金曜日にいつもより仕事が早く終わった徳川が家に帰るまでにある場所に立ち寄ってみることにした。
「かつての旧望月邸があった場所は、小城市内にあるな。まあ行って見るか。」
武雄市にあるフェニックス・マテリアルの本社工場から車で走らせること40分ほどで、望月裕の家があった豪邸の跡地に到着した。
「護社長が就任したときは何もない更地だったと聞くが、今は再開発が進んで、5台の車が停車できるコインパーキングになっているな。看板には”PIG BOOBOO”って書かれてある。どう見ても車と関係のない名前だな。まあ近くにドイツ料理のレストランがあるし、場所としては悪くないのか。」
そう思いながら、旧望月邸があった場所を外から眺めることにした。
「あの8mmフィルムを残してくれた望月裕さんは一体どんな思いで自らの手で奥さんやお子さん達を殺し、そして観音の滝へと身を投じ自殺を図ったのだろうか。」
出来るだけ考えないようにはしていたが、やはりこの地に訪れた以上、ふと考えてしまっていた。望月は車をPIG BOOBOOの空いていたスペースに停車をさせると、ドイツ料理のレストランへと足を運び、そこで一人寂しく晩御飯を取ることにした。
「せっかくドイツ料理のレストランに来たから本場のビールを飲みたいが、車で来ているから無理だな。ノンアルコールのビールで我慢するしかない。」
ノンアルコールビールとウィンナーの盛り合わせとザワークラウトを注文することにした。出された料理は格別だった。「肉汁が溢れ出るウィンナーに、ノンアルコールビール。美味しい!ザワークラウトもいいアクセントになっている!」
美味しい料理に舌鼓を打ちながら、「如月と一緒だったらもっとおいしいと感じたのだろうか。」とも思いながら、かつての旧望月邸が心霊スポットとしてあげられていないかどうかをYahoo!検索で調べてみることにした。
「小城市で調べると心霊スポットは清水の滝と国道444号線の福所江橋ぐらいか。望月邸はさすがにないね。でも事故物件だった場所を買い取って、家にするのではなく、コインパーキングにしたというのも、負の歴史を払拭させるためにもいい案だったんだろうね。」
食べ終え、レストランを後にしようとした時の事だった。
車のフロントガラスに驚愕の光景が広がっていた。
「むっ、無数の人の血が付いた手形が・・・!これは一体何!?」
恐怖のあまりに腰が抜けてしまうが、この場に座ってばかりではいられない。立ち上がり血でドロドロに汚れたフロントガラスをウィンドウウォッシャーで綺麗に吹き上げてから家に帰ることにした。
家に帰ったと同時に、パソコンを開き、如月がYouTubeにアップロードをした動画を閲覧することにした。
”清水の滝 参拝”
そこには生前の望月裕が映し出されていた。
「1974年9月9日。時間は夕方の18時前になりそうだ。経営危機の会社を立て直すために僕はパワースポットとして有名な清水の滝まで来ました。今日は重陽の節句の日で菊の節句の日ともされていますね。僕は帰りに菊の花でも買ってきて、志半ばで亡くなった染澤の家にでもお供えをしてから、家に帰ることにします。早速ですが清水の滝に入っていくための参道の入り口から入って参道の階段を上っていきましょう。美しい木々の、これから赤く色づく季節が待ち遠しいですね。参道の階段を上っていけばお目当ての清水の滝の近くまで行けるところまで辿り着きます。」
そう話すと、望月はその風景をカメラに映しながら進んでいく。
そして清水の滝の前に近づくと雄叫びのような声を上げ始めた。
「ここで自殺を図らなかったのは何でだろう?」
徳川の中でふと気になったが、「まあ、ここで自殺すれば、高さ75m、幅10mではあるが、水の流れは観音の滝ほど激しくない。滝面から身を投じたら、ビルで計算すれば1フロアの高さがおおよそ3mだと計算すれば、75mなので、25階建てのビルから飛び降り自殺を図るのと同じことになるから辞めたのか?まあどっちにせよ、岩に激しく叩きつけられているのだから、ここで自殺を図っても一緒だったんじゃ?」
そう思いながら動画を見ていたら、その次にはこんな動画があった。
”観音の滝 参拝”
再生をしてみると、やはり望月裕だけしか映っていない。
