夜の帳が下りた城下町の裏路地――湿った石畳に、紅の血が散る。
冷え冷えとした夜気が肌を刺し、遠くで梟が鳴いた。
夜の闇は深く、路地裏の隅々まで沈黙が支配する。
ぼんやりとした月光が薄雲を透かして落ち、仄かな光が濡れた石畳を鈍く照らしていた。
その中に、一筋の鮮血が黒く滲むように広がっていく。
「うっ……。いったい……どうして……」
紅乃は膝をつき、震える左手で負傷した右肩を押さえた。
温もりを失い始めた血が指の隙間から溢れ、着物の袖を重く濡らしていく。
痛みが骨の奥まで突き刺さり、息をするたびに喉が震えた。
それでも彼女の瞳は、目の前の侍を捉え続けていた。
侍は静かに立っていた。
鋭利な刃をわずかに傾け、淡々と紅乃を見下ろしている。
彼の表情には冷徹な静けさが宿り、月光が刀身に鈍く反射して、死の予感を鋭く際立たせた。
「……不用意に目立つからだ。そして、行動も迂闊すぎる。夜道を一人で歩くとは……」
低く響く声には、呆れと諦めが滲んでいた。
「くっ……」
紅乃は悔しげに唇を噛む。
「警戒して大人数で動いてくれていれば、拙者としても不実行の言い訳ができたものを……。悪く思うな」
侍はため息混じりにそう言いながら、手元の刃をわずかに持ち直した。
終わりを告げるように、静かに、確実に。
そのとき――
「そこまでですわ」
凛とした声が、夜の帳を裂いた。
次の瞬間、きらめく水の刃が宙を奔る。
それはまるで、月の光を映した鏡のように、鮮やかに、鋭く。
侍は反射的に一歩下がり、その軌道を見極めながら躱した。
直後、乾いた音とともに壁の一部が白く凍りつく。
夜の冷気がいっそう際立ち、張り詰めた空気が場を支配した。
「ふむ? 貴様は……璃世とかいう余所者か。水妖術の使い手だったとは、驚きだ」
侍の視線が、新たな乱入者を捉える。
「紅乃さんへの狼藉、許しませんわよ」
リーゼロッテ――異国の血を引くその女性は、闇を背負うようにして立っていた。
蒼い瞳が鋭く光り、細く引き結ばれた唇には揺るぎない決意が滲んでいる。
指先には、再び水の魔力が収束し始めていた。
侍は小さく鼻を鳴らし、肩をすくめる。
「一足遅かったな。もうそやつの右腕は再起不能だ。深々と斬ったからな」
「なんですって……!?」
リーゼロッテの瞳が険しく細められる。
「もう二度とうどんは打てぬだろう。貴様も同じ末路をたどりたくなければ、早めにこの藩を出るがいい。……では、さらばだ」
侍は踵を返し、闇へと消えた。
リーゼロッテはその背中を見送る。
氷のように冷たい眼差しのまま、静かに唇を引き結んで。
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