四神地方(しじんちほう)、華河藩(かがわはん)――。
その城下町の一角に、香り高い出汁の匂いが漂っていた。
「おいしいですわ~」
青髪の女性がしなやかな指先で箸を握り、湯気の立つうどんを口に運ぶ。
その動作はどこか優雅で、まるで異国の花がこの和の空間に咲き誇っているかのようだった。
彼女は遠く離れたサザリアナ王国からこの地へ、はるばる海を越えてやってきた異邦の人間だ。
その名はリーゼロッテ。
青い瞳には、見慣れぬ風景や文化への好奇心と、時折覗く哀愁が入り混じっている。
彼女は元々、タカシという男やその仲間たちと共に行動していた。
だが、上陸後の混乱で散り散りになり、今は一人で旅を続けている。
彼女の肩に掛けられたマントは、旅路の風雪を物語るように擦り切れていた。
旅の途中、城下町で偶然立ち寄ったこのうどん屋『紅乃庵(べにのあん)』に魅了されて、かれこれ1か月以上もこの町に居座っていた。
鍋から立ち昇る出汁の湯気、手打ちの麺が踊る音、そして店主・紅乃の笑顔――どれもが彼女にとって、異国で初めて見つけた「安らぎ」の象徴となっていた。
「そう言ってもらえて、嬉しいです。璃世(りぜ)さん」
店主の紅乃が微笑む。
その表情は、春の日差しのように柔らかかった。
ちなみに、璃世というのはリーゼロッテの偽名だ。
異国の地では、彼女の本当の名前はあまりに目立ちすぎるのである。
紅乃は璃世が訳ありであることを察している様子もあったが、深くは追及してこない。
この1か月、ずっと和やかな日々が続いてきた。
あまりにも美味しそうに食べる璃世につられて、客足も増加傾向。
しかし、そんな平穏なひとときは、突然の冷たい声によって打ち破られた。
「紅乃がいるという店は、ここか……。ふん、まだうどん作りを続けていたのだな。下らん」
店の入口から響いたその声は、冬の風のように冷ややかで、店内の空気を一瞬にして凍りつかせた。
入ってきたのは、豪奢な衣装に身を包んだ男。
絹のように艶やかな外套に、金糸の刺繍が施されている。
彼の背後には、鋭い目つきの護衛が数人、まるで影のように控えていた。
店内の客は一斉に食べるのを止め、箸を置いて平服した。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!