(ふふ……これでまた、毎日おいしいうどんが食べられますわね)
ふわりとした幸福感に包まれながら、リーゼロッテは再び席へと戻り、湯飲みを手に取る。
温かな湯気がゆっくりと鼻先をかすめ、心地よい香りが広がった。
その安堵に身を委ねようとした、その時――
「……ふん。浮かれているようだな」
背後から低く、冷え冷えとした声が落ちた。
リーゼロッテはゆるりと振り向く。
そこに立っていたのは、一人の男。
琉徳の息がかかった者の中でも、最後まで彼を支持し続けていた審査員だった。
男の眼光は鋭く、まるで獲物を見定める猛禽のように彼女を射抜いている。
その顔には、敵意を隠そうともしない険しさが滲んでいた。
「……あなた、まだいたんですの?」
リーゼロッテは驚くどころか、むしろ呆れたように眉をわずかに寄せた。
まるで鬱陶しいものを見つけたかのような態度に、男の唇がわずかに歪む。
「琉徳様は、あれで引き下がったわけではない。今回の件で、ますますお前たちを目障りに思われたことを忘れるな」
静かに、しかし鋭く突きつけられたその言葉に、リーゼロッテの目が細められる。
冷ややかなまなざしが、まっすぐに敵意を受け止める。
瞳の奥に潜む理知の炎が、警戒心と共に静かに燃え上がるのを感じながら、彼女はわずかに顎を引いた。
「それは脅しのつもりですの?」
挑発するような響きを孕んだ声は、まるで鋭利な刃のように空気を裂いた。
「ただの忠告だ。俺個人としては荒事は好かん……が、主君の命には逆らえぬのでな」
男はそれ以上何も言わず、静かに踵を返す。
その動きには無駄がなく、迷いもない。
背を向けた瞬間にすでに彼の意識はこの場を離れているようだった。
足音が次第に遠ざかり、やがて完全に聞こえなくなる。
リーゼロッテは小さく息を吐き、指先で湯飲みをそっと持ち上げた。
湯気がゆらりと立ちのぼる。
その白い霞の向こうで、彼女の青い瞳は淡く光を帯びる。
(……なるほど。琉徳という男、まだ何か仕掛けてくるつもりですのね)
敵意を隠そうともしない彼の態度。
確かに、これで終わりとは思えない。
リーゼロッテは丼の底を見つめながら、静かに考える。
策を巡らせるその横顔は、先ほどまでの穏やかな表情とは異なり、冷静さと決意に満ちていた。
――だが、それはそれとして。
「紅乃さーん! おかわり、お願いしますわ!」
突如として弾けるような明るい声。
場の緊張感を一気に吹き飛ばすその響きに、近くにいた店の者が思わず振り返る。
リーゼロッテの表情はすっかり晴れやかで、先ほどまでの険しさはどこへやら。
箸を握る指には確かな意志が込められている。
彼女の食欲は何者にも止められないのだった。
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