彼女が「死にたい」とかわめき出したとき、ロマーナは必ず立体駐車場の屋上へ呼ばれる。
なぜ自分なのだろうか、とは思う。彼女には恋人がいるのに、あえてロマーナに頼って甘えてすがってきている。あれだけ仲の良さそうな写真をSNSにアップロードしているから、彼女とその恋人に不和があるとも考えられない。
「まあ……好きなヒトにはヘラってるところ見せられないのかな」
そんなわけでロマーナは屋上へたどり着く。景色の良い場所だ。深夜ということもあり、車はあまり停まっておらず、夜空もいくぶんの星が見える。
「パール! 死にたいってなにさ!」
その息を呑んでしまうような長い金髪を持った美少女、パールは、ロマーナの言葉にこくこくと頷いた。
「やっぱりアンタは来てくれるわよね。幼なじみだものね。ロマーナ」
「……ガールフレンドは来てくれないと?」
「私の危機くらい察知するのが恋人の役目だと思うわ」
──うわ、めんどくさッ。
パールは昔からこういうヤツだ。かまってほしくてたまらない子で、察してくれるのが当然だと思いこんでいる、途方もなく面倒な少女。
「確かにあの子は良い子よ? でも満足できないわ。まるで」
──帰って生配信見たい……。なんでメンヘラの話しを聴かなきゃならないんだ。
「その点、ロマーナは魅力的よね。しっかりあたしの相手をしてくれる」
「幼なじみだからね」適当な相槌だ。
「……でも、なんでアンタは女の子じゃないのかしらね」
このとき、ロマーナは違和感を感じ取った。いつもだったら、パールが泣いて喚くのを黙って訊いているだけなのだが、きょうに限ってはその兆候が見られない。
「あたし、思うのよね。自分に必要ない概念なんて捻じ曲げてしまえば良いって」
──どこまでも自己中だなぁ。
「そうかもね」
なお、わずかでも表情に曇りが浮かんでくるとパールは露骨に機嫌を損ねるので、ロマーナの思考と表情は真逆を向いていることが多くなった。
「まだなににも染まっていないあたしたちは、何者にでも変わっていける。ねえ、ロマーナ──」
矢先、ロマーナは押し倒された。接近していたわけではない。パールが能力を使ってロマーナに突撃したのだ。
抑え込まれるロマーナ。されど表情は柔和なままで。
「ぼく、なにか悪いことした? したなら謝るよ」
「いえ? 悪いことをするのはあたしで、謝るのもあたしよ。ねえ……」
注射器らしきものが、パールの右手に光った。
ロマーナはここでようやく気がつくのだ。パールはロマーナをも巻き込んで真っ逆さまに落ちていこうとしていることに。
「女になっても、あたしの一番大切なヒトでいてね。ロマーナ」
左腕の力は強く、ロマーナは振り払えない。
こうなると、下手な注射をされるほうが厄介だ。
そのため、ロマーナはある種諦観した顔色で、「……どうだか」とつぶやく。
「こんな面倒な女の相手してくれてありがとう。そして、今度は性愛すらも受け止めて。あたしにはもう貴女しかいないんだから」
ロマーナは薄れゆく意識と、徐々に熱くなっていく身体の中、心底早く帰りたいと思った。
*
自宅に戻ってきたらしい。見慣れた天井だ。部屋はすっかり明るくなっていて、時計は12時半を指していた。
ロマーナは歯磨きをしようと立ち上がり、パジャマがぶかぶかであることを知る。仕方ないので下着姿のまま洗面所へ歩いて行く。寝起きの思考回路なんてこれくらいおかしいものだ。
「んー……?」
焦げた茶髪に褐色肌な妹ロマリアは、ロマーナのことをこの世のものとは思えない怪異のごとく捉えていた。
「お兄ちゃん……なにしたん?」
「知ってるだろ? パールの発作に付き合ってきただけさ……。どいて」
「いや……パールちゃんのことはどうでも良いんだよ。突っ込みどころをたくさんつくって、あえて突っ込まれないようにしてるの!?」
「なにがだよ……」
ロマーナの寝起きは機嫌がよろしくない。だからロマリアを横に追いやり、洗面所へ入る。
「……なにがあったんだよ」
結論、ロマリアの訝《いぶか》る態度はなにも間違っていなかった。白みがかった金髪のショートヘアーを持ち、乳房が膨らみかけである美少女がそこにいたからだ。
「まあ良いや……」
まだ眠気は覚めない。歯磨きを開始してしまう。
そんなとぼけたロマーナに、ロマリアが突っ込みを入れる。
「いや! おかしいからね!? まあ良いやじゃないからね!?」
しかし無言で歯磨き。一連が終わると、顔を洗い、リビングへ行ってたっぷりの牛乳にシリアルを入れ始めた。
「甘い。延々と食べられる」
味気ない朝食だといままで感じていたが、なぜだかきょうばかりはとても美味だ。生きていることへ感謝したくなるような気分である。
「ロマリア、食べないの?」
「……お兄ちゃん、現実って時には残酷なんだよ?」
「知ってるさ。ロマリアより4年長く生きてるからね」
「知ってんならブラジャーくらいつけて!!」
「普通、男がつけるものじゃないでしょうに」
「とにかく!!」
妹のブラジャーなんてつけられるのかよ、と疑問を覚えつつも、ロマーナは渋々といった感じでそれを装着する。
「ぴったりだ」
とても喜ばしい話しだ。女体化して、妹の下着のサイズ感がぴったり。そうなると女物の服装の心配も当分いらないだろう。
──なんで妹のブラジャーつけてるんだよ? 女にでもなっちゃったか? じゃないとつけないしな。……いや、ぼく、女になったんだった。
ロマーナのスプーンが止まる。同時に思考も停止する。
呆然としながら、食事をやめてソファーの隅に座りながらテレビをつける。
だが、ロマーナは普段テレビを見ない。ニュースやら娯楽は動画サイトで満たすタイプの人間だから、それほど頭が回っていない証明になる。
「それでは次のニュースをお伝えします──」
『世界初の性別変換剤、何者かによって盗まれたか』
「サイバーパンク・ヨコハマ市警は、オオヤ・カズヒサ氏による開発品である『性別変換剤』が何者かによって強奪されたと発表しました。事件はきのうの深夜未明に起き、オオヤ氏の研究所において5名の負傷者が出ており、市警は『極めて悪質な強盗事件』として捜査を続けています──」
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