アロハシャツは二人もいらない

ギン
ギン

藤沢 大

公開日時: 2022年8月11日(木) 19:48
文字数:2,839

 アスファルトに照り返された日が、はやくも私を挫折させようとしていた。

「暑すぎる」

 何故夏の暑さはここまで不快なのであろうか。同じ熱気でもサウナはあそこまで気持ちがいいというのに、この違いは何によって起こるのだ。夏の車中も不快なため直射日光が原因では無いのだろう。湿度はどうだ? いやしかし蒸し暑さほど生物を苦しませるものは無いのだ、湿度の高いサウナが不快では無いため関係ないか。そうだ、格好が全然違うでは無いか。暑い中衣類を纏っているから不快になるのかもしれない。待てよ、そういえばこの前小川と外出した際「何で夏の暑さはここまで不快なんだろう。同じ熱気でもサウナはあんなに気持ちが良いのに」と言っていた。ということは衣類が原因でも無いのだ。

 

 体感では十五分ほど歩いたというのに、今だに住宅街から抜けれない。おかしい。本来家から十分ほど坂を下れば駅に着くというのに。横には古びたアパートや新しめの一軒家、東側に位置する数少ないお店であるリサイクルショップなどが並んでいて、この少し奥に椅子しか置かれていない寂しい公園がある。そこを右側に曲がると車が通れないほどの脇道が続いており、行きつけの喫茶店が店を構えている。このまま歩いていては道中倒れかねない、ひとまずそこで休憩しようではないか。一度目的地が決まると、引きずるように進めていた歩がズンズン進む。脇道に出ると、緑が頭上に姿を現すようになり少しだけ涼しく感じた。


「着いた」

 庇に『喫茶店 キャット』と書かれている。歴史を感じる木造の建物で、緑に囲まれた軒先の花壇には水滴がついている色とりどりの花が植えられていた。入り口の開き戸に掛けられている看板は、OPENと表を向いている。


 扉を開けるとチリンと涼し気な音が鳴り、なだれ出る優しい冷気が体を覆い不快な熱を奪っていった。その時、先程の答えが急に頭に降ってきた。


「水風呂だ!」

「何を言っている」

 作務衣の上に似合わないエプロンをつけている青年、藤沢ふじさわ だいがマグカップを片付ける手を止めこちらを向いた。

 彼はシェアハウス『喜劇』のルームメイトである。スポーツ刈りで少し焼けた肌、シュッとした凛々しい顔立ちをしている。野球部を引退して少し髪を伸ばした、真面目な高校生のようだ。


「水風呂がどうした」

「サウナが気持ちのいい理由だ。水風呂があるからなんだ。サウナ自体に気持ちが良くなる訳じゃない。この後水風呂に浸かることが出来るという精神的余裕、期待がサウナというものを気持ちよくさせるのだ。ならばそうだ、日本全体、ありとあらゆる場所に水風呂を設置すればこの暑さも不愉快なものではなくなるに違いない!」

 藤沢は困ったようにため息をついた。

「奥の席が空いている。すこし休め」


 彼はここ喫茶店キャットでアルバイトをしている。もとはおばあさんが趣味程度に始めたらしく、地域のご老人が集まる一種のコミュニティになっているのだが、おばあさんは「パチンコの方が面白い」と働くのが嫌になってしまったそうだ。自分は休みたいが、毎日来てくれるお客さんのためにも店を休みにするわけにはいかず、アルバイトを採用することになったという。そこで選ばれたのが藤沢と言う訳だ。


 店内は縦長になっており、二人がけのテーブルが縦に四つ並べられ、右側にはカウンターがある。日焼けした漫画、メンコやおはじきがあり、壁には演歌歌手のポスターが貼られている。奥の席以外埋まっており、ご年配の方で賑わっている。


「休日に外出など、珍しいな」

 大学生とは思えないほど渋くて男らしい声をしている。

「まあちょっとな……自分探しの旅だ」

「……なにか手伝えることはあるか」

 私の前に紙のコースターとアイスコーヒーを置き、小川は向かいの席に腰を下ろした。

「仕事は大丈夫なのか?」

「友の悩みの方が大事だ」

「藤沢……!」

 藤沢大とはこういう男である。いや、男というよりむしろ漢と評したほうが正しいかもしれない。漢の中の漢。私は彼ほど剛健な人間は見たことがない。言動には重みがあり、困っている人に手を差し伸べることを厭わない。たくましさの中にも優しさがあり、男女共に人気がある。だからといって情事にうつつを抜かすなんてこともなく、大学生の本分である勉学に熱心に取り組んでいる。言うまでもないが、大学内での彼の評価は凄まじいものである。

「一つ質問させてくれ。藤沢が生きる上で大事にしている、精神的支柱とやらはあるか?」

「無論ある」

「それは何だ?」

 そんな彼にも当然変わっている部分がある。それは……、

「妹だ」

 シスコンであるのだ。シスターコンプレックス。女姉妹に対して強い愛着を持つ状態のことを言う。なんだそんなことか、ただ家族を愛しているだけじゃないかと思うかもしれないが、彼は違う。

「日頃から言っているが俺は妹の為に生きているといっても過言ではない。その時が来たならば、この溢れんばかりの思いを伝える覚悟とうに出来ている」

 妹を異性として愛しているのだ。愛しすぎているあまり、ルームメイトである私達に写真を見せるどころか名前すら教えてくれない。友とライバルにはなりたくないそうだ。

「流石だな。その男気、かっこいいよ」

 この言葉に偽りはない。例え愛する人が妹であれ、その純粋な気持ちを否定出来るものがどこにいようか。偶然好きな人と血がつながっていただけである。

 ただ一つ問題があるとするならば……、

「妹ももう六年生になる。あれだけ可憐なのだ、変な虫が近寄らないか不安で眠れん」

 ロリコンでもあるのだ。ロリータコンプレックス。少女に対して強い愛着を持つ状態のことを言う。藤沢大はそれに当たる。


 コップの中の氷が溶け、カツンと音を鳴らす。


 彼の趣味を知っている人は大学内でもかなり絞られる。その中でも様々な解釈がされており、シスコンであるが故にロリコンである派閥とロリコンであるが故にシスコンである派閥に分かれている。妹を好きになってしまうシスコンの妹がまだ幼いだけなのか、幼い人を好きになるロリコンの近くに幼い妹がいただけなのか。『卵が先か、鶏が先か』と似たような難解な話で、ロリコンとシスコンどちらが先なのか議論が白熱している。私個人としては、彼はもとからシスコンとロリコン、その二つの才能を秘めていたのではないかという新しい派閥を立ち上げ、膠着状態の議論に1石投じた経験がある。


「先日しばらくぶりに実家に帰ったのだが……、立派に成長していて涙がこぼれてしまった」

 要するに、ロリコンで、シスコンな、変態である。


 薄くなったコーヒーを飲み干し、席を立つ。

「参考になった。ありがとう」

 誰かを愛することも、精神的支柱になり得るのか。これはいい事を聞いた。


「もう帰るよ、会計お願い」

「休憩にもなった。そのぐらい奢らせてくれ」

 そう言って藤沢は、私のコップを持ってキッチンに戻ったかと思うと、

「暑いからな、これを持っていけ」

 水の入ったペットボトルを投げ渡してきた。

 

 お礼を言った後、私はまた灼熱地獄へと身を投じた。

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