稲見は8mmフィルムに映し出された映像を護社長に見てもらおうと思い、昼休みが終わった13時過ぎに社長室へと向かった。
稲見は社長室の前まで来ると、ノックをして、小鳥遊が「どうぞ。」の掛け声を待って入ることにした。
「小鳥遊社長!見て頂きたい8mmフィルムの映像があるのですが、見ていただけませんか?」
社長室にあるデスクに商品化すべき商品のリストを見つめながら、じっと座っている小鳥遊の姿がそこにはあった。
「何だ、稲見か。」
小鳥遊の反応があまりにも薄かったので、稲見は「小鳥遊社長に見て頂きたい8mmフィルムがあるんです。生前の小鳥遊《たかなし》悟前社長が映し出されている8mmフィルムがあったんです。小鳥遊社長ならお心当たりがあるのではと思い、社長室まで来ました。」
稲見の話を聞いた小鳥遊は「ああ、あの8mmフィルムの映像か。カメラと映写機がセットになってあったやつだろ?あんなもんどこで探して見つけてきたんだ?あの映像は企業秘密なんだぞ。」と不機嫌な口調で語ると、稲見は社長の顔色が悪くなったことを察知して「申し訳ありません。1ヶ月前に自殺をした如月のデスクから見つかったものです。如月がどこで見つけてきたかはわたしには分かりませんが、映像を見てしまった以上、小鳥遊《たかなし》社長には説明する義務があるかと思いまして、社長室まで来ました。」と説明した。
小鳥遊は理由を知ると、益々険しい表情へと変わっていった。
小鳥遊が悩み始めて5分ほどが経過したころだった。
「この映像を見た人にしか伝えないというのを条件ならば、あの8mmフィルムに映し出されていた人を教えてあげよう。」
小鳥遊がデスクから立ち上がるとカーテンを閉め、パソコンに予めアップロードされてあったあの8mmフィルムに映し出された映像をプロジェクターを通して壁に映し出した。
「この飲み会の映像でも見たんだろ?」
小鳥遊が再生した動画には、秋池と徳川の二人で見たあの”楽しい飲み会”と記されてあった飲み会の様子だった。
「奥にいるのは親父。手前にいるロイド眼鏡をかけているのが染澤潤一郎さん、潤一郎さんの隣にいるのが望月裕さんだ。俺がまだ幼かった時はよく、潤一郎おじさんのお子さんの宏親君や靖典君、智紀君とか、裕おじさんのお子さんの哲也君や和保君たちとよく遊びに行ったりしていたな。親父があんなことをしていなければ、フェニックス・マテリアルは呪われることなんてなかった。」
小鳥遊がそう話すと、稲見は思わず耳を疑った。
「小鳥遊前社長が何かされたんですか?」
稲見の質問に、小鳥遊はボソッとした口調で語りだした。
「親父は泥棒だったんだよ。表向きは派遣工作員で働く技術職として、1970年に開催された大阪万博に九州パビリオンに出展したことがある潤一郎おじさんと裕おじさんの二人に、”技術エージェントの小鳥遊悟です。エージェント業として、わたしがあなたたちの事業を応援しましょうって言ってね、近付くと同時に潤一郎おじさんが経営するソメザワ・マテリアルと裕おじさんが経営するモチヅキ・ドリーム・ファクトリーでそれぞれ研究開発をしている商品の設計図や開発中の商品などをこっそりと盗み出し模倣した商品を作り出したのをあたかも自ら開発したかのように世に売り出したんだ。佐賀ではバレるからな、中州まで行ってね、そこで出店みたいな感じで会社帰りのサラリーマンをターゲットに『是非とも御社で導入していただけませんか?』ってね。当然ながらバレるのは時間の問題だった。それぞれの会社で企業秘密だった情報を盗み出すことが出来るのは、親父しかいないからな。親父に二人が怒鳴り込みに来たのは1972年の8月8日の事だった。