「……別に大丈夫。あのときだって、別に何かされたわけでもない。それに、今の私には高志くんとの絆があるから……」
その言葉は、強さというより優しさに満ちていた。
かつての精神的な傷が完全に癒えたわけではないのかもしれない。
それでも彼女は、それを過去のものとして受け入れた。
今の彼女には“未来”がある。
その中心に、俺という存在があるのだということを、まっすぐに伝えてくれている。
「分かった。ならば、虚空島は桔梗に任せよう。ただし、浮遊島への潜入は考えないように。万が一にも天上人とは接触しないようにな」
「……かしこまり」
桔梗がわずかに唇を緩め、穏やかな笑みを浮かべた。
その微笑は、ただの礼儀や社交の仮面ではない。
そこには、彼女の芯に宿る確かな自信と、選んだ道を信じる強い意思が滲んでいた。
長い議論と推敲の末にようやく見えた青写真に、ひと筋の確信が差し込んだような気がする。
この瞬間、霧が晴れ、作戦の骨子がようやく形を持ったのだと感じられた。
だが、まだ終わりではない。
残された課題、それは死牙藩への対応だった。
動かせるメイン戦力は、流華と無月しか残っていない。
幽蓮、黒羽、水無月といった漆刃の構成員たちも一応戦力ではあるが、その本質はあくまで影の中でこそ輝く者たちだ。
突発的な戦闘リスクを考慮すれば、部隊のトップには置きづらい。
しかし、そんな中にあって――俺は思い至る。
最も自由に動けて、最も柔軟に判断でき、何よりも、俺自身の意志で動かせる便利な駒がいることに。
誰のことかって?
もちろん、俺自身のことだ。
「よし、残った死牙藩は俺に任せてくれ。神がいる翡翠湖や虚空島に比べれば、楽なもんさ。湖に群がる妖獣なんか、俺が蹴散らしてやる。そのまま藩全体を桜花の支配下に置いてやるぜ」
胸を張り、言い切る。
場の空気が一瞬張り詰めた。
だが、その緊張を破るように、聞き慣れた声が鋭く割り込んだ。
「だから待ってくれって、兄貴」
流華が眉をひそめ、やや苛立ったように俺を睨んでいた。
彼の声には、ただの反論ではなく、焦りや不安、そして俺を想う真摯な感情が滲んでいた。
「流華……。なぜ、止める?」
問いかけた俺の声は、意識せずとも少し低くなる。
命令のようでもあり、確認のようでもある。
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