「1974年11月24日 今日は唐津市内にある観音の滝へ、参拝のために訪れました。今日は日曜日、観光客も非常に多いですね。車はやっと停車が出来るスペースが確保できた、そんな感じでした。さて、眼病にも効果があるとされる生目観音様のところへと足を運び、お参りをすることにしましょう。」
そう話すと望月は、滝の近くの参道をゆっくりと歩いて進んでいく。
滝の近くへと近付いた望月はあることを口にした。
「観音の滝の流れを見ていたら、この激しい水の流れに身を任せてみたらどんな気持ちになるのだろうか。俺が代表を務めるモチヅキ・ドリーム・ファクトリーも、経営難から抜け出せそうにない。戦友だった染澤が代表を務めていたソメザワ・マテリアルも倒産してしまった、俺も染澤と同じ道を辿ってしまうのだろうか。」
神妙な面持ちで語る望月の姿には哀愁すら漂っていた。
そして動画の最後には意味深な言葉を残して終わった。
「なあ、樹はどう思う?」
望月がカメラのほうを見て話した一言が気掛かりだった。
徳川が思わず「樹って何?」と思ったが、兄弟のうちの誰かひとりがカメラマンとして一緒に同行してこの映像を撮影したのならば納得は出来る。
「染澤潤一郎は一人っ子だったが、望月裕には兄弟がいたな。」
そこで改めて”日本殺人犯歴史記録”に記載されてある情報以外の、望月裕にまつわる情報をGoogle検索で調べてみることにした。
「望月裕には9つ年の離れた弟がいた。1948年12月3日に裕にとっては待望の弟の樹が誕生する。年が離れた弟ということもあり、裕は樹のことを非常に可愛がって面倒を見てきた。樹は中学を卒業後、兄の手伝いのために、モチヅキ・ドリーム・ファクトリーへ入社、1974年12月28日に倒産するまでをずっと陰で支え続けてきた。その後樹は亡き兄の後を追うように唐津市内にある七ツ釜に1975年3月31日夜23時30分頃に身を投じ自殺を図る。享年26歳。」
「兄は観音の滝、弟はどうして同じ唐津市内でも違う場所を選んだ?」
ちょっとしたことではあるがふと疑問に思い、さらにYahoo!でワード検索をしてみることにした。
すると、生前の如月がYouTubeにアップロードをしていた幽幽チャンネルの動画に行きついた。
場所はトンネルの前のような場所が映し出されていた。
「1975年2月3日午後22時30分頃。いま赤穂山隧道の前まで来ました。元旦を迎えましたが、僕にとって気持ちのいい新年にはなりませんでした。昨年の、大晦日を迎えるまでに兄の裕が妻の絹子と息子の哲也と和保を殺害後、住み慣れた我が家を放火した後、観音の滝へ身を投じたことに世間の厳しい視線にさらされながら兄の葬儀を行い、この世の中の無情さに言葉が出てこない次第です。兄が開発をしたテレビやラジオに接続をすることが出来てかつ音響を楽しむためのヘッドホンやスピーカーの元となる開発図や設計図は、世の中に出る前に兄の会社や染澤さんの会社で出入りしていた小鳥遊によってデータを盗まれるとさらに我々の会社に追い打ちをかけるように、宛名不明の手紙から、公衆電話からかけてくる無言電話、そうやってフェニックス・マテリアルというのは、ライバル企業を蹴落とすためにありとあらゆる策を講じてきて追い詰めようとしてきました。そんな会社に対して常に時代の最先端の商品を開発しているという理由で人々は食いつき訴えていないという理由だけで支持をするようになるんですね。兄の死を機に、僕も遺族だと分かり、事件を起こしていないのに人殺しの家族だと言われ、実家があった佐賀市内を引っ越しをせざるを得ない事態となりました。僕は新しい勤務先を見つけたいのですが、僕の名前が知れ渡ってしまった以上、どこの会社でも不採用です。今まで僕のことを可愛がって面倒まで見てくれた兄の事を恨んだりはしません。」
画面に映し出される樹は憔悴しきっているようにも見えた。
動画の最後にはこう締めくくられてあった。
「兄は怨霊になってでも蘇ってくると思います。僕は恨みや憎しみと言った感情は兄に任せ、僕は僕なりに、出来る復讐をいずれ果たしたいと思います。」
その様子を見た徳川は出てくる言葉が無かった。
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