夜の21時頃だった。未だに忘れられない。二人が家まで怒鳴り込みに来て”警察には通報しない代わりに盗み出した情報を自分が開発したものだというのは訂正しろ!続けるようなら出入り禁止にしてやる”といってね。親父は二人のクレームに”あー、はいはい。わかったわかった!”と言いながらも盗み出す行為は姑息なやり方でバレぬように繰り返し行われた。本来なら盗みを行っているんだから捕まってもおかしくなかった。そんな親父を二人が優しかったから刑務所に行かずに済んだ。それを仇で返したんだ。ある程度の資金がまとまったところで親父は1973年4月1日にフェニックス・マテリアルを創業したと同時に、かつソメザワ・マテリアルとモチヅキ・ドリーム・ファクトリーで盗み出した情報を糧に次々と商品を開発し売りに出した。会社は創業と同時に繁栄し、潤一郎おじさんや裕おじさんが開発した商品は、親父が開発したものだと世間が認知したと同時に、二人が経営する会社は次第に経営が悪化していくようになる。何をしてもありとあらゆる会社がフェニックス・マテリアルのほうが最先端と言われたからね。恨まれてもしょうがないことをした。1974年の7月21日の事だった。潤一郎おじさんが夜の20時過ぎに家に現れると、それは激しい怒りの表情で『悟を出せ!』と言って対応に出たお袋が慌てて親父を呼ぶと、親父が何食わぬ顔で潤一郎おじさんの前に現れると潤一郎おじさんはTシャツを着ていた親父の首元をガッと掴みこう大声で怒鳴ったんだ。」
『お前は俺の優しさを何だと思っているんだ!?通報しないだけ有難いと思うことをそれでもなおお前は俺が開発した技術をあたかも自分が開発したかのように作り出しかつ世に送り出した。その上俺の会社名を挙げず、お前の会社で独自に開発したかのように売りに出したお前を俺は心底許さない。お前のおかげで、俺の会社も、望月の会社も今どんなことになっているのか、お前は分かっているのか!俺たちの首を絞めるのが目的で俺たちに近づいたのか!!この泥棒め!!』
「潤一郎おじさんが激しい剣幕で罵声を浴びせている親父の姿を俺はうっかり見てしまった。潤一郎おじさんは怒りのあまり我を忘れてしまっていたみたいで、子供の時に俺が見たあの光景は地獄そのものだった。あの後、潤一郎おじさんが多久市内の豪邸で就寝中だった奥さんの豊子さん、息子の宏親君と靖典君と智紀君を次々と殺害した後、風呂場で切腹自殺を図った。朝の臨時ニュースを親父は何食わぬ顔で見ていたけど、俺とお袋はあのとき親父が潤一郎おじさんと揉み合いをしていた現場を見ていたからね。」
衝撃的な内容に言葉を失う稲見の姿がそこにはあった。
小鳥遊の話はさらに続く。
「潤一郎おじさんが無理心中を図った後、後を追うように、裕おじさんが事件を起こしたんだ。1974年12月28日の事だった。俺と親父、お袋の3人でゆっくりとテレビを見ていた夜の21時の事だった。玄関で激しいドアのノック音が聞こえてきたので、親父が出てきたら、まるで般若のお面のような表情の裕おじさんが立ち尽くしていたんだ。親父が”大晦日に何の用事だ?”と聞くとね、裕おじさんが親父の胸元に人差し指をさしながら怒鳴り込みに来た。」
