「王のように君臨する六匹の妖獣……か」
白夜湖。
月明かりをたたえたその湖面は、まるで銀の鏡のように静謐で、そしてどこか異界じみていたらしい。
その異様な湖を支配する六匹の妖獣――人々はそれらを畏れと共に“六王獣”と呼んだ。
その名が示す通り、彼らはまさしく王の風格を帯びている。
地を這うだけで大地がうねり、吼える声は天を震わせる。
並の者なら、視界に捉えた瞬間に膝をついてしまう。
それほどの風格があるらしい。
流華や無月の見立てでは、桜花七侍でさえ単身では歯が立たない。
要警戒だ。
しかし逆に言えば、複数人が力を合わせれば、打ち倒すことは不可能ではないということでもある。
それに、所詮は獣。
こちらが冷静に、緻密に戦略を巡らせば、各個撃破も現実味を帯びる。
六王獣を、過度に警戒する必要はない。
それよりも警戒するべきは――
「死牙藩の豪傑め……。よくも、俺の流華を……!!」
喉奥から絞り出された声には、怒りと悔恨、そして胸を焼くような焦燥が滲んでいた。
己の拳を無意識に強く握りすぎて、指先が白く変色する。
かすかに震える手の中には、抑えきれない激情の渦が蠢いていた。
流華たちは、事前情報通り白夜湖東部で、例の謎めいた豪傑を発見したという。
そいつは素性を隠すように全身を大ぶりの装束で包み、顔を隠す仮面はまるで鬼のように禍々しかったと。
どこか人の理を外れた気配を漂わせ、その場に居合わせた者の誰もが、無言のうちに息を呑んだそうだ。
さらに信じ難いのは、六王獣をまるで飼い犬のように従わせていたという事実だった。
戯れではない、本物の従属。
それは力による支配か、それとも何か異なる……言葉にできない何か。
いずれにせよ、そんな存在がいること自体が異常だ。
さらなる情報を得るため、流華は可能な限り接近した。
だが、悲劇はあまりにもあっけなく訪れる。
豪傑が鍛錬として素振りしていた戦槌。
素振りの加減を間違えたのか、まるで山をも砕かんばかりの一撃が地を穿ち、爆ぜた岩片が辺りに飛び散る。
その一つが、岩陰から様子を窺っていた流華を岩ごと貫き、彼は倒れ伏してしまったという。
……直接手を下したわけではない。
あるいは、そもそも彼の存在に気づいていなかった可能性もある。
だが、だからと言って許せる道理などない。
たとえ無意識であれ、あの豪傑の一撃が流華を傷つけたのだ。
俺の、かけがえのない弟分が。
「……ふー。落ち着け……。今、優先するべきは……」
怒りで噛みしめた唇に、鉄の味が滲む。
そんな俺の元に、城内に残っている主要な配下たちが集まってきた。
その視線には、不安と期待が同居している。
俺が動けば、確かに勝機は増す。
クシナダだろうが天上人だろうが六王獣だろうが、最終的には対処できるはずだ。
しかし、俺は一人。
万能ではない。
だからこそ、紅葉たちを前線に送り出した。
戦況を見極めながら、柔軟に対応していくつもりだった。
三箇所ともが危ういのは想定外。
しかし、焦ってはならない。
俺は深く息を吸い込み、感情を押し殺して、指示を飛ばす。
「翡翠湖には蒼天と巨魁が向かえ。樹影の教育を受けていたお前らなら、クシナダとやらの加護にも対応できるはずだ」
「「御意!」」
鋭く応える二人の声には、わずかに緊張が滲む。
蒼天と巨魁。
忠義度に一抹の不安を残すが、今は選り好みしている場合ではない。
裏切るには至らぬ程度の忠義はある。
紅葉たちの負担を軽減するには十分な戦力だ。
「虚空島には早雲と金剛だ。的確な剣術と頑強な肉体で、弓矢による奇襲を防いでくれ。そのまま矢の範囲外まで撤収するのが理想だ」
「「承知!!」」
早雲と金剛が、まるで稲妻に打たれたかのように声を揃えた。
迷いなど微塵もなく、ただ使命の炎が瞳の奥に灯っている。
早雲――桔梗の祖父。
その白髪交じりの髪に隠れた鋭利な眼差しは、老いを寄せ付けぬ覚悟の刃を映していた。
彼の存在そのものが、静かに研ぎ澄まされた長剣のようだった。
かつては戦場にその名を轟かせた伝説の剣客。
その名声が色褪せることなく、今も背中に迫るような威圧感を放つ。
隣に立つ金剛は、それとは対照的な肉体の塊だった。
鍛え抜かれた身体は岩のように屈強で、ただそこにいるだけで周囲の空気が引き締まる。
巨漢だが、鈍重さは感じさせない。
むしろ、狩りの瞬間を待つ猛獣のような静けさと緊張感があった。
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