「今日はどうした? 紅葉」
問いかける俺の声に、紅葉は伏せていた顔をわずかに上げた。
その双眸は真剣な光を湛え、冗談の一つも差し挟む隙を与えない。
「まずは流華の方からご報告を。そして、今後の方針を相談させていただきたいと思いまして」
紅葉が流華に視線を向ける。
彼女は普段、彼のことを『流華くん』と呼ぶ。
あえて呼び捨てにするということは、この話し合いが公的な性質を帯びていると認識しているのだろう。
「いろいろ情報が集まったんだぜ、兄貴」
紅葉の視線を受け、流華が口を開く。
紅葉とは対照的にどこか砕けた雰囲気を纏っているが、その目には同じような緊迫の色が宿っていた。
彼は中規模の町の出身で、かつてはスリの常習者だった。
しかし今は違う。
無月の手ほどきを受け、今や一流の忍びとして、俺たちの一翼を担う存在だ。
妖術の才においては紅葉に譲るが、情報収集の腕は一目置かれている。
「情報か。具体的には?」
問い返す俺に、流華はわずかに身を乗り出す。
語るべき内容が、彼の中でいかに重いものかが、その仕草からも伝わる。
「まずは、翡翠湖だな。情報を集めた結果、そこには櫛名田比売(くしなだひめ)っつう神がいることがわかった。それを祀らった迷宮があるらしい」
「クシナダか……」
俺はその名を口にしつつ、思わず記憶の底を探るように目を細めた。
脳裏に霞のように浮かぶ日本の記憶は、いまだに断片的だ。
記憶喪失の影響で、確かさには欠ける。
だが、完全に失われたわけでもない。
ツクヨミという神と出会ったときと同じように、クシナダという名前には何か既視感があった。
本来の日本神話について、俺はほとんど知らない。
ただ、ソーシャルゲームや和風ファンタジー小説には触れたことがある。
ツクヨミやクシナダは、それらでチラホラと見聞きした名前だ。
全体的な傾向として、強キャラとして設定されていることが多かった気がする。
単純に考えれば、この世界においても格の高い神である可能性は高い。
「ありがとう、流華。よく調べてくれたな。翡翠湖への諜報活動は大変だっただろう?」
俺は労う。
流華は肩をすくめて苦笑した。
「いや、大変は大変だったけどさ。櫛名田比売の情報自体は、簡単に手に入ったんだ」
「そうなのか?」
「ああ。桜花七侍の樹影さんが知っていてな。どうやら、あの人もかつて翡翠湖の迷宮に潜り、加護を得ることができたらしい」
「おぉ……。そんなところに情報源があったとは。灯台下暗しというやつか」
思わず感嘆の声が漏れる。
桜花七侍は、それぞれが十分な実力を持つ。
とりわけリーダー格の樹影は、異質ともいえる妖術を使いこなしていた。
彼女がクシナダの加護を受けていたというのなら、その実力にも納得がいく。
だが、そこには拭いきれない違和感もあった。
「うーん……」
「どうした? 兄貴」
流華が不安げに俺を覗き込む。
俺は視線を床に落とし、思考をまとめるように指を組んだ。
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