寺院の本堂は静寂に包まれていた。
つい先ほどまで、武僧たちの戦いの気迫が満ちていたこの場も、今はただ重苦しい沈黙が支配している。
焦げた畳の匂いが鼻を突き、割れた柱の破片が床に散乱していた。
俺は、悠然と奥へ歩みを進める。
そこには、この寺院の最高権力者――1人の老僧が、背筋を伸ばして座していた。
白髪に覆われたその顔は、何十年もの修行の積み重ねを物語っている。
年老いた肉体でありながら、その背筋は一分の乱れもなく、まるで山のように揺るがない威厳があった。
何より、その瞳――
すべてを見通すかのような静かな眼差しは、俺をじっと見据えていた。
武僧たちが倒れ伏した光景を見ても、顔色一つ変えない。
まるで、この結末を初めから悟っていたかのような表情だ。
「さて……。ご覧の通りだ」
俺は足を止め、軽く手を広げる。
武僧たちは無惨にも横たわり、呻き声すら漏らさない。
もはや戦える者はいない。
「那由多藩は、桜花藩に併呑される。……これ以上、無駄な抵抗はするなよ」
老僧は何も答えず、ただ俺の目をじっと見つめ続けていた。
厳かに手を膝に置き、ゆっくりと呼吸を整える。
やがて、長い沈黙の後に、静かな声が響いた。
「千手観音菩薩様がいらっしゃれば、お主のような不届き者など……」
「ん?」
ふと、俺は眉をひそめた。
この場に及んで、まだそんなことを言うのか?
だが、老僧の言葉には怒りや焦りといった感情はない。
まるで、何かを思い出すように、静かに語るだけだった。
「……いや、これも含めて仏の思し召しか……」
まるで、敗北すらも運命の一部と受け入れているような声音だった。
「千手観音……菩薩?」
俺は興味を惹かれ、首を傾げる。
どこかで聞いたことのある名前だが、詳細は思い出せない。
たしか、千の手を持つ仏だったか?
いや、実際の手の数はそんなになかったような……。
まぁ、どちらにせよ、二本ということはないだろう。
たくさんの手を持っていたはずだ。
多くの手があれば、短い時間でより多くの攻撃を放つことができる。
武僧たちの連撃も、千手観音菩薩にまつわる何かしらの伝承に由来しているのかもしれない。
「その菩薩様がどうしたって? 実在するのなら、俺を止めてみせろよ」
俺は肩をすくめながら、挑発するように言った。
仏がどうとか、信仰がどうとか、そんなものは俺には関係ない。
チートでねじ伏せるだけだ。
俺の言葉に、老僧は目を伏せる。
そして、深く息を吐きながら、静かに告げた。
「……千手観音菩薩様は、一時的に御力を落としていらっしゃる」
御力を落としている?
なんだ、それは。
だが、老僧の言葉には妙な確信があった。
まるで、俺には知り得ない何かがあるかのように。
「少し前に、『千手の試練』を完全突破した者が現れたのだ」
――『千手の試練』?
ちょっと興味がある。
ミッション達成のためには試練を受けている暇などないが、話だけでも聞いておくか。
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