10年以上前ーー。
1人の男の子と1人の女の子が仲良く遊んでいた。
「ミサひめ。ここはおれにおまかせください! あなたはわたしがまもりぬきます!」
男の子が木の枝を剣に見立てて構え、そう言う。
「せいきしソーマよ。あなたをしんじています。たのみましたよ」
女の子が神妙な顔をしてそう言う。
彼らは、おままごとの最中だ。
領軍の不在のスキを突いた盗賊の襲撃を受けて、騎士が姫を守るというシーンである。
ソーマが騎士役で、ミサが姫役だ。
「はああ! くらえ! こおりの剣!」
ソーマがそう叫びながら、木の枝で虚空を斬りつける。
「きゃー! ソーマちゃん、カッコいい!」
ミサがそう歓声を送る。
自分の役どころを忘れている様子だが、子どものごっこ遊びなので仕方ないだろう。
彼らは、楽しそうに遊び続けていった。
●●●
その数年後ーー。
ソーマが冒険者として功績を挙げ、”聖騎士”の二つ名とともに騎士爵を授かった頃の話だ。
ソーマが街を駆けていく。
とある飯屋のドアを開ける。
「ミサちゃん! 俺は、とうとう騎士爵を授かったぞ! これで俺も貴族の仲間入りだ」
彼が入るなり、大きな声で言う。
その声に反応して、1人の少女が奥から出てくる。
「へえ、よかったじゃない。ソーマっち。……いや、ソーマ様とでも呼んだほうがいいかな? もしくは、マイロードとか?」
少女が冗談めかしてそう言う。
「寄してくれ。ミサちゃんからそんなふうに言われたら落ち着かない。今まで通り呼んでくれ。……いや」
ソーマが言葉を途中で止めて、考えるそぶりをする。
「これからは、ファーストネームのシュタインで呼んでほしい」
「え? それって……」
ソーマの突然の申し出に、ミサが戸惑いの表情を浮かべる。
「……ミサ。俺と結婚してくれ!」
ソーマがミサの前にひざまづき、騎士の礼を取る。
「ええ!? でも、私なんかじゃ貴族になったソーマっちに釣り合わないよ……」
ミサとソーマは幼なじみである。
ミサは飯屋の娘。
対するソーマは、冒険者。
数年前までであれば、釣り合いは取れていた。
しかし、ここ数年でソーマは目まぐるしい功績を挙げた。
そしてとうとう今回、騎士爵を授かるまでに至った。
こうなると、明確に平民と貴族として身分差が生じてしまう。
「そんなこと気にするな。そもそも、俺ががんばってきたのはミサを幸せにするためだぞ! なかなか踏ん切りがつかなかったが……。この叙爵はいい機会だ。結婚しよう、ミサ」
ソーマがそう言う。
彼はミサへ幼少期よりずっと思いを寄せていたが、勇気が湧かなかったのだ。
「……う、うん! 喜んで!」
ミサが顔を真っ赤にして快諾する。
ソーマとミサは抱きしめ合い、幸せを噛みしめる。
そして、そんな彼らを見つめている目がたくさんあった。
「かああー! この店の看板娘のミサちゃんが、とうとう結婚しちまうのかー」
「ちっ。よりによって、ソーマのボウズかよ!」
この飯屋の常連客たちである。
「まあ、ソーマの小僧はずいぶんとがんばっているみたいだしな……」
「ついに、貴族様になったそうだな。いつまでもガキ扱いはできねえ。仕方ねえから、祝福してやるとするか」
常連客たちが口々にそう言う。
ソーマが偉くなったとはいえ、彼らはソーマやミサが子どものときから知っている。
彼らにとっては、半ば自分の子どものような存在である。
「ミサちゃんを幸せにしろよ! ソーマのボウズ!」
「おめでとう! だが、泣かしたら承知しねえからな!」
常連客たちがそう祝福する。
「ああ。ありがとう、オッチャンたち! 俺とミサで、幸せな家庭を築くと誓うよ! なあ? ミサ」
