「聞き捨てならんな。紅乃、お前はまたうどんを出すつもりなのか? いい加減、店を畳め。華河藩を統べる讃岐家のさらなる発展のため、お前は南の『紅炎藩(こうえんはん)』の藩主次男と結婚するのだ」
琉徳の声は冷たく、冬の夜風のように刺さった。
彼は讃岐家の嫡男であり、いずれ華河藩を背負う立場にある。
とはいえ、今の彼には妹に強制力を振るう権限はない。
それでも、藩の未来に関わる政略結婚の話を持ち出すことで、紅乃を追い詰めようとしているのは見え見えだった。
紅乃の顔は曇り、まつげにかかる影が彼女の心情を物語っている。
だが、彼女の唇は一筋の線を引き、意志を示すように結ばれた。
「いえ、私はうどんを極めたいと思っています」
その言葉は、静かでありながらも、鋼のように強い意志を秘めていた。
紅乃の背筋はまっすぐで、その姿はまるで嵐に立ち向かう一本の竹のようだ。
しかし、琉にそれを認めるつもりはない。
「ならん! お前のうどんなど……大した味ではないだろうが!」
彼の言葉は、拳を振り下ろすようなものだった。
だが、紅乃はその攻撃を真っ向から受け止める。
「比べてみないと分かりません!」
その声は、今度は琉徳を打ち返す矢となる。
周囲の客たちは、彼女の思わぬ反撃に息を呑んだ。
琉徳の表情が一瞬だけ驚きに変わったのを、誰もが見逃さなかった。
「なにぃ!? ……ふん、いいだろう! ならば、うどん対決だ! 審査員は、俺の伝手で五人ほど用意してやる!」
琉徳の声が響くと、店内の空気が一瞬にして張り詰めた。
彼の言葉には、力と威圧感が宿っており、誰もがその場に釘付けになった。
彼の背後には、無言のまま控える部下たちの影が薄暗く揺れ、まるで店そのものが彼らの支配下に置かれたかのようだった。
「……分かりました」
紅乃は静かに頷いた。
その動作は、静けさの中に揺るぎない意志を秘めていた。
彼女の表情は一切の動揺を見せず、まるで深い湖面が風ひとつで波立たないように、冷静さを保っている。
しかし、彼女の内側には、静かに燃え上がる炎が確かに存在した。
それは、覚悟と決意が結びついた、芯の強さを示していた。
周囲の者たちは、そんな紅乃の姿に一瞬だけ安堵したものの、すぐに不安が押し寄せてきた。
審査員が琉徳の関係者から選ばれるという時点で、この勝負の不公平さは誰の目にも明白だ。
琉徳は藩主の嫡男であり、その影響力は強い。
彼に刃向かうことは、命を賭ける覚悟が必要だ。
それは、紅乃だけでなく、店全体、そしてここにいる客たちの運命にも影響を与える。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!