秋池リーダーの自殺を知り、ますます仕事にやる気が亡くなってしまった徳川。
「何で逝ってしまったんでしょうか。そこまで前社長の罪を、現社員が償わなければいけない必要性があるのだろうか。」
昼休み、屋上でぼんやりと青空を眺めても答えは出てこなかった。
思えば思うほど、動画を通して公表した結果、裕《ゆたか》に呪い殺された如月。
理由を知り、裕の存在を初めて知った結果、裕《ゆたか》に呪い殺された秋池リーダー。
一体どうしたら裕の呪いを食い止めることが出来るのか。頭の中はそれだけでいっぱいになってしまった。
1時間の休憩を終え、研究所のデスクに戻ってきたと同時に、徳川は稲見に相談した。「稲見部長、聞いていただきたいことがあります。お時間を取っていただけませんか?」と徳川が稲見に話をすると稲見は「話って何かな?ここで話せられる内容かな?」と聞くと、徳川は辺りを見回して稲見に「二人きりで話がしたいです。」というと稲見は「わかった。隣の会議室で話をしよう。」となって、二人で会議室で話をすることになった。
会議室のテーブルに用意されてある椅子に腰を掛けたと同時に、徳川が話をし始める。「稲見部長に聞きたかったことがあったんです。如月と秋池リーダーの自殺がどちらも生前の望月裕が遺した遺産ともいうべき動画を見て誘発され、望月が命を絶った観音の滝へと身を投じ自殺をしたことに、事情を知る僕たちも悪いことが起こりうるようなそんな気がしてなりません。部長はどうお思いですか?」
徳川の質問に稲見が悩み始めた。
そんな様子を見て徳川がさらに話を続ける。
「部長には分からないことだろうと思いますが、僕は親友の如月を失い、ショックで手に付けられない状態になのに、追い打ちをかけるように秋池リーダーが死んでしまって、稲見部長だってあの如月がアップロードをしてくれた動画を見ているのだから何かしら、思うことはあると思うんです。それを聞きたかったんです。部長だって人間の感情があるのなら、僕と同じ辛い気持ちになると思います。」
徳川が話し終えると、稲見の重い口が開いた。
「徳川君。わたしも血も涙もある人間だから辛い気持ちは同じ。だけど仕事においていつまでも悲しい気持ちを引きずるわけにはいかない。事情を知らないメンバーのためにも、いつもと同じように振る舞わないと、わたしたちが見てしまった小鳥遊悟前社長の罪を知ってしまった以上、フェニックス・マテリアルの社員として心の底から追い詰められた染澤潤一郎さんと望月裕さんの御霊のご冥福をお祈りするしかない。」
そう話す稲見に「部長、僕が言いたいのはそういうことじゃないんです。部長だってショックを受けて仕事も手に付けられない、そんな状態じゃないんですか?って僕は聞きたかったんです。部長だから強くいなければいけない気持ちは理解できますが、本当はやる気すら失ってしまっているんじゃないんですか?」と言い方を変えて徳川が話すと、稲見は数分間黙り込んだ末に「徳川君。君に話したいことがある。これは黙っていてほしい。秋池君が死ぬ前に、染澤さんや望月さんへお詫びしたいって言ってね、それぞれの死に場所に行って手を合わせてきたって言っていたわ。染澤さんが無理心中を図った家というのはね、今の護社長が就任したときは家がまだ存在していたんだけど、ここ最近取り壊されて、今は天然芝とツツジの垣根の葉っぱの緑があふれる広場になっている。入り口のステップの近くに石碑があって、花などが手向けられるスペースがある。石碑にはかつて、この地で凄惨な事件があったことを伝える内容と、改めてこの地で命を落とした方々に対して鎮魂の意を込めてということが記されているみたい。」と話した。
稲見がその話を聞くと「部長、まさか僕も染澤潤一郎さんが無理心中を図った地に手を合わせてこいとでもいうのですか?」と話すと、稲見は「話はまだ終わっていない。聞いてほしい。」といって続けた。
「かつて染澤潤一郎さんの悪霊が襲い掛かってくるという話で心霊スポットと化していた時もあったが、遊び半分でふざけたりするようなことさえしなければ祟られることはないって話よ。だけど、望月裕さんが自決をした観音の滝へ行く行為は自殺行為そのものだって言っていたわ。とりわけ、精神的に弱っているときに滝に行くのは自殺行為そのもの、そういう気持ちの弱みに、悪霊と化した望月裕さんが付けこみ滝へ身を投じるように仕向けるか、突き落とすか。今の徳川君の精神状態では危険すぎる。勿論、わたしだって観音の滝へ行って、望月裕さんらしき御霊を見たわ。岩に強く顔面を打ち付けて死んだから原形をとどめていないとは聞いたが、その通りおぞましい見た目だった。わたしは滝面に供養のための菊の花を投じた際に後ろから誰もいないはずなのに物音が聞こえ、気のせいだと思い特に気に留めることはしなかったが、物音が段々と近付いてきたので振り返ったらそこにいて背中を突き押されそうになった。とっさの防衛反応で逃げることは出来たが、あのときにわたしも望月裕さんの呪いをかけられたとしたら、わたしも如月君や秋池君と同じ道を進んでしまうかもしれない。気持ちを強く保ったほうが祟られずに済むとは聞くが、わたしも人間。強く保つことはできない。」と語りだした。部長がまさかの告白を聞き、徳川も「僕も供養のために滝面へ買ってきた榊を投じたら後ろから望月裕さんらしき御霊が近付き、襲われそうになりました。でも、僕だけが経験していると思ったら、部長もだったんですね。」
