「よし、これでバッチリだな」
俺は満足げに頷いた。
夕暮れの橙色に染まる山の頂、静寂の中にわずかな風が吹き抜ける。
ちょっとした作業の末、岩に刻まれた文字を見て、達成感が込み上げる。
だが――紅葉は何か言いたげに、じっと俺を見つめていた。
「え? ええっと……」
「どうした? 何か問題でも?」
言葉に詰まる彼女の様子に、俺は首を傾げる。
彼女は少しためらいがちに唇を噛み、それから意を決したように俺の目を見据えた。
「あの……、不躾ですけど私の名前も刻んでもらえませんか?」
「おっと、それもそうだな。よし、任せろ」
再び刀を握り直し、鋭く振るう。
金属音が響き、岩の表面に新たな文字が刻まれていく。
削られた石の破片がさらりと舞い、やがてくっきりとした文字が浮かび上がった。
――『高志と紅葉、ここに眠る』
「これでよし、と」
「……あの~……。それだと、まるでお墓のようですよ?」
紅葉の困惑した声に、俺は目を瞬く。
そして、刻まれた文字を見て愕然とする。
「え!? あ、そうか……。すまん、間違えた」
我ながらとんだ勘違いだ。
闇の瘴気を受け入れて以来、たまに思考力や判断力が鈍ることがあるんだよな。
これもその影響だろう。
いや、それ以前からの問題かもしれないけど。
「よし、今度こそ間違えないように……」
再び刀を振るい、大岩に慎重に最後の言葉を刻む。
――『高志と紅葉、ここに永遠の絆を誓う』
刀を納め、汗を拭いながら紅葉を振り返る。
「これでどうだ?」
「あ、ありがとうございます……!」
彼女は満足げに微笑んだ。
風がそっと彼女の髪を揺らし、その横顔を美しく見せた。
……しかし、二度も失敗したせいで、岩の表面は文字でごちゃごちゃだ。
まるで落書きのようになってしまったが、まぁ問題はないだろう。
別にこの大岩は神聖なものでもないし、貴重な遺跡でもない。
ちょっと固いだけの、ただの岩である。
俺たちが少し削ったところで誰も文句は言う者はいない……はずだ。
「よし、今度こそ下山するか! ……ん?」
異変に気づいたのは、その瞬間だった。
「あれっ……?」
紅葉もまた、不思議そうに大岩を見つめる。
刻まれた文字から、かすかに淡い光が漏れ始めていた。
最初は気のせいかと思ったが、次第にそれは強さを増していく。
まるで何かが目覚めるように――。
「なんだ? どういう……」
言葉を最後まで言う暇もなかった。
次の瞬間、大岩が眩い閃光を放ち、そして――爆ぜた。
「うおっ!?」
反射的に紅葉を抱き寄せ、地面に転がる。
轟音が辺りに響き、飛び散る石片が周囲に降り注ぐ。
土煙が巻き上がり、視界が一瞬奪われる。
「高志様っ!!」
紅葉の悲鳴が耳元で響く。
俺は彼女をしっかりと庇いながら、慎重に周囲の状況を確認した。
――ただの大岩だと思っていた。
だが、砕けた岩の中から、何かが姿を現そうとしている。
「これは……!?」
俺は目を見開き、思わず息を呑んだ。
岩の破片の中で、黒い霧のようなものが渦巻いている。
得体の知れない何かが現れようとしているらしい……。
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