箸をそっと置くと、リーゼロッテは優雅に首をかしげる。
その仕草は決して荒々しい拒絶ではない。
むしろ、彼女なりの慎重な考察の証だった。
「物足りませんわ」
静寂が重く垂れこめる。
先ほどまでの和やかな雰囲気が嘘のように、場の温度が一気に下がった。
「なっ……!」
琉徳が思わず顔をしかめる。
彼にとって、この料理は研ぎ澄まされた技巧の結晶であり、完璧なまでに洗練された一品だった。
それを「物足りない」と言われるとは――。
しかし、リーゼロッテは悪びれもせず、むしろ心からの疑問を口にするように言葉を継いだ。
「上品で洗練されているのは認めます。でも、何かが足りませんの。心に残る余韻がないと言いますか……」
審査員たちは言葉を失った。
料理の美しさ、味の精妙さは申し分ない。
それでも、彼女の言葉に反論できるだけの何かが、確かに欠けているような気がした。
その沈黙を破るように、紅乃が静かに動く。
「では、こちらをどうぞ」
彼女が差し出したのは、一見すると何の変哲もない『庶民のうどん』だった。
黄金色に澄んだ出汁が湯気を立て、白く艶やかな麺が静かにその中で揺れている。
具材は控えめで、刻みネギと揚げ玉だけ。
だが、その素朴な姿には、不思議なほどの温もりが宿っていた。
誰からともなく、審査員たちは箸を手に取り、そっと麺を啜る。
「……っ!」
途端に、誰もが言葉を失った。
一口目は柔らかく、じんわりと舌に染み込むような優しさ。
二口目、三口目と進むにつれ、出汁の奥深さがゆっくりと広がり、身体の奥底にまで沁み渡る。
気がつけば、誰もが無心で箸を動かし、麺を啜る音だけが静かに響いていた。
「……何だこれは……止まらない……!」
審査員の一人が、思わず零す。
その声には驚きと感動が滲んでいた。
目の前のうどんは、決して豪華なものではない。
けれど、一口ごとに新たな味の表情を見せ、次の一口を欲する衝動を生む。
食べたいと思わせる力が、この一杯には確かにあった。
そして、リーゼロッテもまた、知らず知らずのうちに丼を抱え込むようにして、夢中で麺を啜っていた。
「……これですわ!」
青い瞳が歓喜に輝く。
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