誰もが勝負の理不尽性に気付いていたが、動く者はいない。
恐れと躊躇を抱えたまま、言葉を飲み込んでいる。
店の奥で鳴っていた湯沸かしの音や、調理場から漂うだしの香りですら、この緊迫した空気の中では無力だった。
しかし、沈黙の中、不意に響いた声が場の空気を一変させた。
「その勝負、お待ちくださいまし!」
「なにぃ!?」
琉徳の目が鋭く細められ、視線は声の主に突き刺さった。
そこには、優雅な雰囲気のまま琉徳へ指を差し向けるリーゼロッテが立っていた。
彼女は堂々とした態度で、琉徳の威圧感にも屈する様子はない。
「貴様、邪魔をするつもりか!?」
琉徳の声には、苛立ちと疑念が混じっていた。
「いいえ。わたくしも、審査員に入れていただきたい。ただそれだけですわ」
「ふん! うどんの出来に関わらず、紅乃に同情票でも入れようということか!」
「そんなことは致しません。わたくしは、料理の味に嘘はつきませんので。料理人が腕によりをかけて作るうどん……それを食べてみたいという純粋な気持ちですわ。必ず、嘘偽りなく審査すると誓いましょう」
リーゼロッテの言葉は、静かな湖面に落ちた一滴の水のように、静かだが確かな波紋を広げた。
彼女の声は柔らかく、それでいて芯の通った強さがあった。
琉徳はしばし黙り込んだが、やがて肩をすくめ、薄く笑った。
「……ふん。まぁいいだろう」
彼は審査員を5人用意するつもりだ。
その中の1人がこの余所者の娘になったところで、勝負の行方に大きな影響はないだろう。
琉徳はそう判断したのだ。
「勝負は二日後の昼だ! 首を洗って待っておけ!」
琉徳は部下たちを引き連れ、店を後にした。
その足音が遠ざかるにつれ、店内に張り詰めていた緊張がようやく解け、誰かが息をついた音が小さく聞こえた。
「璃世さん。巻き込む形になってしまい、申し訳ありません」
紅乃が、静かに頭を下げる。
その姿は、礼儀正しくも、どこか痛々しいほどに真摯だった。
「とんでもないですわ。わたくしから言ったことですから。それに……とっても楽しみにしていますのよ?」
リーゼロッテの声は、場を温める春の陽射しのように、柔らかく周囲を包んだ。
彼女の瞳には、期待の光が宿っていた。
それは、ただの勝負の行方を見守るだけではない、心から料理を楽しみにする者の純粋さだった。
「えっと……?」
紅乃が目を瞬かせると、リーゼロッテは無邪気な笑顔を浮かべた。
「うどん、たくさん食べて楽しみますわよ~!」
彼女の声に、店内の重苦しい空気が少しだけ和らいだように感じられた。
先ほどまでの緊張は、まるで春風に吹かれて解ける霜のように、音もなく消えていった。
こうして、華河藩の未来を占う(?)うどん対決が行われることになったのだった。
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