ラーグの街の近郊にて、農作物の収穫が順調に進められていく。
その音頭を取っているのは、タカシ=ハイブリッジ騎士爵の第四夫人に内定しているニム=ラスカル。
それに、ハイブリッジ家の御用達冒険者の花だ。
また、彼女たちを補佐する役割の者もいる。
一際頑張りを見せているのは、ハイブリッジ家の使用人兼奴隷のニルスとハンナだ。
「これがすべて収穫物か……。壮観だな……」
ニルスがそう呟く。
彼の目の前には大量の農作物が積まれていた。
今回の農業改革の成果だ。
その主目的は、人口の増加に伴う食糧需要の増大に対応することである。
彼の主であるタカシ=ハイブリッジ騎士爵は、平民から一代で貴族に成り上がった人物だ。
それも、冒険者登録してわずか2年足らずでの叙爵である。
普通であれば自身の力を過剰に信じ、驕り高ぶってもおかしくない快挙だ。
だが、彼はそういったことを一切しなかった。
それどころか、奴隷であるニルスやハンナ、リンやクリスティに対して非常に友好的だ。
また、平民から登用したキリヤやトリスタについても重用している。
平民上がりであるがゆえに奴隷や平民を偏重しているのかと言われると、そういうわけでもない。
元王都騎士団の小隊長ナオンや、Cランク冒険者のトミーや雪月花も重用している
ハイブリッジ騎士爵の妻やパーティメンバーの出自も多種多様だ。
元奴隷、遠く離れた中央大陸の出身者、平民の料理人、スラム出身者、少数部族の女性、他国の王女、男爵家や伯爵家の令嬢など……。
全員がハイブリッジ騎士爵と大変仲睦まじい。
さらには、各人同士も友好的だ。
当主の寵愛を過度に競い合うこともなく、互いに支え合っている。
ニルスはそんな主人のことを、心から尊敬しつつあった。
彼が為すことはすべて正しいと思っているし、そのための労力を厭わないという思いを持っていた。
「まさかこれほどの豊作になるとは……。さすがはお館様だね」
ニルスの隣で、ハンナが感嘆の声を上げる。
「ああ。お館様の手腕あってこそだよ。お館様にご人望があるから、ニム様や花さんも尽力してくれているのだし。本当にすごい人だよ」
ニルスがそう言って、微笑んだ。
「そうだよね……。あ、ところでニルス、例の話なんだけど」
「例の……? ああ、あれのことか。もちろん忘れてはいないよ。ただ、まだ時期尚早な気がするな。もう少し様子見をしたほうがいいと思う」
「それもそうだね。あまりがっつき過ぎて、お館様にご迷惑をおかけしてもいけないし」
2人は顔を見合わせて笑うと、収穫作業を再開した。
例の話とは、彼らの故郷に対する食料支援のことだ。
ニルスとハンナが農業改革に尽力し、無事に豊作となった暁には、故郷の村へ食料を届けてもらうという約束を交わしたのだ。
それは、タカシ=ハイブリッジ騎士爵の善意で交わされた約束だった。
「さ、さて。今日の収穫作業はここまでにしましょう」
ニムが2人にそう声を掛ける。
「え? まだ夕方ですが……」
ニルスが疑問の声を漏らす。
ハイブリッジ家の配下の者は、至極快適な労働環境で働いている。
特に、労働時間は1日あたり7時間程度だ。
ニルスの感覚からすると、ずいぶんと短い。
とはいえ、朝方から働いても休憩を挟めば、日没の少し前ぐらいまでは働くことになる。
今はまだ夕方だ。
仕事を終えるのはさすがに早いように感じたのである。
「きょ、今日はいいのです。後の作業は、他の者に頼んでありますから」
ニムがそう言う。
ニルスとハンナは顔を見合わせた。
「そうですか。それではお言葉に甘えて、今日の作業は終えさせてもらいますね」
ハンナが笑顔で答える。
「え、ええ……。お願いします。わたしもいっしょに帰りますので。……花さんも、帰りましょう」
「わかったよ~。ニムちゃん」
花がニコニコしながら返事をする。
ちなみに、ニムと花の上下関係はすごく微妙だ。
年齢はニムが下。
冒険者ランクはニムが上。
そして、ハイブリッジ家の中での序列もニムが上だ。
本来であれば、花がニムに敬語を使っていてもおかしくない。
だが、花はそうしたことをあまり気にしないタイプだったので、ニムのことをちゃん付けで呼んでいる。
ニムの方もまた、そんな花の態度を何の違和感もなく受け入れていた。
4人で帰路につく。
「ところで、ニム様のご結婚はいつ頃になるんですか?」
ハンナがそう尋ねる。
「そ、その件ですか。関係各位への通達はひと通り終えたと聞いています。そう遠くない内に開かれるでしょう」
この世界は、交通や連絡網があまり発達していない。
そのため、遠方の者を招いて結婚式などのイベントを開く場合は、十分な準備期間を設ける必要がある。
現代日本の感覚ではゆったりしているようにも感じられるのだが、この世界ではこれが普通だ。
タカシの叙爵式がまだなのも、似たような理由である。
「そうなると、俺たちも忙しくなりそうだね」
ニルスが言った。
「え、ええ。頼りにしていますよ。……しかし結婚と言えば、あなたたちはどうなのです?」
「俺たちですか? まさか、奴隷の身分で結婚など……」
「そうだよねえ。ニルスとは、いつかはそんな関係になれたらいいなとは思っていますけど……」
ニルスとハンナがそう言いながら、チラリと互いの顔を見る。
「ど、奴隷同士でも、結婚はあり得ないことではないらしいですよ。主人の承認さえ得られればですが」
奴隷同士の子どもは自動的に奴隷になる。
……などということはない。
この国は人権意識がそこそこしっかりとしている。
経済的に困窮した者が奴隷堕ちすることはあっても、生まれたての赤子が自動的に奴隷になることはないのだ。
とはいえ、ならば奴隷同士の子どもがどういう扱いになるかと言われると、非常に微妙なところでもある。
結局のところは、主人の庇護下に入って衣食住を与えてもらうしかないだろう。
そういう意味では、奴隷同士の結婚や出産は、その主人の意向に大きく左右されてしまうのが現実だ。
「ハンナと結婚かぁ……。お館様なら、承認してくださるかもな」
ニルスがそう言って笑った。
「うん。……でも、あんまり厚かましいことばかりお願いするのもねえ……。食糧支援の話もあるのだし……」
ハンナが若干の困り顔でそう言う。
そんな会話をしつつ、彼女たちはハイブリッジ家への帰宅の道を歩いていった。
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