徳川の話を聞いた稲見が「今先ほど話したことは二人だけの話にしましょう。祟られていると勘違いされかねない。いいね?」と話すと、徳川は納得したのか「わかりました。時間を取っていただきありがとうございます。」と一礼をした後、会議室を後にした。稲見に相談が出来たおかげもあって、今まで考えていた悩みが全て吹っ切れたかのように、少しずつではあるが新商品の開発に力を注げるメンタルへと戻っていた。仕事終わり、稲見が話していた染澤潤一郎の無理心中を図ったかつての旧染澤邸が気になり、仕事終わりに足を運んでみることにした。
移動するまでにまずは概要が知りたいと思った徳川が殺人事件を伝える”日本殺人犯歴史記録”というWEBサイトに再びアクセスをし検索をすることにした。
「あった!ロイド眼鏡をかけたこの人に違いない!」
徳川がスマートフォンを見つめながら記事の概要を読み始めた。
「染澤潤一郎 Junichiro Somezawa 1940年5月27日生まれ嬉野市出身 太平洋戦争に赴いた父親の一俊を戦死した後、遺族金を使い果たしてまで不動産への投資を続けた母セツの功績もあって国立の伊万里大学の経済学部に進学すると、武雄市内にある闐闐設備会社に就職、技術職として覚えることを必死にノートに綴って覚えたり等をして、先輩社員から教えてもらい学んだことなど覚えることに関してだけは誰よりも優れた才能を持っていた。頭の良さだけは従業員の中でもトップクラスだったそうだ。その後、取引先だった松本金属加工の事務員として勤める内藤豊子と職場でお見合いをするような形で入籍をすると、豊子との入籍を機に会社を退社して独立し1965年7月21日にソメザワ・マテリアルを設立した。常に最先端の技術を売りに研究の末に産みだした商品は、どれも画期的で魅力的な商品ばかりだった。1970年の大阪万博の開催と同時に開発した商品が評価され知名度が上昇していくと、会社の売り上げも次第に伸ばしていく。しかし頭がいいだけの染澤に営業マンとしてのスキルはなかった。無論そんな潤一郎には社長として必要なカリスマ性も無ければ、商才すら掛け合わせていなかった。従業員は多い時は15名ほどはいたが、頭が賢いだけが売りの社長に誰もついていけず有望な人間はそんな社長に失望して出ていったのが殆ど、残る従業員で何とかやってはいくも、営業マンとしての実力も無ければ交渉上手だったとも言えない潤一郎の営業では、離れていくのが殆どだった。次第に”万博のパビリオンの一画として出店しましただけが取り柄”になっていくと、時代はやがて潤一郎が開発したことすら忘れられていくようになっていくと、たちまち経営は赤字続きになり、ついには従業員のリストラを実行するようになった。しかしそれでも赤字を補填することが出来ずに、1974年の7月21日の事だった。もう借金をしなければいけなくなるぐらい経営は貧しくなった。だが潤一郎は借金をしてまでというプライドがあり、それだけは許せなかった。精神的にも肉体的にも追い詰められた末、彼は社長として死ぬ道を選んだ。7月23日の23時過ぎに自宅内の台所にあった果物ナイフを手に取ると、就寝中だった妻の豊子をメッタ刺しにして殺害後、隣で眠る次男の靖典君の口を口封じした末にメッタ刺しで殺害、さらに同様の手口で長男の宏親君、三男の智紀君を殺害した後、潤一郎は風呂場で自分の腹部を凶器の果物ナイフで切腹し自害した。ナイフで切っても死にきれなかったのだろうか、潤一郎はさらにナイフをさらに腹部の奥深くまでえぐるように刺し、自分の意識が無くなるまで刺し続けた。享年34歳。」
その記述を見て、改めて染澤潤一郎さんがどんな人かがわかってから、多久市内にあったかつての旧染澤邸に足を運んだ。
車で着くとそこはひっそりと、近所の子供達がサッカーをして遊んでいた。
入り口に入るとすぐの場所に石碑があり、内容を見た徳川が「ここが、染澤潤一郎さんの家があった場所なのか。」と確信すると、買ってきた花束を供え、そっと石碑を前に拝み始めた。
「どうか安らかに眠ってください。」
徳川がじっと手を拝んでいたら、夕焼けの空が真っ赤になっていくと同時に暗闇の世界が少しずつ広がっていく。
「ここから眺める夕焼けの風景は何とも言えない絶景だ。この眺めを染澤潤一郎さんもきっとどこかで見ているのだろうか。」
そう思いながら、空を見上げた。
かつて呪われた場所とも称されていたところがすっかりと子供達の遊び場へと変わっていく様子を見て、ほっと一安心をする徳川がいた。帰ろうとした時に、後ろからコツンと何かが当たった。何事かと思い徳川が振り向くと、ボール遊びをしていた子供達が持っていたボールを友達に向けて投げたつもりが偶然にも徳川の背中に当たってしまった。子供の一人が「おじさん、ごめん。当たっちゃった!」といって近くまで来て謝ってくると、徳川は「いいよ、気にしなくていいよ。あっでも、もう暗くなってきたからお母さんに怒られる前にさっさと帰りなさい。」というと、子供達は徳川の指摘に「わかっている!」といって、広場を後にした。
徳川も帰りが遅くなる前に車に乗り込み、運転をしようとした時だった。
「子供いない、それでも俺おじさん。姪も甥もいないのに、何だか複雑だ。」
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