週末の土曜日に休みだった徳川はミニブタのミルキーを連れて、唐津市内の観音の滝へと足を運ぶことにした。10月8日の事だった。
如月が自殺を図ってから4か月の月日が経とうとしていた。
徳川はガレージに停車してある愛車のアルトラパンに乗り、自宅のある武雄市内から移動した。ミルキーは後部座席にシートベルトをした状態で大人しくじっとしている。走らせること、1時間程は経過したころだった。
慣れない山道を走らせ、やっと観音の滝の駐車場に到着すると、ミルキーにリードをつけた状態で観音の滝の方向へと歩き始めた。
「ここが観音の滝か!」
そう思いながら、ミルキーを抱きかかえた状態で遊歩道を歩いていく。
遊歩道を歩くこと数分が経ち、行き止まりとなった先にある生目観音に拝み終えた後、観音の滝を後にしようとした。滝壺の水飛沫に、気持ちよさゆえに思わず身を乗り出してしまいそうだった。
「しまった。ミルキーを抱いた状態だった!」
思わず我に返り、観音の滝を後にしようとした瞬間だった。
滝壺の中からギョッと睨み付ける視線を感じた。
思わず振り返るが、激しい勢いでただ水飛沫が飛ぶだけだった。
「何かの、見間違いだったのだろうか。いや俺が疲れているだけだろうか?」
そう言い聞かせ、ミルキーを車に連れて帰ることにした。車に戻って何事もなかったように車から餌を取り出すと、ミルキーは与えた餌を喜んで食べ始める。
「あの時、俺は背後にいた誰かに睨み付けられた。でも滝壺の中に遊歩道なんてない。ひょっとすると、俺が動画で見たあの望月裕さんなのだろうか。俺がたまたま連れてきていたのがミニブタだったけど、猫や犬だったらどうなんだろう?吠えるのだろうか?いや動物が反応するのならミルキーだって反応を示すはずだが何食わぬ顔で滝のほうから素早く視線をそらしたから、ミルキーも気づいていたのかもしれない。そりゃあ小鳥遊前社長が望月さんや染澤さんに対して良い行いをしていないのだから、死んでもな小鳥遊前社長に対して恨みや憎しみを募らせていてもおかしくはないだろうな。ここ(=観音の滝)で地縛霊と化していてもおかしくない。」
そう思い、ミルキーを連れて家に帰った後、改めて明くる日の日曜日に一人で来ることにした。ミルキーの世話を実家の両親に頼んだ後、花屋さんに立ち寄り、供養の榊を買ってくると、愛車のアルトラパンを走らせ観音の滝へと向かった。
観音の滝は勢いよく水飛沫をあげている。
その様子だけは変わらなかった。
「あいつが自殺を図った、観音の滝の滝面へと足を運んでみよう。」
そう思い、森の中を入っていこうとしたが、やはり立入禁止の黄色いテープが張り巡らされており、立ち入りは規制されてあった。
「そりゃあ、自殺者が相次げば、こうなってしまうよね。」
仕方なく滝面に近づくことを諦めようとしたが、せっかく榊を持ってきたのだから、あいつへの供養のためにも滝面に近づきたい。その一心で、立入禁止のテープを潜り抜けて、中へと入っていく。
鬱蒼とした森の中、ただ道なき道を歩くこと、観音の滝面に近づくことが出来た。
「ここが観音の滝面か。」
そう思い、持っていた榊を滝面のほうへと投げるとそっと手を拝んだ。
滝面の近くまで行き、そっと語りかけた。
「如月、来たよ。お前が死んで4カ月の月日が経ち、お前が使っていたデスクは今は中途の社員が座って一生懸命俺達が指導に携わる忙しい日々を送っているよ。如月がいなくなって俺は寂しい気持ちに変わりはないよ。悩んでいることがあったら素直に相談をしてほしかった。」
目をつむりながら話していると、後ろから誰かの気配がする。
「俺しかいないはずだ。何かの気のせいだ。」
そう思い、じっと手を拝み続けた。
するとその人の気配が徳川の背中まで近づいてきた。
