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イサデ(isadeatu)
イサデ(isadeatu)

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公開日時: 2021年3月1日(月) 00:10
文字数:1,992

廊下をあるいていると女性トイレのほうから薄着の女性がでてきた。髪が自然なブロンドで、服装もあっていやになまめかしい。

 調子が悪いのか、まあこんな状況ではいいはずもないが腹を痛そうにおさえて背を丸めながらあるいている。

「どうしたんだろう」雪良が心配そうにいう。

 実影が歩み出て「大丈夫ですか。休んだほうが」と言う途中で、その女性がふらついてもたれかかってきた。どういうことだと思いつつ役得だなと浮かれたことを考えていたら女性の方が全体重をかけてきて実影ごとうしろに倒れてしまった。

 顔をみて一瞬心臓が止まった気がした。あの狂人たちと同じものが目の前にあった。

 血走った目、荒い息、よだれのしたたる牙のような歯を見せて実影の鼻をめがけて口を大きく開く。

 実影は女の首元と胸を手でおさえつけて必死にこらえた。跳ね返そうとするがかなりの力で乗ってきていて狂人が体から離れない。雪良が悲鳴混じりに実影の名を叫ぶのが聞こえた。

 人の優しい彼女の助太刀に期待するのは望み薄だ。手遅れになるほど押し込まれる前にこいつをどかさないと。

 その一瞬の判断で狂人を横に転がすように投げ払った。その間に立ち上がり態勢をととのえる。

(こいつどっから入ってきたんだ。どこか抜け道があるのか。いやそれより……)

 いま自分の手もとにはなにも武器がない。バットはさっきの場所に置いてきてしまった。

 逃げるしかなかった。雪良の手をとって一心不乱に逃げ出す。しかし来た道からも別の狂人が迫ってきていた。ひとりなら走ってその脇を抜けるのは難しくなさそうだったが、雪良がいる今はつかまる可能性が高い。

 ほかの経路を探す。だいたいの構造は地図をみたのでわかっている。

廊下を突き進むと厨房にきた。フライパンやおたまなどはあるがほかに武器になりそうな物はない。

 とっさに棚の下段、物入れのなかに雪良とともに身を隠した。戸を閉めようとするも、たてつけが悪くしまりきらない。廊下の向こうに狂人の足が歩み寄っているのが見え手をひっこめる。

 暗い物入れのなかで実影は息を潜める。すぐそばにいる雪良の体が小刻みに震えているのがわかった。

 否、自分の体も震えていた。備え付けの包丁を持ってはいるが、大勢に囲まれたら助かる可能性は低い。それだけはあってほしくない。

 戸のすきまからザッザッと狂人が歩くたびその足音がきこえる。その響き方からして、他に雑音がない。すこしでも物音を立てればどこに隠れているか簡単にバレるだろうとわかっていた。

 口を押さえて気づかれないようにと必死に祈る。

 さっきの狂人女の足元が見えた。ヒールには血痕がにじんでいる。

 棚の前で足が止まった。気づかないでくれと祈りながら時間が経つのを待つ。

 ヒタ、ヒタとおぼつかない足取りで狂人は動き出した。どうにか通り過ぎてくれたらしいが、緊張は解けずまともに息をつくことさえいまだにできなかった。

 完全に足音がきこえなくなってから十五分、三十分はそれでもじっとその場に留まっていた。

 途中遠くから悲鳴のようなものが聞こえた気もした。しかし実影にも雪良にもどうすることもできない。

 おそるおそる実影が戸をひらき外に出て様子を見る。ガランとした厨房には狂人の姿はない。あとに出てきた雪良の手をとって立つのを手伝う。

 廊下の奥にもその姿がないか目をこらして眺める。

 そこにカチャリ、と今いる部屋の中でなにかが開くような音がした。

 そちらを見ると、

「おい」

 とさきほどの関西弁男が倉庫のようなところからあらわれた。

「なんだ……あんたか」

 おどろいて一気に呼吸を乱し、実影は肩を上下させる。

 男も廊下のほうを見ながら、

「あいつらたぶん感染したんや。ネットでそういう風にさわがれとる。なんかのウィルス症らしいが、感染したやつからおかしくなってくんじゃと」

 感染した、か。実影は狂人たちと会ったときのことを思い出す。

 彼らは尋常な人間を食べ物かなにかのようにむさぼり食らっていた。気になるのはあの喉の奥の植物だ。しかもそれが喉の中で動いていた。本来口の中にそんな器官はないが、意志を持って動くようなあの姿はまるで食虫植物を思わせる。

「おまえらはやられてへんやろな?」と男が疑いの目をむけてくる。

「大丈夫だ」

「そっちの死人みたいな顔してるほうは?」

 男が雪良のほうを見てたずねた。たしかに肌は色を失っていたがさっきの狂人とはちがう。

「噛まれてないし、死人でもない」

 答える余裕もなさそうだったので実影が代弁した。

「はっ。せいぜい恋人ごっこしとくんじゃな」

 男が厨房を出て行こうとしたとき、廊下の方をみるといつのまにかさきほどのブロンド女が入り口に立ちふさがっていた。男が腰をぬかして後ろに倒れる。

 実影もおもわず息を呑んで包丁を取り出すがすぐに緊張は解けた。女の頭が額から割れる。

 さきほどの女警官が赤い斧を振り下ろしていた。狂人は白目をむいてその場に崩れる。

「もう心配ない」

 

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