「その千手観音とやらが復活したら、教えてくれよ。ご挨拶に伺うからさ」
俺は肩をすくめながら言った。
老僧は静かに目を伏せたまま、何も言わない。
しかし、その沈黙には諦観だけではなく、どこか俺を試すような含みがあった。
「あと、その試練の突破者とやらにも興味があるな。そこに倒れている3人よりも強いのか? 今はどこにいる?」
「……その3人も、試練の中程までは突破している。我が藩が誇る優秀な武僧だ。しかし、試練の完全突破者は別格。……お主では、到底敵うまい」
「ほう?」
俺はわざと嘲笑うように片眉を上げる。
それにしても、『到底敵うまい』とはまた随分とハッキリ言ってくれるじゃねぇか。
「お主と入れ違いになるようにして、西へ向かってしまったのが残念だ」
「ほう……? それは楽しみな存在だな。西ということは、桜花藩に足を踏み入れている可能性はある」
俺はニヤリと笑う。
もしそうなら、いずれ俺の領域内で鉢合わせすることになるかもしれない。
こいつは面白くなってきた。
しかし、それにしても……。
どうも最近、各藩の主戦力が不在のタイミングが続いている。
湧火山藩では、『紅蓮竜』とやらが少し前に姿を消していた。
そして、那由多藩では、『千手観音菩薩』が力を落とした上、その原因となった『試練の完全突破者』もいなくなっている。
……偶然にしては出来すぎているな。
各藩のトップ層と知己になるタイミングを逸したという意味では、少々残念ではある。
だが、実力者が不在のうちに攻め落として実行支配できたという意味では、非常に好都合だ。
ミッション達成を考えれば、総合的にはグッドタイミングと言えるだろう。
「では、さっそくだが人質を出してもらおうか。断れば、被害が拡大するぞ」
俺は無造作に言い放つ。
老僧は静かに目を閉じた。
そして、ゆっくりと頷く。
「……分かった。従おう」
理性的な判断だ。
いくら誇り高い僧兵の長とはいえ、寺院全体を滅ぼす愚は犯さないらしい。
すでに戦は決した。
無駄な抵抗をする意味はないと悟ったのだろう。
「それと、試練の完全突破者とやらの名前を聞いておこう。知っているのだろう?」
「……もちろん把握している」
老僧は渋々といった様子で頷く。
だが、彼の表情の奥には、どこか名を明かすことに対する躊躇いが見えた。
何かあるな。
やがて、老僧はゆっくりと口を開く。
「試練の完全突破者は、名を『愛理』というらしい」
「――!」
その名を聞いた瞬間、俺の脳裏に電流が走った。
「愛しい理(ことわり)と書いて、愛理だ」
愛理。
あいり。
アイリ。
その名前に、俺の記憶がざわめく。
どこかで――いや、確実に聞いたことがある。
だが……違う。
愛理ではない。
何かが微妙に違う。
だが、非常に近しい発音であることは間違いない。
「彼女こそ、千手観音菩薩様の加護を十全に受けし者」
老僧は淡々と続ける。
「那由多藩に縁のない者ゆえ、侵略者たるお主と戦う理由はなかろうが……。もし敵対すれば、お主とてただではすむまい」
「……ふん。ご忠告、どうもありがとよ」
俺は嘆息する。
愛理、か……。
何度反芻しても、どこかで聞いたことがあるような、ないような……。
そんな感覚になる。
まぁいい。
もし本当に西へ向かっているのなら、桜花藩に足を踏み入れる可能性は高い。
いずれ俺と関わることもあるだろう。
ならば、先手を打っておくのが得策だ。
「……無月か幽蓮あたりに捜索を指示するか」
俺は呟くように言う。
忍者である彼女たちなら、何かしらの手がかりを掴めるはずだ。
その一方で、もちろんミッションも完全には放置できない。
次に攻めるのはどこにすべきか――
俺は、静かに夜空を見上げたのだった。
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