『年を越す前に、お前には言わなければいけない。社長のまま、借金を抱えていない綺麗な状態で死にたいという染澤の無念をお前は反省の意思も無ければ、俺にも企業秘密の情報を盗み出したことを謝りに来ないその姿勢に俺は腸が煮えくり返ってしょうがない。お前は俺たちの首を絞め俺たちの会社を潰すために近づいたのなら、俺はお前に対してそれなりの報復行為をしなければ気が済まない。俺は立ち上げた会社を何とか存続したいから数百万円だった借金が黒字の額よりも赤字の額が増え続け、利息も払えない状態になり、借金の借金で返さなければいけない状態になり、12月28日にモチヅキ・ドリーム・ファクトリーはあんたのおかげで倒産に追いやられた!会社の敷地も自宅や車も差し押さえになった。どう落とし前をつけてくれるんだ!!お前は何の苦労もしないで俺たちの会社の企業秘密の情報を盗み出し何食わぬ顔で経営をしている姿を想像するだけでも、俺たちの優しさを裏切り行為で返したのも、俺はお前のした行為を死んでも許すことはできない!』
「裕おじさんがそう話すと、その後家で裕おじさんの帰りを玄関で待っていた奥さんの絹子さんの首をロープで力づくで絞め殺害すると、台所にあった出刃包丁を手に就寝中だった息子の哲也君と和保君の胸から腹部をメッタ刺しにして殺害後、家にガソリンをまいた後に火を放ち我が家を放火した後、唐津市内にある観音の滝の滝面に身を投じて自殺した。裕おじさんがダイイングメッセージとして残してくれた8mmフィルムも見たのだろう?裕おじさんは生前よく持っていたスーパーエイトで8mmフィルムの動画を撮影するのが趣味だったんだ。撮影した映像を皆で集まって映写機に映し出される映像を見ながら思い出に更けるのが楽しみの一つだったんだ。如月が持っていたのは、元々は裕おじさんの所有物だったものだ。親父は俺やお袋が生前に潤一郎おじさんや裕おじさんと揉み合っていたこともあり、自殺した因果関係にも繋がっていることもあったかあら、隠したい一心で社長室に隠したんだ。」
話をじっくりと聞いていた稲見は「それならば如月君がどうしてこれを見つけてきたのかが疑問ですね。」と語ると、小鳥遊は「如月は恐らくだが、社長室に隠し部屋の倉庫があることを知り、面白半分で俺が出張でいない隙を見計らい社長室に入ると、隠し部屋の在処に気が付き侵入したのだろう。」
小鳥遊がそう話すと、本棚を動かし始めた。
そこには隠された入り口があった。
小鳥遊に案内され、入っていく稲見の前には大量の8mmフィルムが並んでいた。稲見が「これも全て、望月さんが撮影した動画なのですか?」と小鳥遊に聞くと、「ああ。そうだ。これらは全て裕おじさんが残してきた遺産そのものだ。」と話し始めた。
「どうして今まで黙ってきたんですか?」
稲見の問いに、小鳥遊はこう答えた。
「悪いことをしてしまったという実感があったから伝えられなかった。あの後、親父が65歳の時に肺癌でこの世を去って、社長を息子の俺が引き継ぐことになり、俺はまず最初にお詫びがしたくて、潤一郎おじさんが自殺を図ったあの豪邸に足を運んだんだ。潤一郎おじさんの死後、あの家は幽霊屋敷になってしまい、次々と住み始めた家族に呪いがかかり、知る人ぞ知る心霊スポットと化していた。俺は借主募集となっていた潤一郎おじさんの家に入る許可を頂くために大家でお母様でもある染澤セツさんとお話をしようとしたが”この息子殺し!”と怒鳴られ中に入ることは許されなかった。そしてかつて裕おじさんが住んでいた家があった場所にも行って見たが事故物件と化した今は買い手がつかず、更地の状態だった。俺は家の前で拝むことしか出来なかった。申し訳ない、申し訳ない、って何度も土下座をして頭を下げた。それでも許されることではないのだろう。」
そう語る小鳥遊は、今まで黙ってきたことをようやく語ることが出来て一安心をしている、そんな表情にも見て取れた。
小鳥遊の話を一通り聞いた稲見は「色々と教えてくださってありがとうございました。」と一言伝え、社長室を後にした。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!