ほかにもトランシーバーや電池から、用途不明な用具まで次々と防災倉庫にあった袋につめていく。
「そんなものなにに使うんだ?」と消防士の男がたずねた。
「防具でござるよ。厚手の手袋と、ジャケットの下にガムテープで補強したなにかを着込めば、歯も貫通しないかなと。やつら噛んできますからな」
満田は独特な口調でそう言う。防災倉庫にもある程度の物資はあったがやはりここの方が品揃えはいい。次にいつ来れるかもわからないため、感心して実影もアウトドア兼工具用のナイフをいくつか袋にいれておいた。
「奥にスタッフルームがある。だれかいないか確認してくる。満田君と、実影君、きてくれ」
消防士に名指しで要請され、マジかよと内心悪態をつきつつ実影も満田のあとについていった。
黒江たちは見張りとしてその場に待機する。スタッフルームの前には案内所があり塀になっている部分を利用して身をひそめる。
すると突然職人風の男がひょいと立ち上がりカウンターから顔をだした。黒江がなにかと思っていると、男はさらにそこから出てわざわざ商品棚のほうへと小走りで向かいだした。
その先には感染者、バグがいた。髪の長い女でまだ若い。
「連絡がつかねーとおもったらこんなとこにいやがったか」男は言う。
「なんだ? どうした?」
キッシャーがカウンターから身をのりだし、できる限り声量をおさえて声をかける。
「いや、娘なんだ。だいじょうぶ、きらわれてない」
「待って。どう見てもウィルスにやられてる。バグだわ」黒江が拳銃に手を伸ばす。
「おいおいおい! 待ってくれ、話してみる。親子なんだよ」
男はバグを前にしても笑顔をみせる。娘と再会できたのがよほどうれしかったのだろうが、相手は感染者である。
正常な判断力を失っているようだった。黒江は心臓の鼓動が急激に早まるのを感じながら腰の銃をにぎる。
「リサ、父さんだ、もう心配ない、安全な場所がある」
バグはその声に反応し、グルリと首をまわして男をみた。
遠目からでもわかった、あんなところで突っ立っている時点でおかしいがバグで間違いない。顔を確認しもはや疑いの余地はなかった。
「離れて。危険すぎる」
黒江は拳銃をぬき、バグに銃口を向けた。
男はあわてて、
「待ってくれ。おい撃つな! ふざけんな、人間だぞ! まだ治せるかもしれないんだろ!?」
「その子を連れて行くとでもいうの?」
「……ああ。わかったよ。だったら俺たちのことはもうほうっといてくれ。こっちでどうにかする。それなら文句ないだろうが」
男は近くにあった棚からロープをひったくり、娘の身体に巻き付けようとしはじめた。黒江の呼びかけも通じず、バグは男につかみかかった。
激しく組み合い、ぶつかった商品棚ごと倒れる。物が散乱し衝撃音がひびく。
「どうなってる!? あつまってくるぞ!」
キッシャーは混乱して黒江に怒鳴りつける。
「だいじょうぶだ、おちつけ! 心配ない」
男は馬乗りになられ顔を噛み裂かれそうになってもまだ人間を相手にするかのように必死に語りかけていた。
黒江は動揺しながらも頭を回転させ、即座に案内所のなかを飛び出した。このままだとほかのバグが集まってきてスタッフルームにいったグループが危機にさらされることになる。
「脱出する。彼らを呼んで」
キッシャーにそう声をかけてから黒江は男を押し倒しているバグに後ろから手をのばした。
「あぁもう」
女はものすごい力で男に迫っており引き剥がそうとするができない。
「ごめんなさい!」
警棒でバグの頭を横から殴り吹き飛ばす。悲鳴のようなものをもらしバグは脇へと転がっていった。
「なにしてんだ!」
男は立ち上がるなり黒江の胸倉をつかみ詰め寄った。
「こっちのセリフだわ。勝手な行動はしないで。いまはこうするしかない」
「てめえそれでも警察か」
「静かにして。自分でなにをしているかわかっているの」
口論になっている間に別のバグが黒江の背後からつかみかった。首筋を食いちぎられる直前で、スタッフルームから出てきたキッシャーが英語でなにか暴言を撒き散らしながらバールのような棒でバグの顔を殴りつける。顔面を吹き飛ばすほどの威力でやったつもりだったが、どうにか後ろに倒れてくれた程度だった。しかしそれでも黒江の命は助かる。
その後にスタッフルームから五名ほどの生存者たちを連れて実影たちがもどってきた。向こうでも戦闘があったようで服が返り血で染まっていた。
騒ぎをききつけて店の中のバグがすでに集まりだしている。その数は十体以上。
「なにやってんだ!」消防士が怒号をとばした。その声で黒江も我に帰り警棒をひろって生存者たちのほうを見た。
「さっさと脱出しよう」
言いながら消防士は斧でバグをなぎ倒す。満田も続いてスコップを振り回していた。
「先にいって。後ろはわたしが」
黒江に後方をまかせキッシャーたちがその場を逃げていく。ちかくにいたバグを黒江が頭を打ち抜いて絶命させる。最後に実影が離脱し黒江以外の全員が脱出に成功した、と思われた。
「早く! もう車を出す」
男は説得に応じず、娘のそばを離れようとしない。かと言って黒江もこれ以上ここにとどまれば身がもたない。
「俺たちのことはいい。かまわないでくれ」
「そんなこと……!」
棚の隙間からほかのバグが彼女の焦る姿をのぞきこんでおり、棚ごと倒して襲い掛かってきた。黒江は棚と商品の下敷きになり、持っていた拳銃は入り口の方へと吹き飛んだ。
「黒江さん!」
二人の声で気づいた実影が振り返り、ふたたびもどってくる。
「逃げて!」
黒江は拒否するように叫んだ。バグが集まってきており、自分のせいで実影を危険には巻き込めない、そう判断してのことだった。
しかし実影は頭で考えるより早く体で反応していた。
床に落ちていた銃を拾い上げすばやく黒江の上で暴れるバグに照準をあわせる。指を伸ばし、引き金をひく。
集中状態で音は聞こえなかった。バグの胴体を狙ったつもりだったが銃弾はわずかに右に逸れていきその頭に静かに突き刺さった。
半ばパニック気味にもう一度引き金をしぼったが空発だった。黒江につかみかかろうとしていたバグはすでに昏倒している。弾切れをしらせる乾いた音は実影を現実へと引き戻し、同時に正常な思考をとりもどさせる。
「だれか手伝ってくれ!」
キッシャー、それから満田が異変を察知しもどってきてくれた。
協力して棚を持ち上げ黒江を救出する。
「もうほかにいませんよね」
実影は地下ホールから来た人間のことを言ったつもりだったが、黒江とキッシャーは暗い表情をしたままなにも答えてはくれなかった。
それからのことは一瞬のように感じられ、気づけば実影は地下ホールへともどる道への車中でうつむいていた。
両膝のうえに置いた手の平をみる。
手が震えているのか、身体全体が震えているのかわからなかった。
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