「うん! 私も、がんばってソーマっちを支えるからね。騎士爵の妻として、いろいろと勉強しないと」
ミサが嬉しそうにそう言う。
「おいおい。これからは、ミサ=ソーマになるんだぞ。名前で呼んでくれよ!」
ソーマがそう言う。
ソーマは、ファミリーネームである。
ミサは昔の名残でずっとソーマ呼びをしていたが、結婚して姓が同じになる以上は、名前で呼ばなければ不都合がある。
「え、えっと……。シュタイン……くん。これからもよろしくね。えへへ。なんだか、照れくさいなぁ」
ミサが顔を真っ赤にしてそう言う。
シュタイン=ソーマは、それを幸せそうな顔でそれを聞き届けた。
彼らはみんなに祝福されつつ、新婚生活を送っていくことになる。
●●●
さらに数年後ーー。
現在からは数年前。
シュタインは、領主として領内の高ランクの魔物討伐を請け負っている。
内政の知識がない彼が騎士爵を授けられたのは、彼が戦闘能力に秀でているからだ。
こういった魔物討伐は、彼の貴族としての責務である。
彼自身そのことに何の不満もなかった。
ただし、今までは、だが。
シュタインが、遠征先から早馬で自邸へ急ぐ。
屋敷に着くなり馬から飛び降り、屋敷内へ駆けていく。
目的地は、彼の最愛の妻であるミサの部屋だ。
バアン!
彼がミサの部屋のトビラを勢いよく開け放つ。
「はあ、はあ……。ミサは!? ミサの容態は!?」
彼が息を切らせながらそう問う。
ベッドでは、ミサが横たわっていた。
その傍らには、医者や執事、メイドたちが集まっている。
医者が口を開く。
「幸いなことに、命に別状はありません。ただ……」
「よ、よかった……! 俺のミサに何かあれば、どうしようかと……」
シュタインが安堵の声を漏らす。
彼が魔物討伐の遠征に赴いている間に、ミサが突然倒れ込んだとの連絡があったのだ。
原因は不明である。
不審な女性の目撃証言もあるが、彼女が原因である証拠はない。
「……ううん……」
シュタインの声がうるさかったのか、ミサが目を覚ます。
「起きたか、ミサ。心配させやがって……」
シュタインがそう声を掛ける。
しかしーー。
「ええと。あなたはどちら様でしょうか?」
ミサが無表情にそう問う。
「ミ、ミサ? 何を言っている?」
シュタインが声を震わせながらそう言う。
彼が1つの可能性に思い当たるが、それを信じたくない気持ちがあった。
そんな彼の様子を見て、医者が口を挟む。
「シュタイン様。ミサ様は、記憶を失っておられるのです」
「な、何だと!? ……原因は? 治るのか!?」
シュタインが医者にそう詰め寄る。
「原因は不明です。魔力波を受けたときの症状と似ておりますが、症状はより深刻ですな。記憶だけでなく、人格にも影響が出ております。治療のあても、残念ながら……」
医者がそう言って、首を振る。
「バ、バカな……。嘘だ。俺は信じないぞ。ミサ、俺は君の夫のシュタイン=ソーマだ。君のために騎士爵としてがんばっているんだ。もちろん覚えているよな?」
シュタインが一縷の望みをかけてそう言葉を発する。
「申し訳ありません。覚えておりません。しかし、私が貴族であるあなたの妻であるのならば、役割はまっとうしましょう。何でもお申し付けください、マイロード」
ミサが無表情にそう言う。
「…………っ!」
シュタインが愕然とした表情で、膝を折る。
彼の精神に大きな動揺が見られる。
そうして生じた心の隙間に、どこからか小さな闇の瘴気が入り込んだ。
聖騎士ソーマの異変は、この日を境に始まった。
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