俺が深詠藩を引き上げてから、一週間ほどが経過した。
桜花城の天守閣、その最上階。
風が静かに障子を揺らし、外の空気が薄く城内へと忍び込んでくる。
昼過ぎの陽光は穏やかで、障子越しに差し込む光が、畳の上にぼんやりとした格子模様を描いていた。
俺はその中に身を沈め、静かに耳を澄ます。
「……西方から接近中だった炎神の気配が、また遠のいていったか。あれは何だったのだろう……?」
つぶやきは、広間に低く響いた。
独り言にしては明瞭すぎたその声だが、誰も応じる者はいない。
ただ、天守の壁の中で風がくぐもったようにざわめいた。
炎神の気配。
まるで遠くの空からこちらを窺っているかのような、得体の知れぬ熱。
だが、それは突然、潮が引くように消えていったのだ。
まるで、何かを求めて旅立った者が忘れ物に気付いて立ち止まった末、元いた場所へ引き返してしまったかのように。
桜花藩の西方には、内海が広がる。
その海の向こうにある『四神地方』――華河藩や紅炎藩といった藩がひしめき合う、神気濃度の高い土地。
あのあたりから届いた気配は、確かに炎神のものだった。
しかし、それがなぜこちらへ来て、そしてまた去っていったのか、その理由までは読み取れなかった。
神々の行動は、人の理屈では測れない。
「神とやらと接触するチャンスだったが、まぁいいか。必ずしもメリットに繋がるわけではないしな」
つぶやきながら、俺は近くの机に手をかけた。
その上には、未開封の書簡が幾つも山となっている。
封を切れば、配下からの報告や併呑した諸藩の情勢、商人たちの情報が雪崩のように押し寄せてくる。
だが今の俺には、それらの現実的な問題よりも、遠ざかっていった炎神の意図の方が、よほど気になっていた。
炎神と接触していれば、新たな加護を得られた可能性はある。
そうなれば、俺の火魔法や火妖術は、ひとつ上の領域に進めたかもしれない。
しかし同時に、神の機嫌を損ねていた可能性もある。
その結果、この桜花城ごと灰にされていたかもしれないのだ。
感覚的には、『7のメリットに対して3のリスクがある遭遇イベント』といったところか。
冷静に考えれば悪くない確率だが、致命傷の可能性を孕んでいる以上、是非にと歓迎するようなものでもない。
「それに、今の俺には確実な道がある。スキルポイントを確実に得られる、近麗地方の征服だ。運ではなく実力で強くなる方が、俺の性に合っている」
そう自分に言い聞かせながら、肩の力を抜く。
俺のチートスキルは便利な一方で、即座に最強に至るようなお手軽チートではない。
いわゆる成長系チートというやつだ。
ある程度はズルだが、ある程度は地道な努力で積み上げてきた自分自身の実力だ。
焦る必要はない。
高みを目指すのに近道はないのだ。
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