今から10年以上前。
ラーグの街のラビット亭にて。
夫婦が仲良く厨房で料理をしている。
そして、それを笑顔で見ている女の子が1人。
「さあ、モニカ。今日の夕飯は、スピーディーバッファローのソテーだぞ」
「わあい! 私、お父さんの料理大好き!」
女の子はモニカだ。
彼女がうれしそうな顔でそう言う。
「食後には、お母さんのつくったケーキもあるからね。モニカの好きなイチゴケーキをつくる予定よ」
「やったー! お母さんのケーキも大好き! 楽しみだなあ」
今日は、モニカの誕生日だ。
彼女の父であるダリウスと、母であるナーティア。
彼らは2人とも料理人だ。
普段は2人でラビット亭を切り盛りしている。
今日は一人娘のために店を休業し、おいしい料理を用意しているのである。
「あれ? あの調理器具はどこにしまったかな?」
「ああ。あれなら棚の上のほうにしまってある。待ってろ、台を持ってくる」
ナーティアの問いに、ダリウスがそう答える。
彼が台を持ってこようとするが……。
「必要ないわ。……せいっ」
ナーティアが掛け声とともに跳躍する。
彼女は兎獣人の中でも脚力に秀でているほうであった。
大きなジャンプだ。
「お母さん、すごーい!」
「おいおい。あんまり無理はするなよ。いくら元曲芸師だからといって」
「これぐらい無理でも何でもないよ。さあ、料理を続けよう」
ナーティアは元、サーカス団の曲芸師だ。
アクロバットな動きで観客を魅了する仕事をしていた。
このラーグの街でダリウスと知り合い、なんやかんやあって身を固める決心をした。
そしてサーカス団を抜け、料理人として転身したのである。
ダリウスとナーティアで、モニカのために料理を進めていく。
モニカはそれを笑顔で見守る。
手伝えるところはいっしょに料理をした。
モニカは、両親が大好きであった。
日中の料理作業に、おいしい夕飯。
そしてデザート。
その日は、モニカにとって忘れられない思い出の1つとなった。
●●●
それから数年後。
ラーグの街の外周部にある畑にて。
夫婦が仲良く畑仕事をしている。
そして、それを幼い兄妹が笑顔で見守っていた。
さらに、傍らには犬が1匹。
ファイティングドッグのような獰猛な犬ではない。
温厚な犬だ。
「ふう。そろそろ休憩するか。マム」
「そうですね。あなた。お弁当を持ってきています。サムとニム、それにリックといっしょに、食べましょう」
妻のほうがそう言う。
彼女の名前はマムだ。
そして、夫はパームス、兄妹はサムとニム、ペットの犬はリックという名前だ。
「やったぜ。俺はおイモをたくさん食べる!」
「わ、わたしも!」
「ワンワン!」
幼い兄妹ーーサムとニムが、そう意気込む。
犬のリックも、ご飯の時間ということを感じ取ったのか少し興奮している。
「あらあら。慌てなくても、お弁当は逃げないわよ」
「そうだぞ。ゆっくり、たくさん食べなさい」
パームスがそう言う。
彼ら4人と1匹。
この畑から取れる野菜や果物で自給自足をしながら、余ったものを街に卸して若干の収入を得ていた。
決して裕福ではなかったものの、食べるものに困るほどではない。
「あらあら。ニム。ほっぺに食べかすが付いているわ」
「え、どこどこ?」
「そのままじっとしていて。ママが取ってあげるからね。……はい、取れた」
「うん。ありがとう、ママ」
彼女たち一家は、そんなふうにして昼食を食べ進めていく。
「ふう。食った食った。もう少し休んだら、作業を再開するか」
「そうですね、あなた。……そういえば、このリンゴの木もずいぶんと大きく育ってきましたねえ」
マムがそう言う。
畑の隅には、立派なリンゴの木が生えていた。
全長にして3メートル以上はある。
厳密に言えば、”地球におけるリンゴに酷似した果物が実る木”であるが。
「はやくリンゴが食べたいぜ! ニムもそうだよな?」
「う、うん。わたしもたべたい。いつごろたべられるの?」
サムの言葉を受けて、ニムがそう言う。
「そうだなあ。数年後……ニムが10歳になる頃には、いっぱい成っているだろうな」
「えー。まださきなんだね」
「数年後かあ。俺、そんなに待てないよ」
父パームスの言葉を受けて、ニムとサムがそう言う。
この点は、大人と子どもの時間感覚の差が出ている。
大人にとっての数年はあっという間だが、子どもにとっての数年は非常に長い。
いわゆるジャネーの法則だ。
「気持ちはわかるが、こればっかりはな」
「ちょっと待ってください。あなた。あれを」
「……ん?」
マムがリンゴの木の上方を指差す。
パームスがそのあたりを見る。
「ああ。小さめの実がいくつか成っているな。よし、なんとか取ってやろう」
「だいじょうぶですか? あなた。ずいぶんと高いところにありますが」
マムが心配そうにそう言う。
「問題ない。……リック!」
「ワンワン!」
パームスが合図をしたかと思うと、犬のリックがそれに応じて動き出した。
リックが木を登っていく。
そして無事に実が成っているところまでたどり着いた。
「ワンッ!」
リックがリンゴの実を落とす。
パームスがそれをキャッチする。
「よし、いい子だ」
