城下の朝は早い。
夜の名残を残した薄明の空に、活気ある市場の声が混じる。
しかし、その喧噪とは別の空気が、ある一角に流れていた。
紅乃庵の近くにある広場。
そこにはすでに数多の人々が集まり、ざわめきながら噂を交わしていた。
普段ならば商人や職人が行き交うこの場所は、今や異様な熱気に包まれている。
「本当にやるのか……?」
「まさか、あの余所者の娘が琉徳様に果たし合いを挑むなんて……」
「聞いたか? 紅乃が斬られたらしいぞ。犯人はきっと――」
「馬鹿、滅多なことを言うな。それは通り魔の犯行ってことになってるんだぞ……!」
低く囁かれる言葉の端々に、驚きと疑念、そして一抹の興奮が滲んでいた。
誰もが信じられないという表情で、広場の中央を見つめている。
人々の視線の先には、二つの影が対峙していた。
琉徳――讃岐家の嫡男であり、若き侍。
しなやかに鍛えられた体躯、無駄のない立ち姿。
彼は次期藩主であると同時に一流のうどん職人でもあり、さらには家中でも一目置かれる剣の腕を持つ。
激情家であり、紅乃とのうどん対決に何故か固執している点を除けば、欠点らしい欠点はない。
彼の周囲には絶えず緊張感が漂っている。
まるで一本の太刀のように、静かで、それでいて鋭い。
対するリーゼロッテは、素性の知れぬ令嬢。
その美しい青髪は、この場の空気と不思議な対比を成していた。
繊細な指が握るのは細身の剣――この藩では馴染みのない武器。
その刀身は、陽光を受けても鈍い光を放つばかりで、琉徳の持つ刀のような迫力はない。
「……泣いて謝るなら、決闘をなかったことにしてやってもいいぞ?」
琉徳は静かに言い放った。
軽く息を吐きながら、ゆっくりと刀を抜く。
刃が朝の光を受け、鈍く光る。
微かに笑い、肩をすくめるその仕草には、余裕が滲んでいた。
「勘違いは、誰にでもある。紅乃の右腕が再起不能になったのは心中察するが、生きておれば構わないだろう? 元より、武家の娘は良家に嫁いで跡取り息子を産むのが最大の役目……。うどんを打てなくなった程度、どうでもよかろう」
広場に、冷たい沈黙が落ちる。
リーゼロッテは黙っていた。
だが、その瞳は琉徳を真っ直ぐに捉えている。
蒼く澄んだ瞳の奥には、感情が渦巻いていた。
それは怒りか、あるいは静かな決意か。
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