俺は『三日月の舞』と別れ、『猫のゆりかご亭』に向かった。
「何だか久しぶりな気がする……」
宿を見て、俺は呟く。
わずか1日前のことだというのに、なんだか懐かしい気持ちになる。
「……ん?」
「にゃにゃっ!? お、お客様!?」
俺が入り口を開けると、そこにはサーニャちゃんがいた。
俺の顔を見るなり、驚いた声を上げる。
「どうも、さっちゃんさん。ただいま戻りました」
「おかえりなさいませにゃ……。……じゃなくて! どうしていなくなってたんですかにゃ!?」
「えっと……、ちょっと事情がありまして……」
俺は苦笑しながら言う。
すると、サーニャちゃんが詰め寄ってきた。
「急にいなくなられては困るのですにゃ!」
「すみません。やっぱり、宿屋として迷惑でしたか?」
夕飯の準備とか、消灯時間の管理とか……。
宿泊者が突然いなくなったら、困ることも多いだろう。
「そういうことじゃないんですにゃ!!」
「えっと……?」
俺は首を傾げる。
どういう意味だろうか?
「にゃぁは……その……、寂しかったのですにゃ」
「え?」
「お客様はダダダ団の人からにゃぁを守ってくれた恩人ですにゃ……」
「あー……。あれはまぁ、成り行きで……」
俺はオルフェスにおいて、『Dランク冒険者タケシ』として活動している。
目立たないようにするためだ。
しかし、困っているサーニャちゃんを見て、考えるよりも先に動いてしまったのである。
「それなのに、にゃぁはお客様に何も返せていないにゃ……。にゃぁにとって、お客様は運命の人にゃ……。にゃぁの全てをかけても返しきれないくらいの恩があるにゃ……」
「いやいや、そんな大袈裟な……」
「大袈裟なんかじゃないにゃ! それに……、あの時……、にゃぁを助けてくれた時のカッコイイ姿……。今でも忘れられないにゃ……」
「えぇっ!?」
想像以上の好評価である。
ピンチを助けたので、あわよくば忠義度を荒稼ぎできなもいかと思っていたが……。
まさか、ここまでとは……。
例のアレまで、もう一息じゃないか……。
ここは狙ってみようか。
だが、正体を明かせない以上、取れるアピールは限られている。
「お礼をしたいけど……お金がないにゃ。にゃぁには体しかないにゃ……」
「いや! さっちゃんさん! 落ち着いてください! 俺には心に決めた女性がいます!!」
「知っていますにゃ! あの綺麗な奥様ですにゃ! でも、にゃぁは気にしないにゃ! にゃぁは2番目でもいいですにゃ!!」
「ちょっ!? 何を言って――」
あまりにもアグレッシブなサーニャちゃんに、俺はタジタジになってしまう。
タカシ=ハイブリッジ男爵としての俺なら、もっと堂々と対応できただろう。
金や地位が十分にあること、そして既に第八婦人まで娶っていることは、周知の事実。
なら、『愛人でもよければ俺の女になってくれ。生活に不自由はさせない』という最低なセリフを吐いても大きな問題はないはずだ。
実際、俺にはそれだけの力があるのだから。
しかし、今の俺はタケシである。
そしてタケシはDランク冒険者だ。
この世界でDランクといえば、平均的な稼ぎしか得られない者が多い。
一夫一妻にて妻子を養うことはできても、2人以上の妻を娶るなんてまずあり得ない。
……どうしたものか。
「とりあえず落ち着きましょう。一旦、深呼吸して冷静になりましょう」
「わかりましたにゃ……」
サーニャちゃんが素直に応じる。
俺は一度大きく息を吸うと、ゆっくりと吐き出す。
「俺は別に、さっちゃんさんのことは嫌いではありません」
「にゃぁのことを好きと言ってくれるのにゃ!?」
「はい。好意を持っています」
「嬉しいですにゃ!! にゃぁも大好きですにゃ!!!」
はしゃぐサーニャちゃん。
尻尾が激しく揺れている。
「だからこそ、こういう関係は良くないと思うんですよ」
「え……?」
俺の言葉を聞き、サーニャちゃんの動きが止まる。
「俺はこれから、とある任務で旅に出ます」
「そ、そうなんですかにゃ……?」
「はい」
「いつ帰ってくるんですにゃ……?」
「それは……分かりません」
「そんにゃ……」
サーニャちゃんが悲し気な表情を浮かべた。
思わず全ての事情を明かしたくなるが――
(いかんいかん……)
俺は頭を切り替える。
今は、Dランク冒険者タケシとしてベストな対応をするのだ。
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