思わず徳川がそっと振り返ると、顔面が潰れ、一体誰が誰なのかの区別さえつかない何者かが徳川の背後にいた。
「うワッ!!」
思わず悲鳴をあげると、滝面へ向かって背中を押されそうになり、慌てて木が生えてある左の方向へと両腕を使いながら逃げることが出来た。
恐怖はまだ終わっていない。
木のところに逃げたら安心だと思いきや、見た目の判別がつかない何者かが徳川の目の前まで這いつくばって近づいてきた。無我夢中で逃げたい一心で入ってきた方向へと目を向け、目の前の何者かが近付かぬうちに逃げようとしたいが金縛りで動けない。その何者かと徳川の距離はあっという間に縮まると、首を右腕で掴まれ地面に倒されると、その何者か口から得体のしれない黒い液体を徳川の口に流し込んだ。
思わず咳込む徳川。
目の前にいた何者かは、一瞬で消えたと同時にやっと解放されたと分かった徳川は立ち上がり、急いでその場から走って逃げていく。
「あれは一体何だったんだ!?」
そう思いながら停めてある駐車場に乗り込み、急いで実家に戻ることにした。
実家に戻ると、ミルキーは元気に餌を食べていた。親にミルキーの世話をしてくれてありがとうとお礼を言って、ミルキーを引き取り抱きかかえた状態で帰ろうとしたら、徳川はミルキーに酷く嫌がられた。あまりにも手足をばたつかせ暴れるので何事かと思いながらも、車を運転したら落ち着くだろうと思い、そのまま帰ることにした。明くる日の月曜日。朝6時に起床し、ミルキーにあげるための餌を準備をしていたら、ミルキーに異変が生じていた。
ぐったりと倒れているように見え、慌てて24時間体制の動物病院に運び込むが、医者から言われたことは「残念ながら手遅れです。」としか言われず、ミルキーはこの世を去ってしまった。
徳川が医者に「死因は何なんですか?」と問い詰めるも、医者は「これから何を食べたのかも含め解剖をしてみないと分かりません。」としか言われなかった。昨日まで元気に餌を沢山食べていたあのミルキーがと思うと、言葉にならない思いでいっぱいになった。秋池リーダーに電話で「如月が飼っていたミニブタのミルキーがたった今息を引き取った。死因がわからなくて、動物病院でどれだけ拘束されるか分からない。会社には遅れてきます。」と連絡をすると秋池は徳川のことを気遣って「いいよ、大変だろうし、今日は休んでもらっていいよ。」と言ってくれた。
秋池の一言に徳川は「ありがとうございます。何かあれば連絡をします。」といって電話を切ると、医者が解剖の結果を報告するのを廊下でじっと待った。
待ち続けること2時間ほど経過したころだった。
医者に呼ばれた徳川に告げられたことは「死因不明」だけだった。
徳川が思わず「どうして死因が分からないんですか!?」と追及するが、医者は「劇薬ではないことは胃の残留物から見て明らかです。ミニブタ用の餌しか食べていません。心臓も発作を起こした状態ではないですし、また脳も異常が見受けられず正常な状態でした。これ以上調べても何も出てこないと思います。」と告げられた。
納得は出来なかったが仕方なく、動物葬をしてくれるところを探し出し連絡を取ると、如月の両親にもミルキーの死を告げると、如月の両親と徳川の3人で火葬の日程を決めると、週末の土曜日にミルキーの旅立ちを見届けることにした。
そして来る10月15日にミルキーの火葬が執り行われ、3人で終わった後、昼ご飯を共にすることにした。如月の通夜・告別式以来に見てからは共にご飯を食べるなんて関係ではなかったのですごく緊張したが、告げられたことがあった。