「相変わらずすごいですね。リックとの意思疎通は、あなたが1番ですね」
「まあ、マムと結婚する前からいっしょにいるしな。俺の兄弟みたいなものだよ。そこらの魔物よりも断然強いし頼りになる」
マムの言葉を受けて、パームスがそう言う。
ちなみにこの犬も、厳密に言えば”地球における犬に酷似した生物”である。
地球における犬の寿命は10年から15年ぐらいだが、この世界の犬の寿命はもう少し長い。
このリックも、まだまだ元気に生きていくだろう。
そこらの魔物よりは強いため、ペット兼番犬としてこの一家になくてはならない存在だ。
「ほら、サム、ニム。リンゴを食べてみるか? まだ酸っぱいかもしれないが」
「おう! 食べるぜ!」
「わ、わたしも!」
サムとニムでリンゴをはんぶんこにする。
彼らがリンゴをかじる。
「酸っぺえ! でも、うまいぜ!」
「そ、そうだね。おいしい」
やはり熟していないため、酸っぱいようだ。
だが、それでも食べられないことはない。
彼らにとっては、少し贅沢なデザートである。
ニムは、家族みんなが大好きであった。
両親であるマムとパームス。
兄のサム。
ペットのリック。
今日のような何気ない日常は、後に彼女にとって大切なパパとの記憶となった。
●●●
それから1年ほど後。
ラーグの街にて。
大規模な葬儀が開かれていた。
「うっ、うっ。お母さん。どうして……」
「ナーティア……。俺とモニカを残して、先に逝きやがって……」
モニカとダリウスが涙ながらにそう言う。
そして、他にも。
「……? マ、ママ。お兄ちゃんも。どうして泣いているの?」
「……それはね。パパとお別れしなくちゃいけないからよ。それにリックとも」
ニムの問いに、マムがそう答える。
幼いニムは、まだ死という概念を理解しきれていなかった。
彼女がそれを理解できるようになるのは、少し後のこととなる。
「おわかれ? それは、かなしいね。つぎはいつ会えるのかなあ」
「……そうね。また会えるといいわね……。ううっ」
「ひっく、ひっく」
ニムの無邪気な言葉に、マムとサムが泣き崩れる。
ラーグの街の北部には、サザリアナ王国の王都がある。
街道は整備されているし、危険度の高い魔物は優先的に討伐されている。
ラーグの街から王都への旅路は、何の危険性もないはずだった。
モニカの母、ナーティア。
王都で流行っているという調味料の味見と仕入れのため、王都行きの馬車に乗り込んだ。
娘のモニカ、夫のダリウスはラーグの街で待機していた。
ニムの父、パームス。
王都で品種改良がされたという新たな野菜の苗を入手するため、王都行きの馬車に乗り込んだ。
ペットであるリックも、護衛として連れていった。
娘のニム、息子のサム、妻のマムはラーグの街で待機していた。
その他、王都に用事のある人たちや護衛の冒険者を連れて、馬車は出発した。
定期的に発着している王国運用の馬車であるため、安全性に疑いを持つ者はいなかった。
だが、結果はーー。
全滅。
定期便の到着が遅れていることを不審に思った王都の担当者が、調査隊を派遣した。
すると、街道の途中で、全壊した馬車やおびただしい血痕などが発見された。
その場には死体がなかったため、一縷の望みをかけて周辺に捜索隊が派遣された。
しかし、1週間以上捜索してもだれも見つからなかった。
死体こそ見つからなかったものの、状況から見て生存は絶望的だ。
王国は、馬車の乗客は死亡した可能性が極めて高いと結論付け、乗客の関係者に通達した。
そして、その犠牲者たちの葬儀が今行われているというところである。
犠牲者は多数にのぼる。
モニカの母ナーティア、ニムの父パームス。
同行していた人たちや、護衛の冒険者。
それに、パームスが連れていた犬のリックだ。
「この度の痛ましい事故につきまして、まことにお悔やみ申し上げます」
王国の担当者がそう言って、頭を下げる。
今回の馬車の運用はサザリアナ王国が行っていたので、責任の所在は王国にある。
彼が顔を上げ、言葉を続ける。
「ご遺族の方々への賠償金の支払いにつきましてはーー」
「お金? そんなのいい! お母さんを返してよ!」
「こら、モニカ。よさないか……」
かみつくモニカを、ダリウスが制止する。
この担当者は、街道の危険性を甘く見たわけではない。
これまでずっと安全に運用されてきたのだ。
今回の事故は突発的なものであり、予測不可能であった。
「まことに申し訳なく思っております。今後の定期便の警備体制の見直しを進めておりーー」
担当者がそう説明する。
今後の安全性の拡充は、大事なことではある。
だが、それでいなくなった者たちが帰ってくるわけではない。
「ううっ……」
「ひっく」
マムとサムがそうむせび泣く。
「ママ。さみしくてもだいじょうぶだよ。わたしとお兄ちゃんがいるもん。パパとリックが帰ってくるまで、いっしょに待とうね」
無邪気なニムの言葉が、葬儀場に虚しく響いた。
ニムやモニカがタカシと出会うのは、これから数年後のこととなる。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!