如月の母美智子が呟くように思い出を振り返る。「ミルキーちゃんはうちによく預けられていたのよ。あの子が夜な夜な何をしているんだかわからないんだけど、世話が出来ないなら最初からミニブタなんて飼わなければいいじゃないって怒鳴ったこともあったけど、ミルキーちゃんもあの子の後を追うように死んでしまって辛い。」と語ると、如月の父真治が「本来なら我々が引き取るべき、息子のペットを一番親しかった徳川君が引き取ってくれてミルキーも、そして優光も嬉しかったと思う。世話をしてくれてありがとう。」と話してくれた。
如月の両親との食事を終えた後、徳川は家路に着いた。
あれだけ大量にストックしておいたミニブタ用の餌だけが虚しく残る。
「暫くペットなんてもう飼えない。」
そう思い、寝ることにした。
日曜日の朝、寝過ごして12時まで寝てしまった徳川が慌てて起きると、急いでご飯の準備などをして、パソコンの電源にスイッチを入れた。
ふと開けたYahoo!のニュース記事を見て、ふと気になることがあり検索をすることにした。「そういえば、”望月裕”と検索したら出てくるのだろうか?」
そう思いながら調べてみると”日本殺人犯歴史記録”というサイトにて、望月が紹介されてあった。思わず食い入るように、作ったチャーハンを食べながら見てみる。
「望月裕 Yutaka Mochiduki 1939年8月6日佐賀市出身 中学校を卒業後、地元の金属などを取り扱う稲月金属工業に就職すると、徐々に技術職のエースとしての頭角を現し始めると、22歳になったと同時に独立し、モチヅキ・ドリーム・ファクトリーを起業したと同時に2年後にはお見合いで今井絹子さんと結婚をすると、26歳で第1子となる長男の哲也君を授かると、28歳には第2子となる和保君を授かる。31歳で迎えた1970年に開催された大阪万博の九州パビリオンで九州の未来を担う会社の一つとして、染澤潤一郎と共に未来の道具として開発したアイテムが話題に話題を呼び、万博を機に染澤と共同で事業を行うようになる。順風満帆の人生のように見えたが、小鳥遊《たかなし》悟が社長を務めるフェニックス・マテリアルが頭角を現し始めると最先端の技術を武器に革新的な開発を進めていくと同時に、徐々に染澤のソメザワ・マテリアル共々影を潜めるようになると経営難に陥っていく。望月は持ち前の営業マンとしての実力でこの危機を乗り越えようとするが、何をしてもフェニックス・マテリアルのほうが先を行っていると言われ、次々とお得意先だった客を奪われていくと、経営はますます苦しくなり、事業の継続のためにも借金をせざるを得ない状態になるが、借金の額は膨らみ増々返済が困難な状況にまで陥ると、1974年12月28日にモチヅキ・ドリーム・ファクトリーは倒産した。倒産と同時に望月は、凶行に走る。夜の22時頃に玄関で夫の帰りを待つ絹子を首を予め用意をしたロープで力づくで絞め絞殺をすると、寝ていた息子の哲也君を台所から取り出した出刃包丁でメッタ刺しにすると、続けて和保君をメッタ刺しにして殺害。その後は家中に買ってきたガソリンをまき散らすと、リビングのソファに火をつけ、逃走した。その後、車で唐津市内の観音の滝へとやってきた望月は23時45分頃に観音の滝の滝面へと身を投じて自殺を図った。享年35歳。引き上げられた望月の遺体は、望月であるかどうかが判別が出来ないぐらい遺体の損傷が激しく、また顔面を激しく岩に打ち付けた痕跡があり、原形をとどめていないために、望月なのかどうかが兄弟や両親が見てもわからないレベルだったそうだ。」
その記述を見て思わずあの時徳川を襲ってきたのが、怨念を抱いたまま亡くなった裕の御霊だったと改めて気が付いた。
「今度は俺が呪われてしまう番なのか。」
パソコンを前にして頭を抱える徳川がそこにいた。
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